8.幕間.舞台裏の勇者
オルテニシア王国の王宮。その煌びやかな廊下を、勇者が廊下を歩いていた。視線は窓の外の中庭に向いていて、表情はにこやかなものである。
故に、中庭でお茶をたしなんでいた女性達から黄色い声が上がった。おそらく勇者の姿を拝めるだけでうれしいのだろう。慌てて佇まいを直し、レヴァンに向かい手を振り始める。
それを受けて、レヴァンが小さく手を振り返した。
再び黄色い声が上がり、女性たちが騒ぎ始める。頬を染めている様子は、まさに乙女と言ったところだろうか。さすが勇者である。甘いマスクは、女性たちの心すら射止めることができるようだ。
「人気者も大変ですな」
ちょうどその時のことである――。
廊下の向こう側から男が姿を現した。大柄な体は筋骨隆々にして偉丈夫。粗野な印象を与える顔つきだが、にじみ出る空気はどこか洗練されているものだ。
さらに、歩く姿は堂々としていて、初対面なら間違いなく気圧されてしまうだろう。腰に下げている抜き身の剣――柄の部分に王家の紋章が装飾された白銀の剣は、まさに彼が只者ではないことを表していた。
「これはこれはフィネル将軍。挨拶が遅れて申し訳ない」
そんな男を見て、レヴァンが恭しく頭を下げる。そしてゆっくりと顔を上げ、柔和な笑みを浮かべてから手を差し出した。
すると、その手をフィネルがっちりと握る。それから何度か小さく上下させた後、二人は手を離した。
「そのようなことは気にしないで頂きたい。むしろ、救国の英雄である貴方には、こちらから挨拶に行かなければならないというのに」
「『救国の英雄』など、過ぎた言葉ですよ。私なんかよりも、フィネル将軍の方が余程国のためになっています」
レヴァンの謙遜とお世辞に、思わずと言うように苦笑いするフィネル。魔王を倒し、国を救った人物に返されれば、苦笑いする他ないだろう。ある種当然の反応だ。
「まぁ、挨拶はこのくらいにしておきましょう。それよりレヴァン殿、昨日はどうなされた。舞踏会が始まる直前まで外に出ていたようですが」
話を切り替え、世間話でもするような軽さでフィネルが話を振る。
それを受け、レヴァンも笑みを絶やさず口を開いた。
「いえ。実は昔馴染みに顔を出すようにせがまれまして」
「ほほう。もしかすると女性ですか。勇者殿も隅に置けませんな」
フィネルが豪快に笑い飛ばす。声は廊下中に響き渡り、窓ガラスが振動しているような錯覚さえ覚えさせるものだ。……いくらなんでも笑いすぎではなかろうか。
その証拠に、レヴァンが乾いた声を漏らし頬をかく。困ったような表情だが、それもまた絵になるのが、イケメンの特権だろう。
「……さて。どうでもいい話はこのくらいにして、本題に移りましょう。レヴァン殿は『タルマ村』という村をご存じですか」
フィネルの雰囲気が変わる。鋭い目つきは、レヴァンさえも穿つのではなかろうかというものだ。
だが、レヴァンとて勇者。その程度では動じない。平気な顔をして、いくらか悩むようなしぐさをした後、おもむろに口を開く。
「申し訳ない、わかりかねます。その村がどうかしたのでしょうか」
「……村ごと焼失し、灰となり果てていたとの報告を受けました」
レヴァンが驚いたように目を見開く。まるで、村が消えたことは知らなかったと言うように。そんな話は初めて聞いたというように、白々しく。
「まさか、力の強い魔族が人里に現れたということでしょうか」
「残念ながら、わかりかねます」
「……そうですか」
沈黙が訪れる。
静けさが漂う廊下が、二人の無念を物語っているようだ。
しかし、無言の時は長く続かない。
フィネルが意を決したように、ゆっくりと口を開いた。
「では、私はそろそろ失礼させていただきます。生存者の確認。および情報収集も兼ねて、これから現地に赴かないといけないので」
それを受け、レヴァンが真剣な表情を崩さず、言葉を繋ぐ。
「私も同行しましょう」
「いえ、それには及びませんよ。レヴァン様はゆっくりとお休みになられてください。まだ、魔王を討伐したばかりなのですから」
いくらか含みのある言い方で返され、レヴァンの口の端がほんの少しだけ動く。その様子を見せた瞬間、フィネルの眼光に力が宿った。表情も、しぐさも、まったく変えることなく、目に力だけを宿したのだ。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
逡巡を挟み、レヴァンが言葉を返す。
すると、フィネルが無言で会釈をした。さらに、レヴァンの横を通って廊下の奥へ消えていく。その時の表情は、会話中と打って変わり、何かを――いや、先ほどまで話していた誰かを疑うように険しく歪んでいた。
「……アイツもそろそろ邪魔だな」
フィネルが廊下の角を曲がり、姿が見えなくなったところで、レヴァンが小さく呟く。それから歩き出し、いくらか先にあったドアのところで足を止めた。
「――『開錠』」
呪文を唱える。鍵などの物理的な物を使用していないため、音は立たない。静かに、何事もなく鍵が外れた。
そして、レヴァンがドアを開ける。
同時に、豪華な空間が彼を迎えた。
煌びやかなシャンデリアに、誰かの肖像画。贅の尽くされた調度品の数々。まさに王宮ならではであろう。誰しもが憧れ、一度は住んでみたいと思うような空間だ。
「お帰りなさい、レヴァン」
そんな中に、一人の女性神官が立っていた。
柔らかい微笑みに、薄いグレーの長髪が美しい。しかしその見た目とは対照的に、手に持つ天秤が乗っているような杖は、金属製の蛇が巻き付いている不気味な物だ。
さらに言うと、雰囲気もどこか怪しい。どこか人間離れしているといってもいい。そう、微笑みの向こうにある、赤い瞳がそう感じさせるのだ。
「ああ。ご苦労だった」
「それはどちらへの労いかしら。駅員のこと。それとも魔族を準備したこと」
女性神官が微笑む。だが、レヴァンの顔は彼女の方を向いていない。部屋に入って来てからずっと、白いカーテンが下りるベッドの方に向いていた。
「両方だ。それより、洗脳の方は」
「抜かりないわ。最低限済ませて、そこに眠ってもらっていますよ」
「そうか」
レヴァンが笑みを浮かべ、ベッドの傍による。それから音を立てないように、ゆっくりとカーテンを開けた。
その先――ベッドには一人の女性が眠っている。髪は薄桃色で、横になっているにも関わらずポニーテールとなっていた。
静かに寝息を立てる様子は、どことなく子供っぽい。だが、髪を下ろせばまた違う感想も出てくるだろう。特に、ショウであればなおさらである。そこに眠っているのは妹なのだから。
「ああ、長かった」
レヴァンが割れ物を触るようにして、ニーナの頬を撫でる。その光景はまさに、勇者と姫君と言うような光景だ。
だが、一つだけ似つかわしくないものがある。
勇者が唇を吊り上げて笑っていることだ。
「ようやく器が手に入った。あの忌々しい魔王、リンネ・ローゼンクロイツに破壊された体の代わりが手に入った」
英雄と呼ばれる人物には、およそ似つかわしくない獰猛な表情を作る。まるで先ほどまでとは別人のようだ。
「レヴァン。今はそこまでにした方がいいわよ。完全に洗脳できているわけではないのだから」
「……そうだな。喜びのあまり、つい先走ってしまった」
レヴァンがベッドから離れ、カーテンを閉める。表情は元に戻り、どこか名残惜しさを感じさせるものだ。
「それにしても、少しやり過ぎではないかしら。前々から将軍に嗅ぎ回られていたのはわかっていたでしょう」
「そんなことはないさ。『純粋な人』を消すことができた。もう、この国に邪魔立てするものはいなくなっただろう。そう思えば、何一つ間違ったことはしていない」
返事を聞いた女性神官が肩をすくめる。
「鍵、だったかしら」
「そうだ。魔王の封印は特殊なもの。魔の血を引く者には解けない」
「あらあら。自分で封印しておいて、出られないようにするなんて趣味が悪いわ」
うっすらとした笑みを作り、女性神官が出入口の方視線を向けた。
それに呼応するように、レヴァンが口を開く。
「この後、何か予定は入っていたか」
「第二王女との歓談があったと思うけど」
「フン。下らん予定だ」
そう言いつつ、レヴァンが部屋の入口へと向かう。
「留守を頼むぞ」
「仰せのままに」
ドアを開け、レヴァンが歩き去っていくのだった。
予定通り、次回投稿から一日おき、かつ夜の十一時に投稿となります。
そのため、次話は十八日(日)となります。