橙色の決壊
「めっっっちゃねみぃ…ですわ…」
「だから食べ過ぎではと言ったんです」
食べ過ぎて午後の授業中に睡魔に襲われた俺は、ゆったりとした歴史の先生の声を子守唄に、ウトウトとしていた。ふと、視界の端に鮮やかな色が差す。
(……ん? なんだ?)
窓の外を見ると、校庭に橙色の髪の少年が立っていた。先程昼食を食べていた時に睨んできた子だ。木の影でウロウロとして何をしているんだろう?
(あ、マリちゃんが来た。相変わらず胸でかいなー…)
桃髪をポニーテールにして、訓練服を着て走っていた。その豊満な胸に男子生徒が目を奪われている。身体能力を上げる授業をしているようで、先程の橙色の少年の前に差し掛かった時に、マリは盛大に転んだ。
(聞こえないけど、いったーい!って言ってるのが聞こえるな。受け身全く取れてないし、運動音痴なのかも。あ、さっきの子が駆け寄った。何か言い合ってる)
少年とマリはお互いに指を指して喧嘩をしているようだったが、しばらくして少年がマリの背中を掴んで、王子様のように抱きかかえようとしていた。少年はマリとあまり身長差が無いが、大丈夫なのだろうか。
はらはらとしながら見守っていると、少年は震えながらもなんとかお姫様抱っこでマリを持ち上げていた。
(が、がんばれ…!がんばれ!)
思わず両手を組んで応援してしまう。自覚は無いが、ルシアは年下に甘い節がある。妹を変な目で見るような男は許さないが、平民として暮らしていた時は兄のように慕ってくる近所の子を可愛がっていたのだ。
その後橙色の少年はよたよたと小鹿のような歩みながらも、校舎内へとマリをお姫様抱っこしていった。少し頬を赤らめているのは身体に力が入っているからなのか、腕に抱えている女の子を慕っているからなのか。
(すげぇ…物語みたいなことってあるんだな)
なんとも甘酸っぱい光景だった。
「あれが青春ってやつか…」
「…………」
頭の後ろに刺さるような視線を感じてそちらに顔を向けると、俺の隣の席にいたスレイは何故か眉間にシワを寄せていた。
その後、またしても歴史の先生の声を聞いて睡魔と戦うことになったのだが、呆れたスレイは俺を起こしてはくれなかった。
***
「ふわぁ……置いてくなんて酷すぎですわ……えっ!?」
放課後、何故か機嫌が悪いスレイに置いて行かれて廊下を歩いていると、突然後ろから肩を強く引かれて壁に押さえつけられた。
「痛っ、なんですの!?」
ドンという衝撃に驚くと、目の前に橙色の少年が立っていた。橙色の少年は俺を睨みつけながら、見上げる形で俺に詰め寄った。
「お前…何故学園に戻ってきたんだ?ここに居たらまたマリの邪魔になる事は分かっている筈だろうが!」
ギリッと肩を掴む手が食い込む。俺は痛みに顔を歪めた。
「っ離してくださいまし!何の話だか分かりませんわ」
「嘘つけ!じゃあなんでスレイといちゃいちゃしてやがんだよ!アイツはマリの次の『攻略対象』なんだ。…第一王子といい、マリの邪魔してるのがわかんねえのかよ!」
マリの邪魔?というか、スレイといちゃいちゃした覚えはない。それをいうならギルバートの方に文句を言ってほしい。アイツの方こそ、よくスレイに抱きついたりセクハラしたりしてるはずだ。俺にそれを言うのはお門違いだと思う。
「そんなこと知りませんわ!大体、貴方の言っていることは意味不明です。スレイが誰とお付き合いしようと勝手ではありませんの?」
「うるせえ!!オレは知ってんだぞ。お前は休学してから変わった…!何か隠し事をしてる!」
そう言って彼は俺に顔を近づけた。その灰色の瞳には怒りが宿っている。いっそ禁術で眷属化させた方が楽だろうかと思案していると、ツンと鼻をつくような甘い匂いがして、彼の背後から声が聞こえた。
「そこで何してるの?メルタ」
そこにいたのは、桃色の髪の少女、マリだった。以前に聞いたような甘い声ではなく、マリは冷たい声と視線で少年を見下ろしていた。
「マ、リ……」
「お助けください!この方は急に私を押し倒そうとしましたの。私、怖くて……」
手が緩んだ隙に、サッと両手で顔を押さえて涙を流すフリをする。これは屋敷のメイドに教わった必殺技『被害者のフリ』だ。実際のところ壁に押さえ込まれた被害者なのは俺なので、なるべくこの少年が全面的に非があるように見せる。
「なっ!?ちがっ」
「メルタ?あんた女の子に無理矢理迫るなんてサイテーね!?あの、大丈夫ですかぁ?メルタはちょ〜っと頭おかしいんですけど、悪い奴じゃないんで許してあげて下さいね」
マリはニッコリと微笑みながら、俺を庇うように立ち塞がった。よし。こういう時に女の子は強い。
「マリ!?…コイツが悪いんだぞ!?なんで…なんで、お前が……」
「何よ、私のせいだって言いたいわけ?それにしても最低なのはどっちなのかしら?あんたはさっきだってイベントの邪魔して…!」
はてさて、この2人はお姫様抱っこするような甘酸っぱい関係じゃなかったのだろうか。マリがメルタという少年に詰め寄る度に、彼の顔色はどんどん青くなっていく。
「ちがう、オレはただ、お前が心配で……」
「そういうのはもう、いらないんだってば!もう、これだから幼馴染属性はぁ!!」
キンとした声でマリが叫んで、メルタを突き飛ばす。先程お姫様だっこしていた力は何だったのか、彼はマリに簡単に壁まで吹き飛ばされてへなへなと地面に尻餅をついた。
「もう知らない!きらい!べー!」
マリが居なくなった後、廊下には引き気味の俺と呆然としたメルタが残されていた。
ずいぶんと大人しくなったメルタを見ると、先程の俺に詰め寄っていた苛烈さとは打って変わって、俺の服の裾を握りしめて泣き始めた。
「っひぐ……うっう………うええぇん…!」
「ちょ、っと、裾を離して…あああ制服に鼻水をつけないでくださる!?」
スレイ(盾)が居ないだけで何故こんなに面倒臭いことに巻き込まれやすいんだろう。ここにいない執事の事を思い浮かべながら、ひとまず俺は哀れな少年の背中をさする。
「ぐすっ…ひっく、オレ、がんばって…生徒会も、ちゃんと、できてる、つもりだったのにぃ……!」
メルタは鼻水をズビーッと勢いよくすするとまたしくしくと泣き始めた。さすがに可哀想になってくるが、ここで慰める訳にもいかないし。
「あー…まあ、とりあえず場所を変えましょうか。ここだと人目につきますし」
メルタは泣き腫らした目を瞬かせてコクンと肯いた。
***
俺達は学園の裏庭に来ていた。ここは手入れされていない草木が多く、日当たりもあまり良くない。変態王子との話し合いも済ませられたこの場所なら人目につかないし、話を聞くのにちょうど良いだろう。
「ほら、裾で拭かない。ハンカチはお持ちでないの?全くもう、沢山ありますから使ってくださいな」
「……うん……」
俺はハンカチを差し出してやる。メルタはそれを素直に受け取って涙を拭った。そして小さく頷くと俺の袖を握る。そのまま引っ張られるので、仕方なく腕を引かれながら裏庭を歩いていく。メルタが日陰になっているベンチに座ったのでそのまま隣に座るが、袖は握られたままだ。離してほしい。
「オレ…マリとは幼馴染で…小さい頃から、ずっと、片想いしてたんだ…!なのにあいつは全然気付かないし、突然、王子とか、色んなやつと、付き合い出すし…最近はむしろ俺を邪魔扱いするようになって……ううぅ……」
どうしよう。めっちゃ長引きそうなんだけどこれ。というか何でこの子、俺が相手してやってるとか思うのかなぁ……そもそもレジーナお嬢様がそんな話を聞く人じゃないことは、さっきの言い分からしても分かっているだろうに。
メルタはしゃくり上げながらも言葉を続ける。
「だから……あいつがスレイを落とすって……無理だって、思ったけど……せめて、手助けしないとって思って……ぐすっ…でもやっぱりっ……悔しくて……っオレの方が、絶対マリのこと好きなのにぃぃ……!」
「……はぁ」
なんか面倒くさいな。というか、それはアレだ。
「マリさんの事は諦めた方がいいんじゃありませんの…?」
思わず本音が漏れる。その瞬間、メルタはバッとこちらを振り向いた。え、怖い。
「な、なんでだよ!?」
「えぇと、マリさんはそういうおせっかいが、嫌なんだと思いますわ……? それに話を聞く限り、マリさんは恋多き方ですし…そんな方を追ったとしても、不幸になるだけなのではないかしら」
本物のレジーナを追い出したという件も、おそらくはマリが関係して起こった事なのだろう。ならば、メルタも学園から追い出される可能性があるのではないだろうか?
「……そうかもしれないけどさぁ……マリには好きな奴と一緒にいて欲しいんだ……例えそれが、オレじゃなくても、あいつが幸せならそれで……ただ、それだけなんだよ」
そう言って、メルタはまた俯く。
俺は少し考えて、その橙色の頭にぽんと手を置いた。
「…お前は乱暴だけど、いいやつだな。マリちゃんが羨ましいよ、こんなに想ってくれてる人がいてさ。大丈夫だって、マリちゃんはきっと幸せになる。だからもう泣くな。ほら、もう一枚ハンカチ貸してやるから。ちゃんと鼻かめ」
ギルバート対策に何枚も持たされているハンカチを取り出して渡すと、メルタはきょとんとしたあと、それを受け取ってズビーーッと盛大に鼻をかんだ。そして俺を見上げて笑う。
「ずびっ、ありがとう。先輩は、っ優しいな……」
「別に優しくはないぞ。仕方なくだ」
そう言うと、メルタはクスッと泣き笑いした。その後は、メルタが泣き止むまで待って、一緒に校舎へ帰ってきた。
一方で先に帰ったと思っていたスレイは、さっきまでギルバートに捕まっていたらしく、頭をボサボサにして帰りの馬車で死んだように寝ていた。見ると今回は靴下を片方持っていかれたらしい。かわいそうに。




