思いついたらやってみよう
その日は朝から雨が降っていて、外は厚い雲のせいで薄暗かった。
「暇ぁ…」
薬学理論の授業が終わった放課後、俺は風紀委員会室に一人で居た。ライアン委員長から呼び出されていたのだが、スレイ共々学園長から急な呼び出しがあったらしく、用事が終わるまで風紀委員会室で待ってて欲しいと言われてしまったのだ。
「そうだ。この間使った魔法が書かれた本って確か風紀委員会が保管しているのよね。ちょっと拝借しようかしら」
変態の対処、もとい暴力沙汰の時に闇の眷属化は大いに役に立つ。吸血鬼が得意な禁術を他にもいくつか覚えておけば、もしもの時に役に立つかもしれない。
奥にある棚から禁術が書かれた本を手に取ろうとすると、何故か目の前に黒い影が落ちた。
「おい、何をする気だ」
「ぅ、わぁっ!?」
突然後ろから声を掛けられて、思わず悲鳴を上げてしまう。振り向くとそこには黒い制服を着た生徒が立っていた。
「驚かせてしまってすまない。それは委員長の許可なく持ち出すのは禁止されている本なんだが」
「え……あ、ごめんなさい。返却します」
俺が慌てて禁書を返そうとすると、その男子生徒は眉をひそめた。
「君は見るに貴族令嬢だろう。そのような禁術に興味があるのか?」
「あー…えっとぉ……」
まずい。
風紀委員会室にいるからてっきり事情を知っている風紀委員だと思っていたのだが、もしかして彼は一般の生徒なのだろうか。公爵家の力で恐らく許可されていると思うのだが、禁術に手を出すというのは本来は王国法では重い刑が下るものなのだ。
「…もしや君がレジーナ公爵令嬢か?吸血鬼とは、もっと恐ろしい見た目をしているものかとおもっていたが」
「そ、そうですわ!レジーナがレジーナです。ほら、牙もあります!」
一応事情を知ってる風紀委員だった!俺がそう言って生まれつき有る八重歯を見せると、目の前の男子生徒は目を丸くして驚いた。
「失礼した。…だがとても綺麗だ。まるで芸術品のような美しさだな」
「えっ?あ、ありがとうございます?」
面と向かって褒められて、少し照れる。お嬢様の格好とは言え、使用人と俺とで努力して磨いた容姿を褒められるのは悪い気はしない。だが、この人は誰なんだろう。
「俺はリカルド=シュルツという者だ。委員長から先輩の話は聞いている。禁書については自由に読むと良いだろう」
どうやらリカルドは俺の正体を知っているようだ。安堵していると、ふとその名前に引っかかる。確かシュルツというのはこの王国の騎士団長の家名では無かっただろうか。
「ありがとうございます。あの…もしかしてシュルツ様は、騎士団の方ですか?」
「リカルドで良い。俺は一年生だ。ああ、騎士団には入らなかったが、騎士団長である父上に憧れていてね。よく訓練場に遊びに行くんだ」
なるほど、騎士団長の息子。確かによく見ると腕や脚は筋肉で引き締まっていて、誰もが憧れるような肉体美が制服の中にあるのだろう。同じ学年かもしくは上級生かと思った。羨ましい限りだ。
「そうなのですね。だからこんなに筋肉が…あら、すみません不躾に見てしまって」
ついじっくりと見つめてしまったのを謝るとリカルドは照れたように笑った。うわっ眩しい。俺が女の子だったら惚れてるぞ。
リカルドと互いに挨拶をしてそれから少しの間、禁術についての本を読んでいた。相変わらず黒い紙に白い文字が書かれているのが奇妙に感じるが、様々な吸血鬼の禁術について知ることができた。
(特にこの邪眼というのが使いやすそうだ。瞳を合わせるだけで相手に麻痺や魅了、威圧や昏倒などを起こすことができる。ただし相手も自分も目を合わせないと発動しない)
邪眼の能力は特にデメリットは無いし、吸血することで相手の意識を混濁させると、さらに威力をあげることもできるようだった。
しかし問題は……
(…そのほかの体液でも可能なのか。涙に唾液…血の上位互換もあるらしいけど…うん、使う事は無いな)
血というのもあまり良い気分ではないが、他の体液を啜るというのもちょっと嫌だな。鼻水とか汗とか。でも、牛乳も牛の体液ってことだし。……よし、これに関しては深く考えないようにしよう。
そうして一通り吸血鬼が使えそうな禁術の部分を読み終えると、リカルドがこちらをずっと見つめていたことに気づいた。
「あ、読み終わりました。とても勉強になりましたわ」
「……そうか」
そう言って俺は禁書を閉じると、なぜか残念そうな顔をされた気がする。もしかして禁術に興味があったのだろうか。
「…リカルド様も禁書を読まれたかったのですか?よろしければお貸ししますよ。レジーナもまだ全部読んでいないですから…。えーと…『禁術による魅惑と催眠』はもう読まれてますの?」
今読んでいた本の表紙に書いてあった題名を読み上げると、リカルドは驚いたような表情を浮かべた。何かおかしかっただろうか。
「…っああ、ありがとう。面白そうだとは思うが、俺はその文字を読むことはできないからな。気持ちだけで充分だ」
「え?そうなんですの?」
よくよく聞けば、どうやらこの黒い本は吸血鬼や悪魔などの人ならざる者や、禁術が使えるほどの魔力持ちでないと読むことすらできないらしい。だから俺は変な文字だったのに読むことが出来たのか。
リカルドは苦笑いしながら、本を書棚に戻してくれた。しかしこの本のどこが面白いんだろう。確かに禁術は便利だし内容は興味深かったけれど。
(……あれ?そういえばあの文字が読めないなら、じゃあなんでリカルドはこの本に禁術のことが書いてあると知っていたんだ?)
いやまあ、風紀委員なら内容を読まなくても蔵書は把握しているものなのかもしれない。それより今は大人しくスレイとライアン委員長を待たないといけないな。
ソファで寛ぐように座っていると、こちらを見ていたリカルドが口を開いた。
「…あの、吸血鬼には、吸血衝動というものがあるのだろう?それで人を襲うなんてことは無いのか?吸血鬼に吸血されると人間でも吸血鬼になるという噂を聞いたことがあるが……。先輩は違うのか? 」
「ん?んー…そうですわね…」
確かライアン委員長曰く、吸血鬼は人の生き血を飲み干す事で飢えを満たすのだ。それは吸血鬼の本能のようなもので、飢えれば理性を失うことも、もちろん無いわけではないと聞いた。
「レジーナは吸血鬼ですけれど、今までに吸血衝動を起こした事はありませんわ。それに吸血しても禁術で操ることができるくらいで、人が吸血鬼になることはないんじゃないかしら」
俺は普段ミルクやチーズなど乳製品を食べることで事足りている。牛の乳というのは元は血液が子供に栄養を与える為に変化したものであり、血に近いのだ。どんなに食べても乳製品しか腹に溜まらないというのはこれが理由だし、多分そのおかげで吸血衝動が起こっていないんだと思う。
まぁ日に当たっても平気だし、生命力が強いとか聞いていたし。真祖というのはやっぱり特別なんだろう。
「そうなのか、吸血で禁術を。ふむ…」
それを聞いたリカルドは何を思ったのか自身の指先をガリッと噛んだ。そしてたらりと血が垂れた手を俺にの目の前に差し出す。
「やってみてほしい。興味がある」
「な」
何を、と続けようとした言葉が出てこなかった。突然目の前に差し出された食事に、思わず舌舐めずりしそうになった。
…いや食事?一体何が、あ、やばい。美味そう。
混乱する頭の中を埋めるのは、吸いたいという欲求と渇きだ。今までこんなことは無かったのに、突然どうして?
「はむ…」
だけど深く考えることが出来ずに、その欲求のまま俺はリカルドの指にかぷりと吸い付いていた。




