6.死
森に遠吠えが響く。
茂みが揺れて、擦れる様な音が鳴っていた。
そんな中、ショウはニーナを背中に隠して剣を構える。それから油断なく森の奥を見据えて、状況整理を始めるのだった。
「ニーナ。絶対に俺の傍から離れるなよ!」
「う、うん……」
震えるニーナをちらりと見やった後、意識を集中させる。森の奥から聞こえてくる音で、数とおおよその位置を把握するためだ。
耳を澄ませる――。
数は五。距離はかなり近い。
ということを経験から判断した。さらに、戦闘を回避できないことも判断する。村のすぐ傍――村を魔族から守る結界がすぐそこにあるのだが、逃げ込めそうもない。それほどまでに接近されているのだ。
――迎撃するしかないか。
そう判断を下す。そのあと、ニーナの安全をどう確保するかを考えた。
「ニーナ。自分の周りに『魔法障壁』を張れるか」
「す、少しの間なら」
「よし。なら、少しでも怖いと思ったらためらわずに張れ。自分の命を守ることだけを考えろ」
「お兄ちゃんは……」
「大丈夫だ、安心しろ。パパっとやっつけて村に帰るぞ。おいしいメシが待っているからな」
ニーナが安心できるよう軽い調子で言う。心なしか、ニーナの震えが収まったような気がした。
少しでも恐怖が和らいだなら何よりである。怯えた心では体が思うように動かない。いざという時は、走って逃げてもらう必要があるのだ。
「……さて、おいでなさったな」
森から覗くように見つめてくる、複数の赤い瞳が見えた。そして、それらは徐々に近づいてくる。
全身を視認できるようになった。紫の体毛に、狼のような体躯。鋭い牙に短めの爪。頭には一本の角を生やしている。
『ウォーウルフ』と呼ばれる魔族だ。
「やはりウォーウルフか。なんでこんなところにいるのやら……」
思わず呟いてしまう。ウォーウルフは、下級魔族の中でも上位に位置している魔族だ。そのためある程度の知性があり、人里に現れるような真似を基本的にはしない。
しかも、この辺り一帯で見かけたという話を一度も聞いたことがなかった。つまり異常事態ということである。
「ひっ――『魔法障壁』」
ニーナが呪文を唱える。後ろを気にする必要はなくなった。だが、長くはもたないと言っていたので、早めに決着をつける必要がある。複数の魔族を相手に、庇いながら戦い続けるのは至難の業だからだ。
数に間違いはない。目視で確認し、五体のウォーウルフを眼前に見据える。そして、中央にいる一体に狙いを定めた。ウォーウルフの習性として、リーダーが群れの中心にいることが多いからだ。
「――っ!」
一気に突っ込む。さらに勢いを乗せたまま剣をすくい上げ、標的としていた一体目の首を切り落とした。しかしその間に、一体が回り込むようにして飛び掛かってくる。
体を捻って回し蹴りをお見舞いした。トドメはさせていないが、骨を砕いた感触はあったので戦闘不能とカウントする。それからすぐに剣を構えなおした。
「あと三つ」
残るウォーウルフ達を睨みつける。すると、呻くように唸りながら、じりじりと後退し始めた。
圧力をかけるために、後退した分だけ前進する。ウォーウルフ達が反転し、森の中へ消えていった。
「……逃げたか」
完全に気配を感じなくなってから呟く。そして、トドメをさせていなかったウォーウルフに近づき、剣を突き立てた。
「ニーナ、もう大丈夫だ」
「……終わったの?」
「とりあえずはな。ただ、森の中に長居するのはまずい。早く帰るぞ」
「うん」
ニーナが魔法障壁を解き、傍に駆け寄ってくる。表情はまだ少し青いものだった。だから、そっと頭を撫でてやる。顔をうずめながら抱きしめられた。
相当怖かったのだろうと思い、背中も優しく撫でる。ニーナの体から震えが消えていった。
「……お兄ちゃん。ありがとう」
「どういたしまして。さぁ、行くぞ」
ニーナの腕をほどいて手を握る。柔らかいぬくもりが感じられた。
守り切れてよかった、と緊張感が和らぐ。同時に、正常な思考ができるほどに脳内が落ち着き始めた。
「……それにしてもなぜ」
ニーナに聞こえないよう、小さな声で呟く。ウォーウルフがなぜ森に出現したかわからなかったからだ。
考えを巡らせる。すると、酒場でレヴァンが話していた内容が頭の中に浮かび上がってきた。『魔王は私が倒しました。その影響で、地方では魔族が暴れ回るなどの現象も起きていますが、必ず鎮圧してみせます』という一節だ。
そのまま訳せば、統率者がいなくなったことで、各地で魔族が暴れまわっていると解釈できる。はた迷惑な話だった。
やれやれと思い、脳内で大きなため息をつく。
その瞬間だった。つんざくような遠吠えが森中に響く。
「――っ!?」
反射的にニーナを突き飛ばしていた。
「村まで走れ!」
そう言った瞬間に、足が地面から離れ、森の奥へ吸い込まれ始める。『奈落の吸風』という魔法で吸い込まれているのだと、脳は理解していた。
そして、この状況下で『奈落の吸風』を使用してくるとしたら、ウォーウルフの上位種、『ヴァンウルフ』であろうということも。
「絶対に振り返るな!」
ニーナに最後の言葉を残して、ショウは森の奥へ誘われていくのであった。
◇◆◇
「がはっ!」
ショウはたたきつけられる形で背中から着陸する。辺りは木々がなぎ倒され、草の根一つない地面が露わになっていた。
「う……つぅ……」
全身に痛みが走る。森の奥に吸い込まれる過程で、幾度となく木に激突したからだ。また、枝に体をかすめ、切り傷になっている部分もある。
しかし、無理やり立ち上がって剣を構えた。ヴァンウルフがいて、生き残るための戦いをしなければならないと思ったからだ。
だが、目の前光景は予想だにしないものだった。勇者がヴァンウルフを刺し殺しているのである。
「――ぇ」
呆然としてしまう。理解が追い付かなかったからだ。
「おや、ショウさんではありませんか。その様子だと、『奈落の吸風』に巻き込まれたのですね。大丈夫ですか」
「えっ。え、ええ」
答えた後、一つずつ状況を整理していく。それでも、まったく状況が理解できなかった。
「それより、ニーナさんはどうしたのですか。あれだけ仲がよさそうだったので、てっきり一緒にいると思っていたのですが」
「ニーナでしたら、とっさの判断で逃がしました。何事もなければ、今頃村に着いているでしょう」
「そうですか。……余計な事を」
「は?」
突如レヴァンの雰囲気が変わる。そして、辺りが凍り付くような威圧感を放った。そう、つい最近、どこかで感じたことがあるような威圧感を放った。
「死んでください――」
甲高い音が森に響く。
レヴァンの剣を受け止められたのは、ある種の奇跡だった。たまたま剣を握っていたこと。威圧感に怯え、剣を構えてしまったこと。それらが重なり、偶然受け止めることができたのだ。
「よく受け止めたね」
剣がぶつかり、金属が擦れ合う音が鳴る。まるで火花が散っているようにも思えた。だが、それも長くは続かなかい。純粋な装備の差が現れる。
「――ッ!」
剣を折られた――。
「隙だらけだよっ!」
強烈な蹴りが鳩尾に入れられる。
体ごと吹き飛ばされ、木に激突して地面に倒れた。
痛みのあまり体が言うことを聞かない。だが、その間にもレヴァンがゆっくりと迫ってくる。まるで人間ではないように感じられた。
「さようなら」
――剣を突き立てられた。
痛みが内部から体中を駆け巡る。
だが、苦悶を浮かべることすらできそうもなかった。
口から血を吐き出す。
舌の感覚がなくなっていき、味がよくわからなくなっていった。
だんだんと意識が薄れてくる。
かすれる視界に、命の終焉を感じた。
その時である。
「お兄ちゃん!」
聞こえてはいけないはずの声が聞こえてしまった。
村の人を引き連れて、戻って来てしまった妹がいた。
全てに勝る悲痛が体中を支配する。
――逃げろ! ニーナ!
持てるすべての力で叫ぶ。
しかし声が届いているようには見えなかった。
それもそのはずである。
口が動いていないのだから。
「本当に余計な事をしてくれましたね」
レヴァンに踏みつけられるが、もはや痛みを感じない。
どうやら本当に死んでしまうようだ、と悟った。
「仕方ない。皆殺しにしますか」
それが、最後に聞いた言葉だった。
ショウが力尽きる前に、最後に聞いた言葉だった。
そしてショウは知らない。この後に起こる惨劇を。
死者で満ち、魂が溢れ、手放し損ねた魔法石がひび割れ始めたことを――。
明日は夜九時半ごろです。