9.エルフの森へ
日が傾き、うっすらと茜色へ変化していく――。
そんな空の下、ショウは灰が降り積もる村の跡地で、いぶかしげな表情のリンネを見つめていた。
「エルフの森……。エルフ共の住処の事か。貴様、なぜそのような場所に向かう」
「言葉遣いはどうした」
「『ご主人様とでも呼べ』。命令通りに呼んだではないか」
「……なるほど」
ぬけぬけと、と思いつつ反省する。単発の命令に受け止められてもおかしくない言い方だったからだ。
また、よっぽど『ご主人様』と呼ぶことが嫌であったのだろう、と推測する。そのため、言葉遣いまでは強制しない方がよいと判断した。あまりに縛りすぎると、何かの拍子で不満が爆発する可能性がある。
それに、どうでもいい命令をあまりしたくはなかった。命令が矛盾した場合、どうなるか予想がつかない。リンネを制御できなくなるという事態は、間違いなく死に直結する。それだけはなんとしてでも避けなければならなかったのだ。
「俺が迂闊だった。なら、言葉遣いに関しては譲歩しよう。ただ、度が過ぎるようならどうなるか。……言う必要はないよな」
「ぐぅ……。肝に銘じておこう」
「よし。それならこの話はこれでお終いだ。話を戻す。なぜエルフの森に行くかだが、いろいろと確認したいことがあるからだ。それに、一時的に身を隠す必要もある」
「ふむ。もう少し具体的に――」
手のひらを差し出し、言葉を遮る。村が一つ焼け消えたという事態が起こるとどうなるか。そのことについて考えが回り始めた時、今は話をしている場合ではないと気付いたからだ。
「長話が過ぎた。この場での長居はまずい。国からの調査団と鉢合わせると面倒だからな。……転移魔法を使えたりはしないか」
「誰に物を言うておる。使えるに決まっておろうが」
「そうか。なら」
体の向きを変え、遠くに聳え立つ大樹を見据える。天を貫くように伸びるそれは、まるでオルテニシア王国を見守っているようでもあった。
「あそこに見える『シルフの大樹』まで転移だ。準備を急げ」
「……なにやらよくわからぬが、急ぎのようじゃな」
瞬く間に真紅の魔法陣が描かれる。そして、リンネが指を鳴らした瞬間に、二人は忽然と姿を消すのだった。
◇◆◇
鬱蒼と茂る木々や草花が視界を遮り、遠くはおろか近くすらまともに見渡せない。さらに、日の光がほとんど当たらず、じめじめとした空気が漂っている。
そんな森の只中で、ショウは困惑していた。想定していた場所に転移できていなかったからだ。
「……ここはどこだ」
リンネの顔を見つめる。どことなくバツの悪そうな表情をしていた。
「その、じゃな。大樹の下に転移しようとしたら、何かにはじかれて転移地点が少しずれてしもうた」
「なるほど。魔王でも『大樹の加護』は越えられないというわけか」
「む? その様子じゃと、何かあると知っておったのか」
「ああ。大樹の周りには、エルフたちが施した結界が張ってある。さらに、その結界はシルフの大樹を利用することで、非常に強固なものになっているという話だ」
リンネが「道理で……」と小さく呟く。しかし、すぐに眉を吊り上げ、睨みつけてきた。
「先に話しておけばこんなことにはならんかったであろうが」
「それはそうだが、少しがっかりしたぞ。魔王と言うからには、圧倒的な力で結界を破壊して転移することを期待していたんだが」
「むっ。封印を解くのに魔力の大部分を持っていかれていただけじゃ。平時なら結界を破壊して転移しておったわ」
リンネがムッとした表情を向けてくる。そのしぐさから、言動から、負けず嫌いな性格であると予想がついた。
今後奴隷として扱っていくには注意が必要かもしれないと思う。見栄を張るために、想定外の行動をとられてはたまらないからだ。
「そうか。まぁそんなことはどうでもいい。とりあえず大樹の下まで歩くぞ。空を飛んで、大樹への方向を確認してこい」
「……お主、いい性格をしておるのう」
「まさか褒められるとは思っていなかった」
「褒めとらんわ!」
そう言いつつ、リンネが飛び立つ。その姿を見送り、しばしの間待っていたのだった。
少しした後――。
木々の合間を縫うようにして、リンネが戻ってくる。着地すると、すぐさま肩や髪を払い、木の葉を落とし始めた。
「で、どの方向に向かって進めばいい」
「あっちじゃ」
「わかった。それと、ついでだから明かりを頼む。こう暗いと進みにくいからな」
リンネが手のひらを上にして腕を差し出し、握りこむ。そして、「『光』」と唱えて手を開くと、白い球体が浮かび上がり、辺りを明るく照らした。
「これで十分じゃろう」
「ああ。行くぞ」
大樹目指して歩き出す。リンネが低空飛行しながらついてきた。表情は、どことなくムスッとしたものである。
案外わかりやすい奴かもしれない。そんなことを考えつつ、しばしの間無言で歩き続けるのであった。
それからしばらくして――。
「なぁ。暇だから聞いてもいいか」
「何をじゃ」
「魔王になった理由、いや動機と言うべきか」
顔だけ後ろに向け、リンネに問いかける。非常に嫌そうな表情をしていた。
「おかしなことを聞く。どうしてそのようなことを知りたい」
「人となり。この場合は魔族なりか。それが知りたくてな。お前がどんなに嫌であろうとも、しばらくは一緒にいることになる。それなら、できる限り円滑な関係を築いた方がいいだろう」
どの口が言う。
そのような雰囲気を漂わせ、リンネが口を開く。
「ならば他の話題でもよかろう」
「そう言われればそうなんだが、やっぱり聞いてみたいじゃないか。それに、直感というかなんというか。リンネという魔族の核はそこにあるような気がする」
軽く笑って見せる。すると、リンネの表情がなんとも言えないものに変わっていった。
「……あまり気持ちのいい話ではない」
「一向に構わん。むしろ気になるぞ」
「お主、ずうずうしいのう……」
「それこそが主人の特権だ」
期待に満ちる視線を送り続ける。するとリンネが諦めたかのように、深いため息を吐いた。そして、おもむろに口を開く。
「……魔族の理は知っておるな」
「弱肉強食で合っているか」
「そうじゃ。どんな魔族においても、この一点だけは共通の理念じゃ。それ故に、争いは必ず起こる。強者を超える強者はいつだって突然現れるものじゃ」
リンネが目を細め、どこか遠くを見つめるようにして空を見上げる。その姿に、思わず儚さを感じてしまった。
何かを懐かしむような。それでいて、悲しんでいるようにも受け取れる。その表情、いや、雰囲気は心に染み入ってきた。なぜだかはわからない。だが、何かかけがえのないものを失ったのではないか、と少し聞いたことを後悔したのだった。
「どうせ語るなら、妾が見てきたものをそのまま見せた方が伝わろう」
「どういうことだ」
「魔法を使い、妾の記憶をお主に見せてやろうと言うておるのじゃ」
柔らかい口調だったにもかかわらず、唾を飲み込んでしまう。言葉の裏に、何か深い思いが込められているような気がしたからだ。
しかし、それでも聞きたいという欲求が湧いてくる。知りたいという欲求が湧いてくる。だから、意を決して口を開いた。
「見せてくれ」
「ふふっ。いいじゃろう」
リンネが近づいてきて、両手で頬を挟んでくる。そして、額を合わせてきた。同時に、額の間に真紅の魔法陣が浮かび上がる。
「『記憶接続』」
真紅の輝きが辺りを照らす。そのタイミングで、ショウの意識は途切れるのだった。
次回は10/20(火)、夜の十一時頃です。