ロックオン
今日のランチは、裏庭で食べることにした。なんとスレイが下町にあるパン屋さんで買ってきてくれた菓子パンを持ってきたのだ。本物のレジーナお嬢様が考案したものらしく、サクサクとしたパイ生地の中に自家製のバタークリームが入っていて、数量限定品なだけあってとても美味しい。
「あらスレイ、顔に付いてますわよ?取って差し上げます」
そう言ってスレイの唇の端についたバタークリームを拭うと、ぺろんと指を舐めた。美味しいクリームだったのでついはしたなくなってしまった。しかし、レジーナお嬢様が作ったパンはとても美味しいのでついやってしまう。だってもったいないし。
「うーん。やっぱり美味しいですわ」
「な、な…」
ルシアは気づいていないが、スレイの口元についていたパイの欠片を取ってあげたつもりでも傍から見るとまるで口付けているように見えなくもない。現に近くを通りかかった女子生徒たちが小さく黄色い悲鳴を上げていて、ハッとしてルシアは気づいた。スレイの顔が一瞬にして真っ赤になると、手を引いて人気の少ない場所にあるベンチへと連れて行った。
「な、なん、なにすんです!?貴方は!馬鹿ですか?!人前で!」
スレイが焦って叫ぶ。少し涙目で恥ずかしさに耐えられないといった表情だった。いつものツンとすました態度とは真逆の反応で、そんなところが面白いと思う。まぁそんな事を言えばさらに怒られそうなので言わないけれど。
「ごめんごめん。やっぱりあーんの方がドキっとするか?」
「えっ…いえ!本当に!僕で揶揄うのはやめてください!」
「はは、冗談…うっ…けほっ!?」
「…お嬢様?どうしました?」
そうしてからかっていると、突然菓子パンの香りをかき消す様な、甘ったるい匂いが辺りに漂った。吐き気がしそうなほど濃くて気道にひっかかるようなその匂いに、思わず鼻を押さえてしまう。
これは、最近も嗅いだことのある匂いだ。
「…お二人ともご機嫌ですね!今日も仲良しそうでなによりです!」
後ろから現れたマリが、スレイの後ろにべったりと張り付いた。その豊満な胸をぐいぐいと押し付けるように、スレイの背中に身体をくっつけてくる。
「…こんにちは。マリさん」
スレイが引きつった笑みで振り返り、マリに向き直る。
ルシアも遅れてスレイと同じ方向を見ると、マリはニコニコと笑いながら二人を見つめていた。しかし彼女の目には全く光がなく、底冷えのするような冷たい目をしていた。
「良かったら、私も一緒に食べてもいいですか?ランチは人数が多いほうが、絶対楽しいですよ!……ねっ?」
初めて俺と目が合った彼女は、俺の事を虫かなにかを睨みつけるように見ていた。なぜだろう、殺意にも近いそんな感覚を覚えるような冷たい視線だった。
***
「うっ…例の匂いがする、左から来るぞ!」
「あ!スレイくーん!一緒に合同授業…」
「逃げますよお嬢様!」
マリとランチをしてからというもの、彼女によるスレイへの接触が多くなった。スレイに話しかけ、腕を組んで恋人かのように寄り添う。もはや昼食は何処に逃げても追いかけてくるようになった。まるでひっつき虫のように、どんなに振り払ってもしつこい程にくっついてくるのだ。
「あーん、待ってくださいよぉ!」
「は、はぁっ、はぁっ、すごい健脚だな……息切れもしてないぞ……!?」
どうやらマリの中でスレイを完全に男としてロックオンしているようだ。それはもう嬉々として彼の隣に座るものだから、周りの生徒達はすっかり二人の関係を疑っている様子だ。いや、レジーナお嬢様もいるんだけども。
(すっごく面倒臭い……早くどうにかしないと)
たしかに、俺がお嬢様として学園に登校し始めた2日目の時点で、スレイは食堂でマリに目をつけられていた。だけどもそれ以来は特に接触が無かったと聞いていたので、こんなに大変になるなんて予想外だった。そもそもルシア、いや学園に復帰したレジーナお嬢様はなぜかマリに認識されていなかったはずなのに、今では邪魔者のように敵視されている。直接なにか言われたり、嫌がらせされたりはしないものの、彼女が近くに居るだけであの変に甘い匂いがして気分が悪くなるので、最近は昼食もあまり食べられない。
「…どうやら撒けたようです。お嬢様、お手を失礼します」
「はぁ、はぁ…彼女、風紀委員室には入れないのが、救いね…」
風紀委員室には結界が張られており、委員長に許可されていないマリは辿り着くことすら出来なかったのだ。学園の中で一番安全な場所と言っても過言ではない。
「ムッ!おかえり!ルシア君にスレイ君!今日は2回目の来訪だな!」
「あはは、また失礼します」
マリに追いかけられるたびに風紀委員室に駆け込むので最近は風紀委員達は何も言わなくなったが、それでも毎日お邪魔するのは申し訳ない。だけども、踵が高い靴にヒラヒラとして動きにくい女子制服で校内を走り回るのはとても疲れるし、こうして休める場所があるのはありがたい。
しかし、俺たちが申し訳なさを思う以上に、マリの猛攻は休む暇も無いほどに続いた。
「スレイくん、今日はクッキー焼いてみたの!」
「結構です。急いでいますので、それでは」
ある時は何か怪しい色合いをしたクッキーを食べさせられそうになっているのを逃げたり。
「あのね、最近紅茶の淹れ方を研究してて…きゃあっ!手が!」
「熱っ!?」
一年生との合同授業でマナー講座のお手本になった時には、転んだマリに熱々の紅茶をかけられたり。
「きゃっ、ごめんなさい!……スレイくんって、意外と鍛えてるんだね?ドキドキしちゃった……」
「…………早く出ていってもらえますか」
うっかりで着替えている部屋に入ってきたと聞いた時には、少し笑ってしまった。
マリは俺が前に読んだ恋愛教習本の基礎を飛ばして、応用の部分を見事にスレイに実践していたのだ。まったくスレイには効いていないけれど、そうやって生徒会の面々と噂になったんだろうな……
「…………うーん、行動力だけ見れば、俺も見習うべき所があるのかもしれない」
「絶対やめてください」
マリの行動がどんどん過激になっていく一方で、最近ではとうとう学園内の男子生徒達がマリに協力するようになっていた。シオン第二王子のように禁術で言うことを聞かせているのか、直接魅了したのか。俺とスレイが学園の廊下を歩くだけで男子たちがさっと道を開けてくれる。胡乱な目をしている彼らの顔は、何故か皆満面の笑みを張り付けている。
「レジーナ嬢!今日の放課後、多目的室でお茶会をやるらしいんですが一緒に参加しませんか?」
「お嬢様は放課後ご予定がありますので、お断りします」
男子生徒の一人に呼び止められると、毎回これである。もちろん迷惑なのでスレイがキッパリとお断りするが、それを何度言っても彼らはめげなかった。
「スレイ先輩!お昼休みに是非裏庭に来てください」
「お断りします。僕は貴方たちと遊ぶ暇などありませんので」
スレイに対する誘いも毎回お断りしているが効果は今一つ。これはマリの策略なのだ。ルシアとスレイを分断させて、その隙にどちらか一方に催眠をかけるつもりなのだろう。
「やめないか、君たち。2人は嫌がっているだろう」
「会長…チッ、おいお前ら行くぞ」
そこに現れたのは生徒会長のネルス王子だった。いつもの変態らしさはなく生徒会長らしく毅然とした表情だったが、どこか機嫌良さそうな雰囲気がある。下僕発言以来、マリとの関係を切っているらしい彼は、風紀委員と同じく時折来てくれるありがたい助け舟になっている。
「2人ともすまない、彼女の暴走でまた迷惑をかけてしまったな。男子生徒達は私から厳しく注意しておくよ」
「ネルス様、ありがとうございます。……彼らは魔法によって操られている可能性がありますので、お気をつけください」
「……ああ。シオンの事もあるからな、用心するよ。レジーナ嬢も気を付けてくれ」
そのまま生徒会室へと去っていくネルス王子と、解散していく男子生徒達。その後姿を見ていると突然、ピリッと肌に変な感覚が走った。手や耳などの制服から露出しているところだけ、火傷みたいに少しひりついたような。
「どうしました?お嬢様」
「……いえ、なんでもありませんわ」
その時の俺は乾燥気味だったのかもしれないと思って、その違和感を特に気にしなかった。




