別に良いけどさ
「えっ?スレイは先に帰りましたの?」
養護教諭のフランシス先生が保健室に戻って来た時に告げられた言葉に、俺は思わず目を丸くしてしまった。
「はい、スレイ君は風紀委員会でお手伝いをしてもらいたいことがあったようで。それで今日は早退していますね。レジーナさんに伝えて欲しいと風紀委員から連絡がありました」
スレイは俺のためにいつも頑張ってくれている。だから偶には休んで欲しいと思ってはいたけど……一応仕えているお嬢様に伝えずに帰るのは酷いんじゃないか?
せっかく待ってたのに。それだったらライアン委員長だって、事前に俺に伝えてくれても良かったじゃないか。
「……分かりましたわ。フランシス先生、お世話になりました。それでは失礼します」
「いえいえ。お大事に。気をつけて下さいね」
「スレイ君が居ないなら、自分が送っていきますよ。また体調が悪くなっては危ないですし」
「……ありがとうございます」
結構です。と断ってしまいたいが、俺1人で居て変態やら変態に絡まれるよりはマシだろう。なのでアリステアには、校門の先にある馬車乗り場までの道のりを送ってもらう事にした。
「………」
保健室を出て廊下を歩くと、途中すれ違った貴族女子の生徒達からビシビシと刺さる視線が痛かった。
この国の王城で働いている財務大臣を義父に持つアリステアは、元暮らしていた伯爵家で一騒動があり、親戚筋から義理の息子としてミリア公爵家に引き取られたという。彼は宮廷魔法使いも顔負けの豊富な知識と嫋やかな美貌を持っていることから、時期ミリア公爵との呼び声が高い。
今現在は婚約者が居ないらしく、虎視眈々と狙っている貴族女子からの人気も高いらしいが。
「……チッ……」
(うわ、今の子舌打ちしてきた。女子怖え…スレイ助けてくれ…)
「大丈夫ですか?レジーナさん。顔色が悪いようですが、また抱き上げて移動を」
「いえいえ!平気です!」
アリステアがまた頓珍漢な事を言い出したので、慌てて首を振る。すると彼は何かを考えるように眼鏡を直して、口を開いた。
「……貴方は本当にスレイ君のことが好きなんですね。彼の名前が出る度に、色々な感情が出てくる」
「は?違います。私は別にスレイのことなんて。……まぁ専属執事ですけれど、友人みたいなものですわ」
時々勘違いしそうになるが、スレイは本物のレジーナお嬢様の専属執事なのであって、実際俺の執事なのではない。まぁからかうときは俺の執事が!とか言ってるけど。ややこしい事をやってるせいでお互いによく分からない関係だが、上司でも同僚でもないし。友人辺りが妥当な評価かもしれない。
「そうですか、友人なんですね。であれば、これからは僕とも仲良くして下さいませんか?自分は、貴方のことをもっと知りたいです」
「……はぁ?」
こいつは突然何を言ってるんだ?
「僕は人間への耐性があまりないんです。でも、貴方のような可愛らしい隣人…友人ができたら嬉しいと思いまして。もちろん、無理にとは言いませんが」
「…いいですわよ。私はあまりご期待に沿えるような面白い話はできませんけれど」
正直、返答するのにも疲れていた。
貴族令嬢に囲まれるのには慣れていないし、ましてやこんなにハンカチを噛むほど敵視されるのは初めてのことだ。もう早く屋敷に帰って休んでしまいたいと思っていたので、 俺はアリステアの提案に二つ返事で乗ることにした。
それに、こいつは今までの変態的だった籠絡対象とは違う。下僕にしてくれ!とか匂いを嗅がせて!とかじゃ無くて、友人になりたいという至極真っ当なお願いだし。それならまぁいいかと思ったのだ。
「ふふ、ありがとうございます。僕のことはアリステア、と呼んでください。敬語も必要ありません。友人らしいでしょう?」
「んー…分かった。よろしくね、アリステア」
こうして、俺は何故か学園一の美人と呼ばれる男と友達になってしまった。ギャーという女子生徒の悲鳴と、刺さるような視線と共に。
***
屋敷に帰ると、いまだにスレイは帰ってきて居なかった。メイドのキャルに出迎えられると、1人で帰ってきた事にとても驚かれた。
「えっ!?スレイの奴、お嬢様を置いて何処かに行ったんですか!?えぇー…?まだお屋敷にも戻ってきてないんですよ。私ちょっとあいつを探してきます!」
スレイの帰りが遅いことを心配したキャルが探しに行こうとしたのを、俺は慌てて引き留めた。先生がスレイは風紀委員会との用事で早退したと言っていた。恐らく第二王子の関係でライアン委員長と処理をしているのだろう。
「待って、大丈夫。スレイはちゃんと自分で帰ってくるから。多分どこかで寄り道をしているだけだと思う」
「そ、そうなんですかね?分かりました」
帰ってきたらお叱りを受けてもらいますから!と言ってキャルはテキパキと服を着替えさせてくれた。そこで、首に怪我をしていることに気づかれてしまって更にキャルの怒りを増幅させた。
夕食を食べた後、ぼすんとベッドに倒れ込む。
公爵家のベッドはとても柔らかくて、多少暴れても衝撃を吸収してくれる高級なものだ。
「ふん、スレイは本当に勝手だ。口うるさいし、説教ばっかだし…いざという時は居ないし、………あいつ、大丈夫かな…」
誰も聞いていないからと俺はつい本音が出てしまった。スレイに悪態をつきながらも、その心はざわついていた。別に、スレイが何かを企んでいたり、居なくなる事なんてザラにある。だけど今日だけは、もやついた不安が胸を占めてしまう。
俺は寝転ぶと、枕に顔を突っ込んだ。柔らかくて大きな枕を握り拳で殴ると、ぽすぽすと空気の抜ける音がする。
「ふん!バカ!………ん?」
その時、扉の向こうの廊下から、トントンと階段を上がってくる控えめな足音が聞こえてきた。
俺はガバッと身を起こし、扉の方を見やる。誰かが来たのかと息をひそめて様子を窺っていると足音は徐々にこちらに近づいてきて、やがて止まる。コンコンとノックの音が聞こえて飛び出すように扉を開くと、そこにはお父様がいた。
「おっと、手厚い歓迎だね。ルシア君。…おや?泣きそうな顔でどうしたのかな?」
「な、泣きそうな顔なんてしてません!」
俺は慌てて顔を拭う。しかし、それはただ俺の目元を擦っただけで、ただ肌を赤らめるだけだった。
「そんな顔してたらせっかくの男前が台無しだよ。入ってもいいかい?話があるんだ」
お父様は珍しく真剣な表情で、俺のことを見つめていた。




