虚構と現実の狭間に
午後の授業が全て終わると同時に教室を出る。あまりぐだぐだとしていると変態や変態に捕まる危険性もあるのだ。
(図書館って実は初めて来るんだよな。帰りに何か借りてこうかな)
スレイと一緒に指定された西棟の図書館へ行くと、天井まである高い本棚が出迎えてくれた。この学園の中にある図書館は、娯楽小説に魔導書から古文書まで幅広く取り揃えられている。その蔵書数は禁書庫も含めると数万冊という噂があり、この知識の宝庫は学園に通う生徒と先生だけが使える特権である。
そんな図書館の入り口近く、窓際の席で一人の男子生徒が本を読んでいた。色素の薄い桃色の髪が陽光に透けていて、儚い印象がある。ふと目についてそちらを見ると、目が合ってしまった。
「あぁ…君がレジーナ公爵令嬢ですね」
その男子生徒は本から顔を上げてこちらを見る。固い表情に蜂蜜のような色合いの瞳が眼鏡の奥で揺れていて、白い制服も相まってなんだかミステリアスだ。
「はい、そうですけれど……貴方は?」
「アリステア=ミリア。生徒会で書記を務めています。よろしくお願いします」
人形のように整った顔は、ぴたりとも表情を変えない。確かその名前は籠絡対象の一人に居た気がする。この王国の財政大臣であるミリア公爵、その息子だったはずだ。だけどもそんな奴がわざわざ俺に何の用だというのか。
「初めまして。レジーナ=サリ=ケイプと申します。もしかして、図書館に呼び出したのは貴方ですの?私に何か御用?」
「はい、実は君の兄上が私の従者に手を出したようでして。話を聞かせてもらいたいのですが、お時間はよろしいでしょうか」
「はぁ…?」
なんだそれは。全く身に覚えが無いし、俺にも本物のレジーナにも兄なんて存在しない。世界一可愛い妹は居るが、平民のリリアにそのような事が出来るわけがない。
「よろしくありませんわ。私に血を分けた兄弟など存在しておりません。お話は伺いますが、まずは証拠を見せて頂きたいのですが」
アリステアは驚いたように目を開く。
「本当に知らないのですか?なら何故貴方は女物の服や装飾品をつけているのでしょう」
俺は黙って自分の服装を見下ろす。白い制服とリボンは確かにレジーナお嬢様の格好だ。だがなぜそんなことを聞くのか。
「私が公爵令嬢だからですわ。その身にふさわしい装いをして何の問題があるのです?」
アリステアのよくわからない問答に答えていくと、彼は呆れたような声を出す。
「ふぅん……これは困りましたね。どうしたものか」
そしてしばらく考え込んだあと、顔を上げた。
「まあいいでしょう。とりあえずこちらに来てくださいますか?」
そう言ってアリステアは立ち上がると、図書館の奥へと歩き出す。俺はその後ろをついて行くことにした。
そこで気づけばよかったのだ。公爵令嬢に対して無礼とも言える発言を繰り返すアリステアに対して、お嬢様専属執事のスレイが先程から一言も喋っていないことに。
***
図書館の奥には、三日月と星の装飾が施された扉があった。アリステアが同じように装飾が付いた鍵を回して開くと、その扉の奥にあったのは生徒会室だった。
「…えっ?」
中に入ると数人の男子生徒とマリがいて、全員が俺を見て目を見開いた。
「あ〜レジーナちゃんだぁ〜!」
「なっ…レジーナ嬢?なぜ君が…!?」
「先輩!?ほ、本当だったんだ…」
貴族然とした豪華な装飾の部屋の中には机が四つほど並んでおり、真ん中に大きな長テーブルが置かれている。そこには書類らしきものがたくさん置いてあった。
一番奥には大きな机があり、そこには窓からの日差しに金髪を透かせるネルス王子がいる。生徒会長である彼がこの部屋の主のようだ。
「皆さん。少し話があるのですが、宜しいですか」
「ひっ!?」
アリステアがこちらに歩いてくると、俺の手を取る。触れられた手は氷みたいに冷たくて、思わず声が出てしまった。
「ああ、すみません。……ふむ、少しは効いてるみたいですね」
「な、なんなんですの……」
彼はそう言うと手を絡ませるようにして握る。そこから体温が奪われていくような気がして身震いしそうになる。
「話ってなぁに〜?レジーナちゃんと良い事できるとかぁ?」
「ギルバートったらぁ〜そういうのはよくないよぉ〜」
ニヤニヤとこちらを見ているギルバートに、マリがニコニコ笑いながら注意する。相変わらずとても気持ち悪い。マリは頼むからもっと強めに注意して欲しい。メルタを打ちのめした時みたいに。
「あはぁ。レジーナちゃんが男の子だったら色々楽しめて良かったのにねぇ」
「……っ、っ…?」
ギルバートが微笑みを浮かべてさらに近づいてきた。すんすんと鼻を寄せて髪を嗅ごうとしている。
なんだこれは。怖い。何故か声も出せなくなっていて固まっていると、ギルバートの間にネルス王子が間に割って入る。
「やめろギルバート。レジーナ嬢が困っているだろう。それに彼女は女性だ。マリと取り決めた約束では、もう異性には手を出さないと言っていただろう?」
「はぁ〜い」
ネルス王子がギルバートを睨むと、ギルバートは笑みを浮かべたまま肩をすくめた。
「レジーナ嬢、このような所に居てはいけません。…私だけを蔑んでくださればいいのです。その赤い瞳で、睨んで頂くのは私だけでいい……」
(いや、良くないが?)
変態から助けてくれた事に少し安心していたのに、目の前のネルス王子はまたおかしな事を言いはじめた。助けを求めて、顔を赤らめているメルタに視線を向けた。
「……」
「先輩そんな…物欲しげな顔しないでくれ!?オレはどうすれば!?」
メルタが混乱して頭を掻いている。くっそ、好きとか言ってきたのにこいつにも見捨てられるのか……
俺が絶望していると、それを見ていたらしいマリがにっこりと笑う。
「まあまあ、皆落ち着いてよぉ。今日はぁ、ちょっと聞きたい事があるんだよねぇ?シオンさま?」
コツコツと足音を立てて、部屋の脇に居た紫色の髪の少年に近づくと、マリは腕を絡ませてしなだれかかった。シオンと呼ばれた少年は静かにこちらを見つめていた。
この人は副会長だっただろうか。確かスレイと食堂に行った時にマリを諌めていたような気がする。生徒会の中で一番常識人であると勝手に思っていたのだが、副会長は確か……
「なぜレジーナ嬢がここに居る?貴女は修道院に送ったはずだ。この学園はお前には相応しくない」
シオンは眉をひそめて問いかけてきた。一言ごとに肌を撫でるような生温い風がふいて気持ち悪い感覚がする。どうやら本物のレジーナとは因縁深いようだ。だけどシオンの偉そうな物言いに対して、俺は同じように言い返す。
「勝手なことをおっしゃいますのね。私は学園を辞めていませんわ。お父様の意志でここに居ますのよ」
籠絡しろっていう命令だから俺はここに居るんだ。正直に俺が答えるとシオンは鼻で笑った。
「貴女のような愚かな存在が学園に残るなど許されない。ならば早く退学届を出すべきだ。それともまた僕に無理矢理追い出されたいとでもいうのか?それはそれで挑発的だな」
ぬるぬると風が、いや、これは魔力だろうか。シオンから発せられる気持ち悪い感覚が体を包むように、ぞわぞわと立ち昇ってくる。ああもう。
「気持ち悪い」
バリッと破裂音が鳴って身体を包むシオンの魔力を断ち切った。身体の血が沸騰してるみたいに熱い。いつのまにか、マリステアに握られていた手は離れていた。
「なっ!?威圧が…!?」
驚くシオンに俺はゆっくりと詰め寄る。コツコツとヒールの音が部屋に響く。
「いい加減にしてくださらない?こんな嫌がらせをするなんて品性下劣とは貴方のことね」
ふざけるなと睨みつけると、シオンの顔色がみるみるうちに青ざめていく。
「…僕はそんなつもりは!ただ……」
「イイワケですか?」
抑揚の無いマリの言葉にびくりと肩を震わせるとシオンは口をつぐんだ。俺はシオンの目の前に立つと、胸ぐらを掴んで引き寄せた。
『お前がレジーナにやった許されないことはわかっているな?お前が犯してきた罪は重い。愚か者は果たしてどちらかな』
パチンと指を鳴らすとシオンの体が宙に浮いた。ばたばたともがくシオンの周りをいつの間にか大勢の人が囲んでいる。貴族、令嬢、使用人に平民…口々にシオンへの怨嗟を呟いて、シオンに何本もの手が伸びていた。
「貴様…ッレジーナお嬢様を…返せぇええ!」
その中には壊れたように泣き笑いをしているスレイの姿もあった。あまりにも酷い、絶望して壊れた人形のようなその姿に思わず胸が締め付けられた。
「スレイ…」
「ふむ……虚構とは言え、このような結末になりますか。実に興味深い。複雑な味になるものですね」
「ん?」
その光景を眺めていると、いつの間にか隣にはしれっとアリステアが立っていた。俺の手を掴むと、暖かい湯の中から冷たい外気に晒されるように、現実へと引き戻された。




