5.帰り道、そして幕開け
酒場を出たショウは、北区画にあるとある施設を目指して移動している。腕には、鼻歌を交えるニーナを組みつかせていた。
「随分とご機嫌だな」
「お兄ちゃんと外を歩くなんて久しぶりだから、嬉しくてしょうがないの」
「……そうか」
じわじわと嬉しさが込み上げてくる。最近、顔を合わせる機会が大幅に減っていたからだ。
なかなか会えない理由はいくつかある。が、大きいものは二つだ。ニーナが王都の魔法学校に進学したこと。そして、魔法が使えないことで、王都に長居できないことが挙げられる。
――王都に住めればな……。
心の中で呟く。国の法律で、王都に住むには魔法が使用できなければならないと定まっている。つまり、無能を住まわすスペースは無いということを国が表明しているのだ。
また、長期滞在も基本的には禁止されている。労働などでやむを得ない場合を除き、連続滞在は五日が限度だ。さらにインターバルもあり、一日滞在するごとに五日間王都に出入りできなくなる。
なら働けばいいじゃないか。その考えの下、酒場に居座っていた時期もある。が、マスターに迷惑が掛かり始めたのでやめた。どれだけ取り繕っても、無能がいるという風評を避けることができなかったからだ。
だから、王都には短期間しか滞在できない。そのため、なかなかニーナと顔を合わせられないのだ。
じゃあなんでニーナを王都に進学させた、と他の冒険者との雑談でよく言われる。別に王都にこだわらなくても、地方の魔法学校でいいだろうと。
だが、ニーナはこう言ったのだ。
『お兄ちゃんに恩返しがしたいの。だから、お兄ちゃんの分まで私が魔法を使えるようになりたい。でも、家にお金がないことも知ってる。だから成績優秀者は学費が免除される、王都で一番の魔法学校じゃないとダメなの』
と――。
その言葉を聞いた時は泣きそうになってしまった。嬉しさ半分、お金がないことへの申し訳なさが半分でだ。
ニーナが血の滲むような努力をしてきたことは誰よりも知っている。その果てに、成績優秀者として合格したことも。ずっと見てきたのだから。なら、兄としてできるのは、そっと背中を押し、陰ながら見守ってやることだけだ。
だから、兄妹散り散りなって暮らしている。二人で歩くなど、本当に久しぶりなのだ。
「あっ。お兄ちゃん、見えてきたよ」
ニーナがレンガ造りの大きな建物を指さす。目的地――『転移駅』と呼ばれる施設だ。
転移駅は、『転移列車』と呼ばれる列車の停車駅である。オルテニシア王国内には、各地に転移駅が設置されていて、転移列車で自由に行き来できるようになっているのだ。
「……もの凄い人の数だな」
「本当だね。やっぱり、みんなレヴァン様を一目見たかったんだよ」
「だろうな。けどどうするか。この分だといつになったら乗れるやら」
ニーナの顔を見ながら思案する。どうすれば実家に早く戻れるかを。だが、当然ながらいい方法など浮かぶはずもない。長距離移動を行う場合、転移列車より早く移動できる方法など存在しないのだから。
「……乗車券を買って、ホームで待つか」
「うん」
方針を決め、ニーナと共に人混みをかき分けながら転移駅の中を進む。やがて、乗車券売り場が見えてきた。だが、長い行列ができている。駅員も大変そうだ。
乗車券の購入すらままならないかもしれない。そんな不安がよぎる中、実家方面の列を見つける。意外なことに空いていた。さすが田舎である、とこんな時だけ褒めてみる。ただ人の少ない過疎地なだけなのだが。
「すぐに乗れそうだね」
「ああ。暗くなる前に帰れそうでよかった」
安堵したのは、魔族との遭遇を避けられるからだ。実家に帰るには、最寄り駅である『イルネミア』を出て半日ほど歩く必要がある。その道中なのだが、稀にスライムやはぐれゴブリンといった低級魔族が出現するのだ。
ただ、出現するのは大概日が暮れてからである。日中の人通りがある時は、まず出会うことがない。そのため、日が昇っている内は安全に移動できるのだ。
「お次の方、どうぞ」
駅員に呼ばれる。ニーナと共に受付へ移動した。
「イルネミア行きの乗車券を二枚お願いします」
「わかりました。少々お待ちください」
駅員が印字魔法を使って乗車券を作成していく。その姿をしばしの間見守った。そして、乗車券が完成する。
「お支払いの方をお願いいたします」
「ニーナ、一旦立て替えてくれ」
「うん」
ニーナがポケットから『預金カード』を取り出す。それから受付に備え付けられている魔法陣にかざし、「預金」と唱えた。
魔法陣の発光と共に短い音が鳴る。これで支払い完了だ。貨幣でのやり取りとは大違いである。金銭の受け渡しもなければ、国営機関特有の身分証明もいらない。預金カードが両方を兼ねているからだ。魔法が使えないというのは本当に不便なものである。
「お支払い、ありがとうございます。こちらが乗車券になります。次のイルネミア行きはもうしばらくで発車しますので、ホームにお急ぎください」
「わかりました。行くぞ、ニーナ」
「うん!」
右手に乗車券持ち、左手でニーナの手を握る。目で合図して、ショウは駆けだすのだった。背中の向こうで、駅員がニヤリと笑ったことを知らずに。
それからしばらくして――。
ショウは、ニーナと手を繋いだまま転移列車に駆け込む。すると、ちょうど転移列車のドアが閉まった。
汽笛が鳴り響く。
転移列車の車輪が回り、レールの上を走り出した。
転移列車の前方はトンネルになっている。さらに、トンネルの断面には転移魔法用の魔法陣が展開されていた。うっすらと空間が歪み、イルネミアの転移駅が映し出されている。
転移列車の先端が魔法陣に触れた。その瞬間、転移列車が吸い込まれるようにして消えていく。そして、王都の転移駅から完全に姿を消すのだった。
一方その頃――。
イルネミアの転移駅では、王都からやって来た転移列車がブレーキ音を鳴らしていた。スピードが徐々に落ち、次第に動かなくなっていく。
完全に動きが止まり、ドアが開いた。同時に人々が下りてくる。
その人混みに紛れ、ショウはニーナと共に転移列車を降りた。それから久しぶりの駅のホームを眺め、ほんの少しだけしみじみとした気分に浸る。いつになく混んでいるホームは、どことなく輝いて見えるのだった。
「……それじゃあ行くか」
「うん」
頷いたニーナが腕に組みついてくる。傍からはどう思われているのだろうか。仲のいい兄妹に見えているだろうか。そんなことを気にしながら歩いていく。
やがて、ホームの出口に差し掛かり、改札が見えてきた。そこで、ニーナに乗車券を渡していないことに気が付いて、一枚渡す。
そして改札――魔法でできたゲートをくぐり抜ける。同時に、乗車券に印字されていた文字が消えた。転移列車での旅が終わりを告げたのである。
「あっ、お兄ちゃん。今日の晩御飯はどうするの」
「おお。すっかり忘れてた。なら、イルネミアの街で買い物してから帰るか」
「うん、そうしよう。腕によりをかけて作るから、楽しみにしてて」
「ふふっ。今から楽しみにおく」
微笑むニーナと共に、帰途につくのだった。
◇◆◇
買い物を終えた二人は、ショウの実家へと向かって歩く。そして、後は実家の傍にある森を抜けるだけのところまで来ていた。
だが、そこまで来たところで、ショウはあることを思い出す。勇者凱旋があったせいで、すっかりと忘れていたのだ。
「あっ」
「ん? どうしたの、お兄ちゃん」
「あー……まぁいいか。なんでもない」
ニーナが「そっか」と言って、嬉しそうな表情に戻る。顔は引きつっていなかったようだと安心した。『なんでもない』と言っておきながら、なんでもなくはなかったからだ。
――魔道院に引き渡すのを忘れていた!
心臓がバクバクと鳴り始める。何かの拍子で、引き渡し忘れた魔法石から、リンネ・ローゼンクロイツが解放されるのではないかと怖くなってきたのだ。
「お兄ちゃん。村の皆、元気にしてるかな」
「ど、どうだろうな。最近帰っていなかったからなんとも言えないが、元気だと思うぞ」
「やっぱりそうかな。――」
ニーナが何か話しているようだが、おぼろげにしか入ってこない。それどころではないからだ。
頭の中でリンネが言っていたことを再生する。そして、封印を解くには魂が必要なこと。死者の傍に魔法石を近づけなければならないことを思い出した。
下手なことをしなければ大丈夫か。そう胸をなでおろす。そうそう簡単に死者に近づくということはないからだ。だが、細心の注意を払おうと誓う。何が起こるかわからないのだから。
「――ちゃん。お兄ちゃん」
「あ、ああ!」
ニーナが不安そうな瞳をしていた。
「すまん。ちょっとぼーっとしてた。ここのところ忙しかったし、疲れが溜まっているのかもな」
普段の調子で話す。ニーナの表情は、どことなく納得いっていないようにも見えた。
「……よし、予定変更。今日の夕食は消化にいいものにするね。それで、明日一日しっかり休むこと。わかった、お兄ちゃん」
「わかった。明日は一日ゴロゴロと過ごす。約束だ」
「うん」
ニーナが笑顔を作る。とりあえず切り抜けられた、と安心した。事情を話すことになれば、心配をかけるだけだからだ。
「ところでお兄ちゃん。この辺だったんだよね」
「ん? ……ああ、そうだ。正直何事かと思ったぞ。まさか人が倒れているとは思わなかったからな」
小さな頃の記憶を引っ張り出す。森の中を歩いていた時に、ニーナが草葉の陰に倒れていた時のことを。
「……私を妹にしてくれてありがとう、お兄ちゃん」
「照れるからやめろ。普通にしてくれ」
「は~い」
ニーナがいたずらっぽく笑う。昔に比べてよく笑うようになった、と嬉しくなった。出会った頃は泣いてばかりだったからだ。
――あれからずいぶんと経ったな。
過去に思いを馳せて目を細める。そして、なんとなくニーナの頭を撫でようとした瞬間だった。
森の中に遠吠えが響く。
間違いなく魔族のものだと、脳が理解した。
「――っ!」
想定外の出来事に、表情を歪めて剣を握る。ニーナを守らなくては、と力が入るのであった。
明日は夜八時半ごろになります。