甘やかしたい
午後の授業が始まっても、スレイは教室に戻って来なかった。登校初日以来の空いた隣席にあのニヤケ面が居ないとなると、どうにも違和感がある。
(そりゃ、本物のレジーナを追放した相手だし、スレイも思うところがあるよなぁ…)
夢で見せられた光景のように、風紀委員室で第二王子を殺してるかもしれない。
包帯を巻いた自分の首筋を撫でながら先生の言葉をぼんやりと聞く。歴史の教科書をパラパラと捲るも頭に入ってこない。
「ですから、隣国では……我が国では軍事技術の発展と共に……帝国の……」
……そもそも、この先生の声が悪いのだ。穏やかで子守唄みたいだし、内容も地味だし……
「ふわぁ……」
そんなことを考えていたらいつの間にかウトウトしていたようで、「レジーナ=サリ=ケイプ!3度目ですよ、廊下に立っていなさい!」と先生に注意されてしまった。
***
……んん、令嬢に在るまじき失態だ。
今までに頭の上に辞典を載せて廊下に立たされる公爵令嬢がいただろうか。
いや、居るんだ。俺だ。
ごめんなさい。
平民と貴族を差別しないという建前の学園では身分は関係ないのだが…それはあくまで表向きだけだから、実際には廊下を通り過ぎていく貴族のご子息達は公爵家のお嬢様に対してこのような仕打ちがされているのを青くなって見ていた。恥ずかしいとは思わないが、あんまり見ないで欲しい。
「ふっ…スレイに見られたら大目玉ですわね」
そう言って自嘲気味に笑っていると、何処からか手が伸びてきて視界を覆った。
「廊下に立ってるなんて、いけない子ですね?」
「ひぃっ!?」
突然の事に驚いてしまい肩が跳ねる。ドサドサと辞典が頭から音を立てて落ちてしまった。耳元で甘く囁かれた言葉にぞわりと全身の毛が逆立つような心地になる。
思わず勢いよく振り向くと、そこに居たのは生徒会書記のアリステアであった。なんちゃって、と両手を広げてお茶目な仕草をしているというのに、感情が抜け落ちた無表情をしていて何を考えているのか分からなくて怖い。普段の雰囲気と全く似合っていないのも怖い。
「ななななに!?何をなさいますの!?」
キッと睨みつけて抗議するも、相変わらず人形のような無表情でこちらを見るばかりである。その態度がまた腹立たしい。
「眠いのならば、保健室のベッドで休むのが最善かと思いますよ。寝る子は育ちますから」
「え?うわっちょっと!」
アリステアの華奢な腕に反して、俺の体をしっかり掴むといとも簡単に抱き上げられた。逃げ出そうと抵抗したが、何故か力が入らないのであっさりと持ちあげられてしまう。そのままお姫様だっこの状態で抱えられて、人通りのある廊下をスタスタと運ばれていく。
「離してくださいまし!ねえ!おい!!」
「まっ!書記様ですわ…何故…!」
「キィッ……憂いの書記様が……!」
廊下にはアリステアのファンなのか、女子生徒達の悲鳴が響いていた。
見てないで助けてほしい。本当に。怖い。
***
アリステアに横抱きで抱えられて保健室に連れられると、そこには養護教諭のフランシス先生が居た。栗色の髪がふわふわとした穏やかな雰囲気の男性だ。
アリステアを見て、あれと首を傾げた先生は、特に何かを言うわけでもなく、すぐに俺の方に興味を移したようだった。
「今日は珍しく執事くんはお休みですか?いつもはレジーナさんが居ると必ずと言っていいほどヒルストくんが付いてきていたのに」
ペンで書類に書きこみながら、先生は不思議そうな顔で言った。そんな先生に対して、俺は不機嫌さを隠さずに答える。
「……ふん、スレイは何か風紀委員と用事があるようでして。授業をサボっているのですわ」
「そうだったんですか。ああ、そんなに振り乱してはせっかくの美しい黒髪が台無しですよ?顔色も良くないですし、早く休んで体調を整えてくださいね」
「自分が彼女に付きますので、フランシス先生はお気になさらず」
「……そうですか」
フランシス先生に押し込まれるようにカーテンで簡易的に仕切られたベッドに案内されると、アリステアは先生に丁寧にお辞儀をして、俺をベッドに寝かせた。一体何をされるのかと思ったが、そのまま布団を掛けられてぽんぽんと優しく叩かれただけだった。
「ほら、ゆっくり休んでください。おやすみなさい」
「はぁ?!だから…何で貴方が……ふにゃ……」
アリステアが囁くようにベッドの脇で言ってから、そっと髪に口づけをした。俺は驚いて目を瞬かせるが、すぐに眠りに落ちていった。
***
フワリとする感覚の中に浮かび上がるように起きる。まだ夢の続きにいるかのような浮ついた気分のまま眼を開けると、やはり先程と同じ保健室の光景が広がっていた。しかし先程と違うことは、横に誰もいないことだ。代わりに窓際に人の気配がする。
こちらに背を向ける形で窓の外を見つめており、窓から射す光に照らされて薄桃色の髪が輝いている。しばらくぼうっとして見つめていていると、俺が起きた事に気づいたのかこちらに振り返った。そこには口元に小さく微笑みを浮かべるアリステアがいた。
「あぁ、起きましたか。おはようございます。体調はいかがですか?」
「……少しだるいですわ。熱は無さそうですけれど」
額に手をやるものの特にいつもと変わらない。だけど、まだ眠り足りないような気もする。
「では今日は帰った方がいいですね。風紀委員会に知らせてスレイ君を呼びましたが、来られるまでもう少し時間があると思います。よければこちらをどうぞ」
アリステアは制服のポケットから小包みを取り出して俺に差し出す。ふわりとチョコレートの香りがして、お腹の虫がきゅうと小さく鳴いた。
「…ありがとうございます。いただきますわ」
一粒だけ小包を受け取りながら起き上がって礼を言うと、また優しく頭を撫でられた。
「あの……」
「はい、なんでしょうか?」
「どうして貴方はそこまで親切にしてくださるのですか?何か企んでいますの?」
アリステアの手を退けながら聞くと、彼は不思議そうに首を傾げて答えた。
「それは……あなたが美しい御令嬢だから、ですかね。それに体調の優れない方を助けるのは、人として当然のことではありませんか」
「でも、お前は俺の正体に気づいてるんだろ?こんな女男に優しくしたって意味ないと思うけど」
以前図書館で別れた時に、確かにコイツは「ルシア君」と言った。この学園でレジーナお嬢様の正体を知るのは、風紀委員とスレイだけだ。あとは学園長くらい。王族にすらも隠しているというのに、何故一介の生徒会書記が俺の正体を知っているのだろうか。
「…えぇ、もちろん知っていますよ。私は君のことをよく知っています」
そう言ってアリステアは俺の頬に手を添える。その瞬間、俺は背筋にぞぞぞっと悪寒が走った。
「っ!やめろ!」
反射的に彼の手を振り払うと、人形のような無表情が少しだけ悲しげに歪められた。
「……申し訳ありません、嫌でしたか。ではお詫びにこれをどうぞ」
差し出されたのは先程と同じ小包みだ。受け取って包み紙を剥がすと、チョコレートの甘い香りが漂ってくる。
「……」
「ただのホワイトチョコレートですよ。毒なんて入ってません。安心してください」
「チッ、餌付けのつもりかよ」
恐る恐る口に入れると、滑らかな甘みが広がった。きっと高級なお店のチョコレートなのだろう。悔しいけどめちゃめちゃ美味しい。
「……うまい」
「これは私の兄が作ったんですよ。お気に召していただけたようで何よりです」
ホッとしたようにアリステアが微笑むと、また頭を撫でてきた。コイツは何かずっと違和感があったのだが、思い当たる。そうだ、これは母さんが子供をあやすときの視線と同じなんだ。なんともむずがゆい。
「な、なんなんだよ一体。お前は俺に構うな!」
「ふふ、ごめんなさい。君は見るたびにいつも元気がないからつい心配になって」
「余計なお世話だ。放っとけ!もう触んな!」
アリステアは口元に笑みを浮かべたまま、フランシス先生が保健室に戻ってくるまでの間、ずっと俺を構い倒してきた。この男の目的も何がしたいのかも分からず、俺はポケットいっぱいにチョコレートを持って帰ることになるのだった。




