2.勇者凱旋
オルテニシア王国。肥沃な大地、大きな河川に恵まれ、多くの人々が豊かな生活を送っている国だ。そんなこの国の最大の特徴は、住む人のほぼ全員が魔法を使用できることである。
魔法とは、体内に眠る魔力を利用し、外界に存在するあらゆるものを操る超常現象の事だ。時には火を起こし、時には水を生み出し、時には風を吹かし、時には大地を揺する。まさに万能の力と言っていい。
だが、わずかながら魔法を使えない人々がいる。彼らは『無能』と侮蔑され、差別され、肩身の狭い思いをしながら生きる道を歩む。ショウ・リベリオンもその一人だった。
◇◆◇
王都にある宿屋の一室に、窓から朝日が差す。目元が明るくなったことで、ショウは目を覚ました。
「……夢、だったのか」
ベッドから上体を起こし、汗だくの手を握る。じっとりとした感触が気持ち悪かった。いっそ記憶が飛んでいれば楽だったのだが、残念なことにハッキリと覚えている。つまり、リンネが封印されている魔法石の中にいたということだ。
「――ッ!」
急いでベッドから降りる。それから床に置いてあるカバンから、小物入れを取り出した。開けて中を見ると、大粒の赤い宝石が目に映る。昨日、王都に来る道中で偶然拾ったものだ。魔王が封印されていることなど知らず、拾ったものだった。
「コイツは一体……」
慌てて拾った時のことを思い出してみる。場所は王都から少し離れた平原。状況は、根元から引き抜かれた木々、傷がついた岩石、動物の死骸などが散乱する酷い状況だった。そんな中で、赤い光が目に入り、道端に落ちていたこの宝石を拾ったのだ。
しかし、拾った時はツイていると喜んだ。日頃の行いがいいからだろうと。なにせ、高値で売れそうである。しかも、王都に着いた後で聞いた情報によれば、巨大な竜巻が通過した後だったらしい。故に、たまたま商人の馬車辺りが巻き込まれ、道端に転がっていたのだろうと推測することができたのだ。
「……本当は何かヤバい事でも起こっていたのか? いや、そんなことはどうでもいい。こいつを一刻も早く手放さなければ」
独り言を呟き、どうすればよいか思案する。ショウが思いついたのは、『魔道院』に預けるという方法だった。
魔道院とは、魔法に関連するあらゆることを管理する国営機関の事だ。オルテニシア王国建国時に設立され、魔法の研究や法整備などを行っている。要は、この国の魔法を取り仕切る最高機関ということだ。
――魔道院なら大丈夫だろう。
ショウは判断を下し、水色の薄着を脱ぎ捨てる。それから少しよれた服に着替え、ベルトを締めた。さらに一本の剣を腰に差す。
「よし、行くか」
最後にカバンを肩にかけ、部屋を出る。宿が前金制のため、カウンターで鍵だけ返却した。
宿を出る。ショウの目に活気づく街並みが映った。
ここは王都の西区画。冒険者と呼ばれる、賞金稼ぎたちが利用する施設が立ち並ぶ区画だ。今しがた利用していた宿屋にはじめ、武器屋、情報屋、酒場などが立ち並んでいる。
この区画を利用していたことからわかる通り、ショウは冒険者だ。魔法を使えない人間が、まともな稼ぎを稼ごうとすると冒険者しか選択肢がない。一般的な職場は、魔法が使えないという地点で門前払いされてしまうからだ。
「魔道院は……北区画だったな」
北区画を目指して歩き出す。北区画は、主に行政機関が集まっている区画だ。魔法学校などの教育機関。列車などの交通機関。銀行などの金融機関。その他にも、国が運営する機関が多数ある。
だが、ショウは普段、北区画には寄り付かない。国の政治をよく思っていないからだ。魔法を使えない者に対し、国は冷たい。表面上は平等を語っているが、居住区の制限など、平気で差別を行っている。
故に、北区画に向かうショウの気分はよくない。行政機関など、不信感の塊でしかないのだから。
――俺も魔法が使えればな。
いつもの愚痴を心の中で呟く。ない物ねだりだということはわかっている。だが、呟かずにはいられない。魔法が使えないことで、様々な苦労を背負ってきたからだ。
魔法が使えないと蔑まれるのは序の口。魔法学校に入学する資格がなく、魔法を学ぶ機会を得られなかった。さらに、徴収される税金も高い。生きていくだけで不便極まりないのである。
そのため、魔法が使えればもっとよい人生を送れていたに違いない、という確信を持っていた。誰に馬鹿にされることもなく、平穏な生活を手に入れられたはずだからだ。ごくごく普通の幸せを手に入れられたはずだからだ。
――俺も魔法が使えたらなぁ……。
もう一度愚痴を吐き出し、どうしようもない不満で脳内を満たす。しかし如何ともできないため、ショウは鬱々とした気分のまま王都の街の中を進んだ。そして、北区画に到着する。
「それにしても、今日はどこもかしくもやけに人が多いな」
着いた瞬間、先ほどから気になっていたことを口にした。ショウの見立てでは、普段の三倍以上の人通りである。何かイベントでもあるのだろうか……、と首を傾げたくなってしまうほどだ。
それ故に、人混みに気を取られていた故に、ショウは少し遅れて気付く。目の前に結界が張られ、それ以上先に進めなくなっていることに。
「ん? 立ち入り禁止の結界が張ってあるな。文字も書いてある。なになに。『本日、勇者凱旋につき北区画の一部を閉鎖します』か……ハッ!」
読み終えた瞬間、脳内に稲妻が走る。夢を見たせいで、大事なことをすっかり忘れていたためだ。王都に来た理由――妹と共に勇者の凱旋パレードを見物するということを、忘れてしまっていたためだ。
「待ち合わせしてたんだったぁぁ!」
慌てて反転し、全速力で走り出す。目指すは南、居住区画だ。そこで妹が待っている。今日という日を楽しみにしている妹が。
だから全力で足を動かす。さらに最短距離をとなる裏道に入り、ノンストップで待ち合わせ場所を目指した。
その際、額から流れる汗は気にしない。体が徐々に重くなっていくのも気にしない。だが、人とぶつかりそうになったときはだけは、小さく頭を下げながら謝る。それでも、ただただ進み続けるのだった。そう、魔法石を手放し忘れたままで。
そして時は流れ――。
ショウは裏道を抜けて大通りに出る。その後、すぐ近くにある広場に向かった。そしてようやく待ち合わせ場所である噴水が目に入る。それと同時に……。
――完全に怒ってるな……。
顔が引きつってしまった。不機嫌そうに頬を膨らませている妹を見つけてしまったからだ。
さらに、脳内で警鐘が鳴り響く。経験上、妹が頬を膨らませている場合、何かを買わされる羽目になるからだ。だが、遅れてしまった方が悪いため、極力申し訳なさそうな態度をしつつ接することにする。ある程度の出費を覚悟して。
「はぁ、はぁ……すまん。遅くなった、ニーナ」
声をかけると、ニーナが振り向いてくる。薄桃色のポニーテールが揺れ、短めのスカートがひらひらとした。少し青みがかった瞳は、なんで遅れたの、と責めているようだ。
「お~そ~い~!」
「悪い、寝坊した」
「ぷぅ。おわびにパフェを要求します」
「わかったわかった。勇者凱旋の後にな」
「やった!」
ニーナの表情が嬉しそうなものに変わる。すぐに機嫌が直ってくれてよかった、と安堵した。さらに、扱いやすい部類の妹ではないだろうかと想像する。他に比べられる知り合いがいないため、なんとも言えないところではあるが。
「じゃあ行こう。中央区画にレッツゴー」
「はいはい」
ニーナが腕に組みつき、中央区画の方に引っ張り始める。二人きりで歩くときは、大体このような歩き方になってしまうのだ。
だが、この恥ずかしい歩き方をやめることは許されない。過去に一度、やめてくれないかとニーナに頼んだ際に、泣きそうな顔で『お兄ちゃんが嫌ならやめる』と返されたことがあるからだ。
だからある種の諦めを抱きつつ、好きにさせている。内心特大のため息を吐いているのだが。
「ところでお兄ちゃん。ちゃんとレヴァン様のこと知ってる」
「勇者様だろ。何をしたかは知らんが」
「……お兄ちゃん。さすがに知っておこうよ」
「興味がない。知っていたところで生活が変わるわけでもないしな」
ニーナが、「も~」と呆れたような感じの声を上げた。そして、つらつらとレヴァンについて語り始める。生い立ちがどうだとか、王妃が救われただとか、簡単な略歴をだ。
しかし、本当に興味がないため、右耳から左耳へ聞き流していく。さらに、適当に相槌を打てば大丈夫だろうと思い、時々頷いていた。
「――で、紆余曲折の末、魔王を倒したんだよ」
「……ん? 魔王を倒したのか?」
聞き逃せない言葉が飛び出したので、ニーナを見つめる。
「そうだよ。それを記念して、勇者凱旋を執り行うんだから」
「ふ~ん。なぁ。倒した魔王の名前、リンネ・ローゼンクロイツだったりするか?」
「違うよ。なんて言ったかな……ごめん、忘れちゃった。でも、リンネ・ローゼンクロイツでないことは間違いないよ」
「そうか」
話を聞き終えたところで、真っ先にリンネの顔が浮かんだ。また、自称魔王だったのだろうか、と疑問も浮かんでくる。だが、凍るような威圧感は本物だったため、魔王のような気もした。本物の魔王に会ったことなどないから、正しい判断など下せるはずもないのだが。
――いや、今はどうでもいい話だ。
頭の中を切り替える。いつの間にか中央区画に到着していたからだ。豪華な王宮が遠目に見える。そして、目の前には人だかりだ。
「これはさすがに無理なんじゃないか、ニーナ」
「……押して参る!」
「えぇ……」
ニーナの言葉に尻込みする。しかし、がっちりと腕を組まれ、人混みの中に引きずり込まれてしまった。
それからしばらくして――。
「俺はもう二度とこんなイベントには付き合わんぞ……」
やっとの思いで最前列にたどり着いた時、思わず言ってしまう。軽い気持ちで勇者凱旋を見に行くと言ったことを心底後悔したのだった。
「お兄ちゃん! あれがレヴァン様だよ!」
ニーナが大声を上げる。ギリギリ歓声にかき消されず、聞き取ることができた。どうやらちょうどいいタイミングで来れたようだ、と安心する。レヴァンの姿を見られなかったとしたら、後でニーナの機嫌を取るのが大変だからだ。
「あれが勇者レヴァンか……イケメンだな。女性が夢中になるわけだ」
金髪碧眼に端正な顔立ち。さらに、見るからに高級かつ上等な装備が目に入り、どことなく僻みっぽい言葉が漏れてしまう。大人げない、と反省した。と、その時。ニーナが見つめてくる。若干頬が赤みを帯びていた。
「お、お兄ちゃんだってかっこいいんだよ!」
どうやら聞こえていたらしい。よくこの歓声の中で聞き取れたものだと感心する。大きな声を出していなかったためだ。
お世辞でもありがとう。そんな思いから、ニーナの頭を撫でる。恥ずかしそうにしながら、レヴァンの方に視線を移されてしまった。仕方がないので、レヴァンの方を眺める。
そこで強烈な違和感を覚えた。一瞬だが、レヴァンの瞳がニーナを捉えたように感じられたからだ。
――『み』『つ』『け』『た』。……見つけた? 何を?
違和感からくる疑問が浮かぶ前に、レヴァンの口の動きから言葉を読み取った。意味は理解できない。どういうことだと思案する。答えが浮かぶはずもなかった。
「お兄ちゃん! もう見えなくなっちゃったから帰ろう!」
「あ、ああ……」
後味が悪いまま、ニーナに引かれるがまま歩いていくのだった。