狂気に染まる
「いやー…今日も紅茶が美味いですわー…」
「こら、肘を付かない。行儀が悪いですよ」
王国の祝日以来、変態たちの様子がおかしい。なんというか、とても大人しいのだ。なので俺はすっかり気が抜けてしまっていた。
元々ネルス王子はドMでも紳士的だったのが、最近は遠巻きに視線を感じる程度だったり、廊下であっても視線を逸らされるのだ。
特にギルバートはカフェでの「あーん」以来やけに大人しくなって、俺のことを警戒しているのか避けつづけている。スレイに突っかかっているのを俺が追い払うほどだ。ハンカチの匂いすらも嗅ぎに来ない。
リカルドやメルタが時々話しかけにくる程度で、生徒会書記のアリステアは見かける事が少ないし。風紀委員会のライアン委員長はいつも通り忙しい。俺は至って平和な学園生活を送っているわけである。
「…まてよ、貴族達を籠絡しなきゃいけないのに、こんなに平和でいいのか?」
籠絡すべき対象は、第一王子をはじめ宰相の息子に財政大臣の息子、他にも隣国の王子に商会のトップとまだまだ居る。情報はなぜか名前と肩書きしか教えて貰えないが、こんな時こそこちらからグイグイ行くべきでは無いのか。
「いいんですよ、余計なことをしなくても。お嬢様は誘蛾灯のように彼らを絡め取っています」
昼休みに裏庭のテーブルで呟くと、スレイにそう言われた。誘蛾灯て。貴族を虫扱いかよ。
「そんなわけあるか。なんかさぁ…籠絡…手玉に取れている感じが無い気がするんだよ。なんていうか、みんな友達みたいな感覚というか」
だって今までの人生で人間関係を深めたのなんて、両親とリリアやオルゴ、所謂身内たけだ。仕事は日払いの現場ばかりだし、子供だから舐められていたのもあるが俺自体あまり人と関わるのは得意じゃなかった。これでも頑張っている方だと思うのだが、いまいち籠絡して手玉に取れているような気はしない。
ケルプ公爵閣下の考えは分からないけど、籠絡するのが俺の仕事である筈なのに、こんなにのんびり学園生活を送っていて良いのだろうかと思うのだ。
「…はぁ、自覚が無いのも考えものですね。ではヒントをあげましょう。お嬢様は今何をしていますか?」
「紅茶を飲んで、私自慢の執事と歓談をしていましてよ」
「そうですか。ではその紅茶とお菓子を作った方は誰でしょう?」
ふと口にしていたクッキーを見つめる。バターたっぷり、口溶けがほろほろして美味しいクッキーだ。俺がこれが好きと言ったらスレイがいつも作ってくれていると思っていたのだけど。
「えっ?あ、あら?貴方が作った物はありませんの?」
「ええ。お嬢様が食べているのは僕が用意したものです。昨夜愛情を込めて作りました。こんなに尽くしているということはつまり、お嬢様は既にこの執事を籠絡しているんです」
「そう…なんですの?」
ビシッと指をさされてきょとんとする。
なるほど、俺は既にスレイを手玉に取っていたのか。
なんという事だ。すごいなぁ…
……
…いや、絶対違うだろ。
コイツすんごいニヤニヤしてるし。
「…いや、それとこれとは違う気がしますわ。あーくっそ…人間って難しい、難しいですわ…」
ムカつくのでドヤ顔をしているスレイの頬をつねっておいた。俺は真剣に悩んでいるというのに。
「いひゃいれす。ふふ」
「スレイが揶揄うのが悪いんですわ!ふん!」
…籠絡とは、相手を丸め込んで意のままに操ること。
(嘘はついていないんですけどね)
すっかりこの乱暴で優しい吸血鬼に絆されているスレイは、ルシアの硬い手で頬を伸ばされながらもそう思うのであった。
***
スレイと小付き合いながら裏庭から教室へ戻る途中、別の場所から口論しているような声が聞こえてきた。つんと鼻に刺さるような甘ったるい匂いがして、咄嗟に扇子で口を遮る。
「マリ!なんで、なんで今日僕のことを見てくれないんだ?昨日はあんなにデートをしたじゃないか。マリ、僕は君がいないと駄目なんだ。こっちを向いて。ねぇ…マリ…」
「ごめんなさい、シオン様。今日はリカルドのイベントを攻略しなきゃいけないの。また明日になったら放課後にラブ行動しますから、邪魔しないでくださいますか?」
「マリ…!僕は君を愛してるんだ。だから僕を選んで欲しい。毎日一緒じゃないと嫌だ。ねえ、お願いだ。今すぐじゃなきゃ、嫌だ」
遠くからマリとシオン第二王子が校庭へと出てくるのが見える。二人は何か言い争っているようだ。その目立つ様子を目で追っていると、スレイの手が遮ってくる。
「…行かない方がいいと思いますよ」
「…でも、あの様子は気になりますわ」
シオン王子は籠絡対象ではない。むしろ本物のレジーナ公爵令嬢を追い出した元凶である。
「…そうですか。まぁ良い頃合いかもしれませんね。隠蔽魔法を使いますので、僕から離れないでください」
スレイは呪文を唱えると俺の手を取り、校舎の壁伝いに歩いて行く。そして茂みに隠れるようにしゃがみこんだ。俺はスレイの隣に同じようにしゃがむ。すると、少し離れた場所にある木の下に黒い影が見えた。
「リカルドくーん!はぁっはぁ…えへへ、今日も剣術の訓練をしてるの?マリも一緒にやっていい?」
訓練用の剣を持ったマリが息を切らしながら駆け寄ってきて、木の下で素振りをしているリカルドに声をかけた。リカルドはマリに気づくと怪訝な顔をしている。
「……マリ、もうすぐ試験だが、大丈夫なのか?」
「もちろん!私はクラス一番の成績優秀者だよ?だけど実技も頑張りたいの!」
「そうか、君は頑張りすぎる所があるからな。無理はしないように」
「えへへ、ありがとう!それにしても、カッコイイなぁ〜」
「何がだ?」
「ふぇっ!今の独り言、聞こえてたっ!?……なんでもないのっ!気にしないでっ」
「……まあいい。早くしないと昼休みも終わる。君も訓練がしたいならここでやればいい」
「よーし、よろしくお願いします!」
そうして、マリとリカルドは2人で素振りを始めた。お互いに汗を流し高め合う、青春の1ページを切り取ったような光景だ。というか、なんでリカルドはわざわざ短い昼休みの間に素振りをしているんだろう、授業中もダンベル持ってるのか?アイツは。
「…なあスレイ、シオン第二王子は何処に行ったんだ?あんなにマリに執着してたなら、こんな光景許さないような気がするけど」
周りには素振りをする2人以外に人影は無い。
「さてね。あの方々は何を考えているのか分かりませんから。……案外、マリさんに昏倒させられたのかもしれませんよ」
スレイは眉をひそめながら素振りをしているマリ達を見ている。
「あはは、まさかぁ。あんな可愛い子にいくら何でも……」
「……動くな」
隣に振り向いたその時、突然茂みから現れた人影がルシアを羽交い締めにした。視界に光る物が見えてそちらに顔を向けると、ナイフを首元に突きつけられていた。隣に居たスレイは驚いているのか固まっている。
「何故、お前がここにいる?レジーナ=サリ=ケイプ公爵令嬢」
「…なんの真似ですの?淑女に刃物を向けるだなんて」
羽交い締めにしていたのはシオン第二王子だった。彼はスッと紫色の目を細めて冷たい表情を浮かべると、ナイフを握る手に力を込める。
「…落ち着いてくださいませ。貴方は今何をされているのかお分かりなのですか?」
「黙れ、貴様が僕に何かしたんじゃないのか。でなければ僕の記憶がおかしいなんてことにはならないだろう。答えろ!何故、お前がここにいる!?!!」
ギリギリと締め上げられ、息が苦しくなる。後ろから締められては、牙をたてることも邪眼を合わせることもできない。暴れればナイフが刺さりかねないし、生温い魔力が肌を撫でる感覚もして、気持ちが悪い。
「っうぇ……、離しなさい!公爵の指示で来てるんです!何もしてませんし貴方が勝手に振られたんでしょう!しつこい男は嫌われるってご存知ありませんの!?」
「ッ!?うるさい、うるさいうるさいうるさい!!」
余計なことを言った気がする。と気がつく前にシオン王子は激昂した。突きつけられたナイフの刃先が頬を掠ると、じわりと痛みが広がって、痛みに顔が歪む。
「…っ痛」
「お前が…お前が…!!」
シオン王子がナイフを振りかぶったその時だった。
「…幻影解除」
隣で固まっていたはずのスレイが消えたかと思うと、虚空から飛び出てきた靴先がシオンの顔面に直撃する。
突きつけられていたナイフが手から離れ、不意打ちに体勢を崩すシオンにさらに足蹴りを食らわせて校舎の壁に激突させた。スレイは俺を解放すると、抱きつくようにしゃがみこむ。
「大丈夫ですか!?怪我は!?」
「っ助かりましたわスレイ。少し頬を切られただけですから問題ありません」
そう言いながらスレイは傷に顔を寄せた。ハンカチで拭われた所が赤く染まっていて、思ったよりも出血している事がわかる。
「……血は出ていますが、浅いようですね。…よくも…」
「なんで…なんで邪魔をするんだ!全てお前のせいだ!マリも、兄上も…!僕が悪いみたいに言う!!僕のことを愛していると言ったくせに!全部嘘なのか!?ふざけるな!こんな屈辱は初めてだ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶシオンは相当怒っているようで、今にも襲ってきそうな勢いだ。
「落ち着きなさい。あなたとマリ様を邪魔した覚えはありません。ただマリ様があなたに興味が湧かなくなっただけで、今の私には知った事じゃありません」
「ふざけるな…ふざけるなふざけるな…!」
「それに今貴方が敵意を向けるべきは、あそこの木の下でマリ様と一緒にいるリカルドのはずです」
壊れたように呟き激昂するシオンに対して淡々と答える。ついでに、あそこでマリと素振りしてるリカルドが悪いですよ、ということにしていく。それで敵意がそちらに向けば良いと思ったのだが。
「何を言っている…?マリは居ない!!お前が隠したんだろう!訳の分からない戯言を言うとは!」
「…はぁ?ですから、あちらの木の下に」
指を向けるも、ここから校庭にいるマリとリカルドなど見えておらず、俺だけを見つめるその視線に違和感がある。虚ろで濁った瞳にはなにか、魔法をかけられているような…
「スレイ、後ろからこの方を抑えつけてちょうだい。少し確かめたいことがあるわ」
「分かりました」
「…な、身体が動かない!?突然何をするんだ!ふざけるな!!」
俺を見つめ続けるシオンは、あっさりと邪眼を使うことが出来た。少し身体が動きづらくなるだけだと思うが、後ろから固く押さえつければもう何もする事は出来ないだろう。
「失礼しますわ。シオン様」
「何を…っ!?……?!…何をしている…?!」
そのまま襟をめくり、首筋に牙を立てる。強めに噛み付くが、ピクリとも痛がる素振りがない。血を吸っても、リカルドみたいな反応はない。あまり美味しいとは言えない血をもう吸い上げていくと、徐々に大人しくなっていった。
「はぁっ……?…?」
力が抜けたのか、くたりと地面に倒れ込むシオン。顎を持ち上げて、虚になっている紫色の眼を合わせると、眠りの邪眼を見せて眠らせる。
『眠れ。……ふぅ、これでよしっと」
「眠らせてしまって良かったのですか?」
「おう。薬が禁術かわからないけど、洗脳みたいな状態になってるからな。下手に正気に戻しても暴れたら面倒だ。このまま保健室…いや、風紀委員室に連れて行こう」
下町でもこの瞳をしている人間を見た事がある。薬物を常用している女だったり、使役されている奴隷だったり。この間読んだ禁術の本にも、この症状に近いものがあった気がする。精神に作用して感情の起伏を抑えるような、そんな魔法だった。
…しかし、王族に対して誰がなんのためにそんなことをしたのだろうか。
このまま止めを刺そうとしているスレイをなんとか説得して、俺たちは旧校舎へと第二王子を運んで行った。




