19.遠い日の歴史~後編~
ショウは身構えつつも、長老の言葉を待っていた。今からやっと話が前進するからだ。
「経緯を話す前に、一つ知っておいてもらいたい事実から話すとするかの。ショウ殿には信じがたいかもしれないが、遥か昔、人間と魔族は共存共栄しておった」
「そうなのですか!?」
驚愕してしまう。まさか敵対関係にある魔族と手を取り合っていたなど、思いもしなかったからだ。
「うむ。だが、その関係は脆くも崩れ去ることとなった。原因は、リンネ様が魔王となったことでパワーバランスが崩れてしまったことにある」
「それはどういうことなのですか」
「当時、魔族は魔族内で争いを繰り返しておった。それ故に、魔族全体の個体数が大きく増えるということはなかったのだ。言い換えれば、人間側は常に数的優位を保てる状況にあったとも言える。ざっくりだが、常に魔族の三十倍ほど人がいたと思ってくれればよい」
「なるほど、数で対抗していたわけですね。そうなると、パワーバランスが崩れたというのは……」
「察しの通り、魔族の数が増えだしたのだ」
リンネの方を見る。案の定しかめっ面だった。それはそうだろう。リンネが魔王として君臨し、魔族の繁栄を願って何かしたことは明白なのだから。そうでなければ、魔族の数が増えだすことはないはずなのだから。
「……リンネ。嫌だろうが、少し語ってくれないか」
「……大したことをしたわけではない。同族での争い。何かを失い、復讐し合うのは無意味と説いただけじゃ」
「……そうか」
語られた言葉を聞いて。震える唇を見て、リンネの胸中はどれほど辛いのだろうかと考えてしまった。
勝手な想像だが、父親の仇討ちを果たし、復讐の無意味さを悟ったのだろう。その上で、魔族の間での争いを減らそうと尽力し、実を結んだ結果が人間との対立なのである。
間違いなく計り知れない感情がはずだ。言葉にはいい表せない何かがあるはずだ。そうでなければ、目に涙を溜めるなんてことはないはずだ。
「リンネ、この先の話は察しがついているんだろう。辛いなら聞かなくてもいいんだぞ」
「……それはならぬ。妾は行く末を知る義務がある。妾が導いた先のすべてを背負う義務がある」
リンネの芯の強さを知った。魔王として、自身が行ったことに対する責任に向き合っているからだ。
もし同じ立場だったら、ただただ人間に憎悪を抱いていただろう。今ここで暴れ狂っていただろう。攻めてきた方が悪いと。むしろそれが普通だ。そうしない方がおかしいのだ。
――これが、復讐を乗り越えた先にあるべき姿なのかもしれない。
魔剣の問いに、答えが見つかったような気がしたのだった。
「……長老。続きをお願いします」
「……いいのだな」
「ええ」
長老が一息つき、おもむろに語り始める。
「魔族が増え始めたことに焦りを覚えた人間達は、主導者であるリンネ様を排除しなければならないと考えた。しかし、人間の力ではリンネ様に到底太刀打ちすることはできず、手をこまねくこととなる。故に、人間達は最後の手段を講じることに決めたのだ」
「……長老。その手段とは」
長老が目を瞑り、大きく深呼吸をした。
「最強の賢者を生み出すことだ。多くの人を生贄にしての」
リンネが椅子を倒すほどの勢いで立ち上がる。明らかに殺気立っている様子だった。
「何人生贄にしたのじゃ。あの尋常ではない魔力は得るにはいったい何人殺す必要があったのじゃ!」
「……正確なところはわかりません。ですが、少なくとも、当時この地に住んでいた人間の半数は死んだと思われます。また、人だけではなく、魔力を吸収する目的で魔族の大量虐殺も行われました」
呆然として固まるリンネの膝が折れ、床を鳴らす。そして、すぐさま嗚咽をこぼした。
「うっ……わ、妾は。妾はおらぬ方がよかったのか。うっ……あぁ……妾のせいで死んでいったのか……。はぁ……うぅ……妾は……」
「リンネ……」
零れる涙が床を濡らし、濡れた部分だけ色が変わる。それを繰り返すさまが、夢で見た幼きリンネの姿と重なった。
――ああ。俺はまた、誰かにお節介を焼きたいんだな。
同時に、泣き腫らす妹の姿とも重なった。だから、自然と口が動く。
「リンネ。お前がした行動は恥ずべきものだったのか」
「……ショウ……」
涙で濡れた瞳が小さく揺れている。
震える唇は、途切れ途切れの息をはき出していた。
「違うのだろう。だったら胸を張ればいい。その上で、次はうまくいくようにやればいいだけの話じゃないか。なにせ、お前は生きているのだから。今ここに蘇ったのだから」
軽く微笑みかける。
「――」
その時、リンネが何を思ったかはわからない。だが、零れ落ちる涙が止まったことだけは間違いなかった。
「立ち止まる暇があるなら。泣いている暇があるなら、お前が目指す未来について考えろ。その方が楽しいし、何倍も有意義じゃないか」
固まるリンネの目が大きく開く。
「もし未来が思いつかないのなら、未来が思いつくために必要なものを考えろ。言っておくが、命令だからな」
「……はた迷惑な主よの」
「嫌なら俺に弱みを見せるな。俺は自分で思っていたより世話焼きらしいからな」
リンネがクスリと笑う。その姿を見て、よかったと安堵したのは内緒だ。
「長老。お見苦しいところを見せました」
「ほっほ。とんでもない。良いものを見せてもろうた」
長老の言葉に、リンネが恥ずかしそうに窓の外に目を向ける。こういう時は素直ではないらしい。
「では、話を元に戻しましょう。長老。最強の賢者が生まれた後、いったい何があったのですか」
「うむ。賢者が生まれた後、人々は賢者をリンネ様にぶつけるために陽動作戦を行った。詳しい内容まではわからぬが、結果としてうまくいき、リンネ様を封印することに成功したのだ」
「……人がそこまでしても、リンネを倒すには至らなかったのですね」
「リンネ様の力がそれほど他を圧倒していたのだ。封印できただけでも御の字だろう」
リンネの方を見る。どこか複雑な表情をしていた。
――賢者について聞けば何か話してくれるだろうが……。さすがに今聞くのは酷か。
考えを改め、長老の方に向き直る。
「リンネが封印された後はどうなったのですか」
「四魔将による封印解放戦争が勃発した」
「――っ! 彼奴らではあの者に太刀打ちできぬ!」
切羽詰まった表情のリンネが口を挟む。
「リンネ。気持ちはわかるが落ち着け」
「……すまぬ」
「長老。続きをお願いします」
「うむ。戦争の結果は、魔族側の敗北だ。主導者である四魔将は全員封印されることとなる」
「倒されたのではなく、封印ですか? 今のリンネの反応を見るに、力の差は歴然だったと思うのですが、なんでまた……」
「ワシの推測にはなるが、賢者の方も、リンネ様との戦いでかなり消耗しておったのだろう。おそらく苦肉の策で封印したのではないかの」
「なるほど」
相槌を返し、一度頭の中を整理する。要点だけかいつまむと、リンネの力に恐れた人々が、リンネを排斥するために封印を行ったということが分かった。
「……封印された後はどうなったのですか」
「魔族は危険だということで、各地で討伐活動が行われた。そして、魔族が少なくなったところで、オルテニシア王国が建国される。同時に魔道院が設立され、リンネ様、四魔将の封印が厳重に管理されることとなった。以上といったところかの」
長老が背もたれに寄り掛かり、大きく息をつく。その裏で、忙しく考えを巡らせていた。
――誰が魔道院から魔法石を持ち出した。目的は何だ。
謀略の陰に不安が募る。リンネの封印を解いてしまった以上、間違いなく巻き込まれることになるだろうと想像できたからだ。
ちょうどそんなことを考えていた時である。リンネがおずおずとした様子で口を開いた。
「のう、ショウよ。話があるのじゃが」
「……なんだか長くなりそうな気がするな。明日じゃダメか」
「構わぬ」
「わかった。明日話すとするか。もうそろそろ日付が変わるからな」
壁にかかる時計を見る。あと少しで零時を迎えようとしていた。
「長老。遅くまでありがとうございました」
「なんの。こちらも収穫があったしのう」
「それはなによりです。……実はもう一つ相談がありまして」
長老がギョッとした表情に変わる。
「……次はなんなのだ?」
「詳しくは明日の夜にしましょう。さすがに今日はもうへとへとですから」
「……憂鬱になってきたのう」
長老の一言を持って、お開きになるのだった。
次回は11/9(月)です。