4.日常~最後の幸せ~
「入っていいぞ」
本をカバンにしまい終えたところで、ショウは返事を返す。すると、パジャマに着替えたニーナが、嬉しそうな表情で部屋の中に入ってきた。
「お兄ちゃん。お疲れ様」
「ニーナもお疲れ」
労い返すと、ニーナが傍に寄ってくる。昼間とは違い、髪を下ろしているせいか雰囲気が若干違う。子供っぽさが薄くなり、どこか大人びていた。
「パジャマに着替えてない。……もしかして、まだ体洗ってないの」
「座ったら動く気力がなくなった」
「も~。ほら、『水洗』するから立って」
ニーナに促されたので立ち上がる。すると、ニーナが床に青い魔法陣を浮かび上がらせた。
『水洗』の魔法陣である。
『水洗』とは、物体を水洗いする魔法だ。日常生活でもよく使われ、洗濯、食器洗い、湯浴みの代わりなど、用途は幅広い。といっても、ニーナに使ってもらう前提の代物ではあるが。
「お兄ちゃん。準備はいい」
「いつでもいいぞ」
「それじゃあ、――『水洗』」
魔法陣が発光する。同時に体中が薄い水の膜に包まれた。さらに水が流れ始め、体中が洗われていく。
――気持ちいい。
マッサージするかのような水流のせいで、思わず心の中で呟いた。控えめに言って最高の気分である。
「はい、お終い」
魔法陣が消えると同時に、体を包んでいた水も消えた。なぜ服が水で濡れていないかはわからないが、きっと魔法をコントロールしているのだろう。そう納得する他ない。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ニーナがはにかんでくる。
少し気恥ずかしくなってきた。ニーナに気取られない内に、さっさと誤魔化して寝てしまった方がいいと判断し、口を開く。
「さて、俺はもう疲れた。寝る」
ベッドに腰を掛ける。すると、ニーナが隣に座った。しかも満面の笑みを浮かべている。
「私も疲れたから寝る」
「……どうして隣に座る」
「一緒に寝よ」
盛大にため息をついた。言っている意味を理解しているか、と説教をしたい気分になる。だが、あれこれ言うほど元気も残っていなかったので、やんわりとだけ言うことにした。
「もう子供じゃないんだ。一緒に寝る、は卒業しよう。な」
「じゃあ私、一生子供でいい。子供だから一緒に寝るの」
屁理屈である。つまり、意図が伝わっていないということだ。
「あのな。人は成長する生き物なんだ。心の中でどう思っていようとも、体は大人になっていくんだ。ずっと子供でいることはできない。わかるな」
「……一緒に寝るの、嫌?」
「だからそういう問題じゃなくてだな……」
否定を口にはしているが、押し負けそうである。ニーナが袖のあたりをちょこんとつまみ、うるうるとした瞳で見つめてくるからだ。
経験上、ニーナはこうなると絶対に引かない。首を縦に振るまであの手この手を尽くしてくる。そして、最後は折れるしかなくなり、結局首を縦に振ることになるのだ。
「お兄ちゃん、嫌?」
袖を引いてくる。さらに、今にも泣きだしてしまいそうな表情となった。どうやら折れる以外になさそうだ、と悟る。いつもの事なのだが。
「……一緒に寝るか」
途端にニーナの顔が明るくなる。先ほどまで見せていた泣きそうな雰囲気はどこへ行ったのか。本当に不思議で仕方がない。
「とりあえず着替えるから、一旦外に出てくれ」
「うん!」
軽い足取りで、ニーナが部屋の外に出てドアを閉める。それを確認してから、小さくため息を吐いた。
――どうしてあんなふうに育ってしまったのか……。
甘えてくれるのは非常に嬉しい。だが少々甘えすぎである。もう少し女性であることを自覚してくれないだろうか。
そんなことを思いながら着替えていく――。
そして着替えを終えた。ちょうどその時、ドアがノックされる。
「お兄ちゃん。まだ?」
「もういいぞ」
答えた瞬間、ドアが開く。見るからにご機嫌のニーナが部屋に入ってきた。
「それじゃあ寝るか。明かり落としてくれ」
「うん。――『光』」
ニーナが呪文を唱えると、部屋の中が暗くなる。一階の酒場から小さく響く喧騒が聞こえるだけとなった。
ベッドに寝転がる。そして布団をかぶった。その後で、ニーナが潜り込むようにして布団の中に入ってくる。
「お兄ちゃん、腕枕」
まだ甘え足りないか。心の中でつっこんだが、腕を伸ばす。すぐさまニーナが頭を乗せてきた。さらに、体を横にして抱きついてくる。
「おやすみ、お兄ちゃん」
ニーナが安心するようにして瞼を閉じた。暗くてあまりよく見えないが、それでも可愛いと思う。
「ああ、おやすみ」
頭を乗せられていない方の手を伸ばして、ニーナの頭を軽く撫でる。すると、すぐに寝息を立て始めた。
よほど疲れていたのだろう、と申し訳ない気分になる。なし崩しで、ニーナにも酒場の手伝いをさせることになってしまったからだ。
だから、明日の朝にでもパフェをご馳走しようと誓う。今日食べさせてあげられなかった分も含めて、二つは奢らないとと思うのだった。
◇◆◇
翌朝――。
一階へと降りたショウは、席に着きながら腹を鳴らしていた。
スクランブルエッグが乗っているサラダに、オルテニシアサーモンの塩焼き。タマネギのスープに、何枚かのオークハム。目の前にはスタンダードな朝食が並ぶ。
しかし、ただの料理ではない。
これらはすべてニーナの手料理なのだ。
「いただきます」
手を合わせた後、オルテニシアサーモンの塩焼きを適度な大きさに切り分ける。そして、いくらかオークハムの上に置いた。さらにサラダもオークハムの上に乗せる。最後に、それらをオークハムで包み込んで口に運んだ。
「うまい!」
「えへへ。よかった」
エプロン姿のニーナが、照れるようなそぶりを見せる。そんな中、どんどんと食していき――。
あっという間に無くなってしまった。
「ごちそうさま」
「おそまつさまです」
ニーナがすかさず寄ってきて、食器を下げていく。本当にできた妹だ、と感服してしまった。
「ショウ、おはよう」
そんなニーナと入れ替わるように、酒場のマスターが店の入り口から入ってくる。おそらく、店の前を掃除していたのだろう。手に雑巾が握られている。
「おはようございます」
「ははっ。羨ましいヤツめ。ニーナちゃんの手料理、うまかっただろう」
「ええ。昔とは大違いです。よく焦げた料理を食べさせられていたのに……」
ドタドタと走る音が響く。ふくれっ面をしたニーナがすぐに戻って来た。片付けはどうしたのだろうか。そう思ったが、『水洗』一つで簡単に終わるので納得する。
「お兄ちゃん、恥ずかしいこと言わないで!」
「事実だろうが」
「そうだけど……」
「ハハッ。相変わらず仲がいいな」
マスターがニヤッと笑う。少し照れくさかった。
「そういえばショウ。彼女とかいないのか」
「残念ながら、生まれてこの方いたことがありませんよ」
「それなら、そこにいい娘がいるじゃないか」
視線を追ってみると、頬を染めたニーナの顔が映る。同時に、まったくちょうどいいわけがない、と心の中でつっこみを入れた。なんと言っても兄妹だからだ。
「ニーナはないですよ。兄妹ですからね」
「でも血は繋がっていないんだろう。なら、役所で血縁関係を破棄すれば、結婚だってできる」
「事実だけ言えばそうですが、さすがにちょっと……」
「もったいないなぁ。せっかくお似合いなのに」
マスターがニーナに笑いかける。
すると、ニーナの顔が真っ赤になった。
その様子を見るこちらまで恥ずかしくなってくる。だから、お茶を濁すために口を開いた。
「すみません、お願いがあるのですが」
「なんだ」
「ニーナにパフェをご馳走してやってもらえないでしょうか。昨日は食べさせてあげられなかったもので」
「そいつはすまなかった。すぐに用意する」
マスターが厨房の方へ行く。同時に、ニーナと二人きりになってしまった。
いつもなら軽口をたたき合うのだが、ニーナが顔を赤くしてうつむいたままのため、話しかけづらい。
――気まずい。
そう思いながらぼーっとしていた。すると、いつの間にかパフェを持ったマスターが戻ってくる。
「お待たせ」
フルーツを盛り合わせたパフェが置かれた。
「うわ~、おいしそう。いただきます」
目を輝かせ、ニーナがパフェを食べ始める。その姿を、お疲れ様と思いながら眺めていたのだった。
それからしばらくして――。
ニーナが最後の一口を頬張る。その後、「ごちそうさま」と手を合わせ、満足そうに微笑んだ。
「食べ終わったか。さて、俺は実家に帰るとするか」
「えっ。聞いてないよ」
「言うのを忘れていたからな」
「も~」
ニーナが頬を膨らませる。
それを見て、つい指で押してしまった。空気が抜ける音と共に、ニーナの頬がへこんでいく。
「むぅぅぅぅ」
「すまんすまん。まぁ、それは置いておくとして。最近忙しくてなかなか帰れなかったからな。そろそろ墓周りの掃除をしないと」
「……そっか。なら私も帰る。勇者凱旋のおかげで、学校はしばらくお休みだから」
「そうなのか。じゃあ、一緒に帰るとするか」
ニーナが頷く。どことなくだが嬉しそうに見えた。
「私、下宿先から荷物を取ってくる」
「わかった。すぐに出るつもりだから、なるべく早めにな」
「は~い」
ニーナが飛び出していく。パフェの容器は任せたと言うことだろうか。そう思いながら、ニーナを見送るのだった。
その後、仕方がないので残されたパフェの容器を片付ける。そして、マスターに会いに行った。働いた分は支払ってもらわないと困るからだ。
「マスター。給料を支払ってください」
「おっと、忘れるところだった。ええっと……そうか、ショウは現物支給じゃないとダメなんだったな。そこに掛けて待っていてくれ」
言い残すと、マスターが奥の部屋へと消えていく。少し申し訳ない気分になってしまった。こんなところでも、魔法を使えない影響が出てしまっているからだ。
――俺も『預金』が使えればなぁ。
ため息をつきながら椅子に座る。魔法が使えないことに、改めて辛さを感じてしまったからだ。
オルテニシア王国には、生活魔法と呼ばれる魔法がある。日常生活を送る上で、使用頻度が極めて高い魔法をまとめてそう言うのだ。『水洗』などがいい例である。
そんな生活魔法の中でも、替えが効かないとまで言われる便利な魔法がある。それが『預金』だ。
『預金』を使えば、銀行が発行してくれる『預金カード』を介し、お金の預け入れ、引き出しを行うことができる。そのため、給料の支払いなどは『預金』で行うのが一般的だ。
もちろん、カードを使って買い物することもできる。だから、一般人の大半が金品を持ち歩かない。『預金』さえ使えれば必要ないからだ。
「ショウ、待たせたな。二人分の給料だ。くすねるなよ」
「そんなことしませんよ」
苦笑いをしながら小袋を受け取る。中を確認し、いくらかの銅貨が入っていることを確認した。
「ありがとうございます。それでは失礼します」
「おう。また機会があったら手伝ってくれ」
軽いノリのマスターを見ながら、二階へと移動する。そして、荷物をまとめてから一階へと降りた。
そのあと、少し時間を潰して――。
「お待たせ、お兄ちゃん」
「よし。それじゃあ帰るとするか」
「うん」
頷いたニーナと共に、ショウはフルールを後にするのであった。
兄妹で食べる最後の食事とも知らずに――。
予告通り、明日は夜の七時半ごろとなります。