きっとこれは悪い夢
スレイ視点。
ちょっとだけ背後注意かもしれません。
目を開けると、目の前にはレジーナお嬢様の顔がある。彼女は満足そうにスレイを見下ろしていて、黒い髪が顔に掛かってくすぐったい。
「…ん?」
僕はとても混乱していた。何故レジーナお嬢様…いや、女装しているルシアさんの膝枕で寝ているんだ?一体どういう状況なんだ。これは。
周りを見渡すと、そこは屋敷にあるソファの上だった。そしてルシアがスレイの頭を撫でていたのだ。ルシアはスレイが起きたことに気づくと、ふわりと微笑みかけてくる。
「おはよ。良く眠れたか?スレイ」
「…おはようございます?…あの、この状況は一体…」
クスクスと笑ってルシアが頬をついてくる。
「ん〜?日頃のお礼だよ。お前にはいつも世話になってるからな」
「……そうですか」
なるほど、これは夢の中に違いない。スレイは瞬時に判断した。僕がルシアさんの前でこのような痴態を晒すなんてことは耐えられない。恐らく、何か酷く疲れることがあったからこのような夢を見ているんだろう。
「ほら、沢山撫でてやるからな。スレイは俺のペットだからさ」
「え、あの、ちょっと」
スレイは自らの心を奮いたたせて状況を整理しようとする。が、ルシアが彼の額を軽く叩いてきた。普段と異なる行動は夢である証拠だ。確かに痛くはないが、何かおかしい気がする。
「お嬢様、あの僕はそのような事は」
「お嬢様は違うだろ?ルシアって呼べよ。るーしーあ」
口をふにふにと触られる。るしあ、の形になるように触っているのだろうが、あまりのくすぐったさにスレイは顔を真っ赤にして、恥ずかしげに顔を背けた。
「ル、ルシアさん…やめてください」
「ダメだぞスレイ、ルシアと呼べ。さんは要らない。ほら、言ってみろよ?」
なんなんだこれは、とスレイは泣きそうになりながら思った。だが、ここで泣けば夢の外でも本当に泣いてしまいかねない。それだけは避けなければとスレイは必死に堪えた。
「言えないのか?悪い執事だなぁ?」
しかしルシアがスレイの耳元に唇を寄せてきた。吐息がかかってゾクッとする。
「なっ!?︎」
「言えるまでやめないからな」
「……っ……ル、ルシア……」
「うん。よくできました。ご褒美をあげよう」
ルシアがスレイの顎を持ち上げてキスをした。触れるだけのものだが、スレイの脳内では盛大な爆発が起こったような心地になる。
「っ…!??」
「……っふふ、可愛いなぁお前」
ルシアがスレイの頭を抱きしめるようにして身体を押し付けた。薄い布越しに控えめだが柔らかな感触が伝わってきて、スレイの心臓は早鐘を打ち鳴らして口から飛び出そうだ。
「う……ルシアさん……?」
スレイは泣き出しそうな声で言った。その声を聞いてか、ルシアがスレイの顔を上げさせる。
「そんな顔すんなって。別に取って食おうって訳じゃないさ」
だからもっと楽しいこと…しよーな♡
そう言ってルシアは赤い舌をちろりと出して、僕に…
……
…
「……ハッ!??…ゆ…夢ですか…」
ガタンゴトンと揺れる馬車の中でスレイはギリギリの所で目覚めた。あんな夢を見るなんてよほど疲れているのか……と枕にしていた暖かいものから離れようとした。そこでやっと気づく。自分が何を枕にして寝ていたのかを。
「……っ………!?…」
スレイは顔を真っ赤にした。慌ててそれから離れようとするが、それはスレイの頭を抱え込むように眠っていた人物によって阻まれる。
「んー…りりぁ…」
「……」
「……もうちょっとだけ……」
スレイは今度は抱き枕をさせられた。ルシアの胸の中に収まる形で抱かれているのはスレイである。
緩やかな心臓の音とミルクのような甘い香りがする…
「……………………死ぬ…」
ガタンゴトンと揺れる馬車が屋敷に到着するまで、スレイは息が止まるような思いだった。いつも匂いを嗅いでくるギルバートの気持ちが少し分かってしまったのが、とても悔しかった。
***
「んー…ふがっ」
俺は馬車が屋敷に帰る途中ですっかりうたた寝してしまった。最愛の妹とのんびりピクニックに行く夢を見ていて、屋敷に到着して目が覚めると隣に座っていたスレイがとても息苦しそうな苦々しい顔をしていた。
「…ルシアさん起きてください、屋敷に到着しましたよ」
「…ふわぁ…おはよう…寝てた…」
「早く降りましょう。……あの、なんの夢を見ていたんですか?」
「んん…?妹とピクニックに行く夢だなー…」
「…………そうですか」
スレイは深くは聞かなかった。聞いたら最後、ルシアが夢の内容を話し始めるからであった。シスコンである彼に最愛の妹に関係する話を聞くと、長くなることは良くわかっている。
屋敷で夕食を済ませている最中も、湯浴みをしている時も、ルシアはいつもよりも眠気が取れないようだった。疲労が溜まっているのか何をしていてもウトウトと眠りかけてしまう。
「今日は早めに休んだほうがいいですよ」
「おー…でも課題、終わらせないと…」
「明日で良いでしょう。ほら、髪がまだ濡れていますよ。乾かしますね」
スレイは手慣れた様子でルシアの髪を乾かし始めた。ルシアは眠気眼でぼんやりとしている。
「眠いんですか?」
「……んー……んん……」
スレイの問いかけにこくりと素直に首を縦に振る。スレイはため息をつくと、ルシアの肩を押してベッドに押し倒した。スレイはルシアに布団をかけるとそのままベッドサイドの椅子に座り、ぽんぽんとあやす様に優しく触れる。
「……もうちょっとだけがんばる……」
「はいはい。おやすみなさい」
スレイが優しく声をかけてしばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「まったく、本当に困った人ですね」
スレイは呆れたように言うと立ち上がって、ルシアの部屋から立ち去った。
***
それは、とぷん、と暖かい水の中にいるような、不思議な心地の夢だった。
「おかーさん!いもうとはいつうちに来るの?」
「あらあら、ルシア。いつもその質問をするわね。次の新月になったら、あなたはお兄ちゃんになるのよ〜!」
「やったー!」
黒髪を三つ編みで束ねた女性は薄く笑うと、俺の頭を優しく撫でてくれた。そうだ、お母さんはどんな時でもすごく優しい笑顔をしていた。
俺はお母さんのお腹をそっと触ってみる。ここに俺の妹がいるんだ。そう思うととても嬉しくなった。
「ふふっ。ルシアったら、あんまりお母さんのお腹をいじめちゃだめよ」
「うん。わかった!」
ガチャンと音が鳴って、家の扉が開く。
「おばさん、ルシア、遊びに来たぞ」
お母さんと喋っていると、橙色の髪の少年がお菓子を持ってやってくる。オルゴは小さい時こんな姿をしていたっけ。今はあまり仲良しという関係ではないが、昔はお兄ちゃんみたいに慕っていた。
「ルシア、オルゴくんがお礼だって言ってたから受け取ってあげてちょうだい」
「う?うん!」
お母さんがお腹を触るのをやめろと言うので、渋々手を離す。
「ほれ」
オルゴが持ってきたのは白いチョコレートだ。高級品なので、滅多に食べることができない。だけどその甘みを思い出してごくりと喉が鳴った。
「ありがと!オルゴ!これ大好き!」
「ふん、おばさんにはいつも世話になってるからな。それくらい安いもんさ」
「へへへ…」
俺がお礼を言うとオルゴは少し照れたように目を逸らす。そんな2人を見て、お母さんは微笑んでいた。暖かくて、いつまでもこの時間が続けば良いだなんて思っていた。
……
「……お母さん……」
「……」
寝息を立てるルシアからは、静かに涙がこぼれていた。悪夢では無いはずなのに、泣いてしまうとはどういう事なのだろうか。柄にもなく心配した面持ちになると、彼はベッドの側に近づく。
黒い睫毛から溢れる涙を指先で掬い取ると、雫となった。それを舐めてみるとほんのり甘しょっぱい。……夢の中ではあんなに楽しそうだったのに、不思議だ。
「悲しい夢は……あまり好みじゃ無いですね」
それを見守っていた蜂蜜色の瞳は、悲しげに細められた。




