14.世間知らずな魔王~前編~
月明りが優しく窓からこぼれる頃。客室で眠るショウの隣で、リンネが慌てふためく。そして、真紅の魔法陣を消してから、もの凄い勢いでベッドに飛び込みシーツを被った。さらに、あたかも寝ているような息遣いを始める。
その瞬間――。
「――ハッ」
ショウは目を覚ます。夢の内容はハッキリと覚えていた。幼き頃、ニーナを妹にした時の夢だ。
「……あの日の夢か」
上体を起こし、窓の外を見つめる。木々の葉で陰る半月が煌々と輝いていた。その様子が、まるで半分にすり減った心のように見えたため、思わず苦笑いする。
「俺は、こんなにも弱かったんだな……」
一筋の涙が流れていく。
それをゆっくりと手で拭った。
「泣くのは今が最後。……次に泣くのは、すべてが終わった時だ」
決意を口にし、リンネを見やる。
「ありがとう、リンネ。俺の手はニーナを覚えていられそうだ。……聞こえちゃいないだろうがな」
森では言えなかった言葉を呟いた。そして体を横にする。瞼を閉じると、すぐに眠ることができるのだった。
「……フン」
その裏で、リンネがシーツをぎゅっと握り締める。恥ずかしそうに口を尖らせているなど、ショウは知る由もなかった。
◇◆◇
木漏れ日が窓を照らし、朝がやってくる。新しい一日を気分よく迎えたショウは、ベッドから降りて躊躇なく着替え始めた。
隣のベッドの上では、リンネが寝惚け眼を擦っている。その様子から察するに、朝は弱いのだろう。どこか意識がハッキリしていないように、うつらうつらと体を揺らしていた。
「リンネ。起きたならシャキッとしろ」
「ううん……。ん? 朝か――てえぇぇ!」
リンネが顔を真っ赤にする。
さらに背を向けてきた。
「なんじゃその格好は!」
「ん? 見ての通り、パンツ一丁なだけだが」
そう答えつつ着替えていく。
どうやら、リンネは他人の素肌を見るだけで恥ずかしいらしい。
「サキュバスの割に初心なヤツだ」
「初心で悪いか! というより、お主が無頓着すぎるだけじゃ!」
「なぜ奴隷に対して気を使う必要がある。ニーナならいざ知らず」
どうでもよいことだったので、適当に答えた。すると、リンネが手足をバタバタとさせる。その姿がおかしかったので、少し心が和んだ。
「よし、これでいいな。じゃ、俺は先にアイリスさんのとこに行っているから、お前もさっさと着替えろよ」
言い残し、客室を出て居間に移動する。そこで、朝食を並べているアイリスが目に入った。
「アイリスさん。おはようございます」
「おはようございます。あら、リンネちゃんはどうしたのですか」
「今頃着替え中だと思いますよ」
アイリスが目を輝かせる。
……深く考えないほうが良さそうだ。
「ショウさん。先に食べていてください。私はちょっと用事を思い出しましたので」
「わかりました」
アイリスを見送り、席の一つに着く。テーブルの上にはみそ汁。山菜の漬物が乗った、白イワナの丸焼き。ほかほかの玄米が並んでいた。
一汁一菜と呼ばれる、エルフ独自の食文化だ。森の恵みを頂くことに感謝し、必要最低限の構成で食事を行う。そうやって、日々自然の偉大さを実感し、共存を図るための文化だ。
「どれもおいしそうだ。いただきます」
普段はあまり使わない箸を手に取る。そして、みそ汁をかき混ぜてから玄米をほぐした。この手順がマナーだ。
勿論ちゃんと意味がある。箸を濡らしておくことで、玄米を箸にくっつけずに食べることができるのだ。食べているところを見た時に、箸に玄米がくっついているとみっともない。美しい所作での食事。それこそがおいしいご飯の秘訣だ。
「ホカホカの玄米なんて久しぶりに食べたな。噛めば噛むほど甘みが染み出てくる。……うまい」
口に食べ物を入れていないタイミングで、うまいと呟きながら食べる。言葉にすると、よけいにおいしく感じるためだ。
「白イワナの焼き加減も最高だな」
皮はパリパリで、中はふっくらしている。みそ汁との相性も抜群。まさに理想の朝食だ。そのため、焦っているわけではないのだが、どんどんと箸が進んでしまう。気付けば皿は空となっていた。
「……ごちそうさまでした」
手を合わせ、森の恵みに感謝する。すると、アイリスがリンネを慰めるようにしながら連れてきた。ちなみに、リンネの方はかなりしょぼくれて見える。
「アイリスさん、ごちそうさまです。とてもおいしかったです」
「うふふっ。お口にあったようでなによりです」
アイリスが微笑む。そして、リンネと共に席に着いた。
「さぁ、一緒に食べましょう。リンネちゃん」
リンネが力ない様子で頷く。何かあったのだろうかと心の中で呟き、小さく首を捻るのだった。
それから時が流れ――。
ショウは、リンネと共に木々に張り巡らされた橋の上を歩いていた。アイリスが、ツリータウンを見て回ってはどうだと提案してくれたからである。
「あの『あ~ん』とかいうヤツはなんなのじゃ。羞恥プレイか!」
げんなりとした表情でリンネが言う。そのせいで、リンネとアイリスの食事風景を思い出してしまった。
「くくっ……」
「笑うな!」
「すまんすまん。いや、でも傑作だった。お前が箸が持てないと分かった瞬間のあの状況は」
脳内で食事風景を再生する。アイリスがリンネの口に食事を運ぶ様子を。リンネが餌付けされている様子を。
「ええい! もうこの話題を口にするではない!」
「わかったわかった」
鼻息を荒くするリンネを見て、そろそろやめてやるかと思い、頭の中を切り替える。そして、目下の問題を頭に思い浮かべた。
「しかしどうするか。お前の壊した時計、弁償する金がないぞ」
「うっ……す、すまぬ。つい興味本位で……」
リンネが顔をうつむけてしまう。こういう時は素直に反省するヤツということが分かった。なら、余計な説教はしないでおこうと思う。どことなくだが、ニーナと同じような面影があったからだ。
「……とりあえず、経緯だけはちゃんと説明してくれ」
「う、うむ。お主が客室を出ていった後なのじゃが、壁にかかっておる魔道具に気付いての。気になって手に持ったのじゃ。そこにアイリスが入って来て、驚いた妾はうっかり落としてしもうたのじゃ……」
「なるほどな」
だからか、と理解する。アイリスが、『弁償なんてしなくてもいいわ』としきりに言うのは。
「……俺のカバンが焼けていなければよかったんだが」
そう言った瞬間、リンネが何かを思い出したように魔法陣を展開する。さらに、魔法陣の中に手を突っ込んで何かを探すようなしぐさをした。
「――あった。これじゃ」
灰になったと思っていたカバンが取り出される。
「それは俺のカバン。どうして」
「妾が封印されていた魔法石を入れておったからじゃ。封印が解けかかった時に、魔法障壁を張って身を守っておったからの」
「そうか。それで燃えずに済んだのか」
「そうじゃ。……それで、これがあればなんとかなるのか?」
「焦るな。一回中を確認する」
カバンの中を覗く。軽く見た感じで、中身は全て無事そうだということが分かった。望外の喜びである。なぜなら、当面の活動資金について気にする必要がなくなったからだ。
――ニーナ。悪いが使わさせてもらうぞ。
心の中で呟くのには理由がある。オルテニシア王国内では『預金』での支払いが一般的だ。だが、ショウは魔法を使えない。それ故に、普段から全財産を持ち歩いていたのである。それもこれも、冒険者の仕事をこなすため、各地を転々とするためだ。
しかも、ニーナが成績優秀者としての奨学金をもらえなくなった時のことも考え、節約と貯金を重ねていた。そのため、かなりの額をため込んでいるのである。
「……ショウよ。どうなのじゃ」
「これならどうにかなるな」
リンネの表情が明るくなった。しかし、すぐに申し訳なさそうなものに変化する。そして、おずおずと口を開いた。
「ショウよ。その、じゃな。妾に『かね』とかいうものを貸してはくれぬか」
リンネの言葉に少し意外な気分となる。まさか貸してくれと頼まれるとは思ってもみなかったからだ。だが、それよりも言い回しが気になってしまう。
「も、もちろん必ず返すぞ! じゃが、その……今の妾はその『かね』なるものを入手する方法がわからぬ。だから、いくらか待ってほしい」
「……リンネ。もしかして、金を知らないのか?」
「うむ」
頷くリンネを見て驚く。生きていく上で当たり前のことを知らないというのだから。
――そういえば、昨日『おふろとはなんじゃ』と言っていたな……。ある程度認知されているとはいえ、エルフ特有の文化だから知らないだけかと思っていたが……こいつは。
考えを巡らせる。しかし、すぐに中断することとなった。リンネが不安そうな瞳でのぞき込んできたからだ。
「ショウよ。もしかして、簡単には貸せぬものなのか。その『かね』とかいうものは」
「……そうでもないが、非常に大事なものだ。生きていく上で必要不可欠と言っていい。それに、得るためにはそれなりの対価が必要だ。場合によっては、奪い合いの戦争になることもある」
リンネが「うっ……」と言って表情を歪める。その態度が面白おかしくて、少し笑ってしまった。
それと同時に、使える、と判断する。たった一日の付き合いだが、リンネの性格からして、恩を仇で返すようなことはしないと感じられたからだ。
なら恩を売っておけばいい。いずれ、巡り巡って得することがあるだろう。
「リンネ。貸すこと自体はしてもいい。ただ、それに見合うものは必ず返してもらうことになる。……あとはお前が決めろ」
リンネを見つめ、決断を委ねる。
「……わかったのじゃ。妾に貸してほしい。いずれ必ず返す。貸してくれた恩を含めての」
「そうか。なら貸しにしておこう。さて、そうと決まれば行くぞ。弁償する時計を選ばないといけないからな」
リンネの表情が明るくなる。その裏で、考え事に耽るのであった。
次回は10/30(金)です。