13.妹との出会い
お風呂に浸かり、汗を流したショウは客室に戻って来る。そして、脇目も振らずベッドに横となった。今日一日、あまりに色々な出来事がありすぎて、疲労が限界に達していたからだ。
「おやすみ……」
瞼を閉じ、寝息を立て始める。意識は一瞬にして夢の中だった。
それからいくらかの時が経つ――。
アイリスとお風呂を共にしたリンネが、客室へと戻って来る。髪はしっとりと濡れていて、肌はつやつやとしつつ、うっすらと赤い。また、薄手の浴衣から覗く胸の谷間が非常に艶やかだ。
しかし、表情は非常に疲れ切ったものである。入浴中、肉体的にも精神的にも、アイリスと色々あったためだ。
「ショウめ。お風呂があんなにも危険なものとわかっておった上で見捨ておったな。この恨み、どう晴らしてくれようか」
ぶつぶつと呟きながら、ショウの隣にあるベッドへと移動する。そこで、寝息を立てているショウに気が付いた。
ニヤリと口の端が吊り上がる。
「危害さえ加えねば何をしても問題はない。フフッ、過去を見させてもらうぞ、ショウ! 『夢潜り』」
真紅の魔法陣が輝く。そして、リンネの意識がショウの頭の中に潜り込んでいくのであった。
◇◆◇
ショウは夢を見ていた。場所は、今は無き実家のリビング。そして、非常に幼い頃のものだ。
「ショウ、お父さんを呼んできて」
「え~、めんどくさーい」
「い・き・な・さ・い」
「はい! 母さん。行ってきます」
迫力に負け、慌てて玄関を飛び出す。いつの世でも母親は強い。逆らうと碌な目に合わないのである。
「はぁ、母さんも人使いが荒いよ」
辺りが森に囲まれた村の中を、愚痴をこぼしながら歩いていく。田舎村のため、目ぼしい物はない。ひたすらのどかな風景が続いていた。
「今日は外の畑だったよな。めんどくせ~」
そう言いつつ、足を動かしていく。やがて、森へと続く道の前までやって来た。
そのまま薄暗い森の中に入る。足で踏み固められただけの道に、木の根がはみ出るようにはびこっていた。
そんな木の根を避けつつ、静かな森の中を進んでいく。ザッザッという足音だけが響くのだった。
それからしばらく進み――。
「……つまんねー」
ショウは頭の後ろで手を組み、上体を反らす。少しでも体を動かして、退屈を紛らわすためだ。
「ゴブリンでも出てこないかなー。その方が面白いのに」
不謹慎な発言をした瞬間、すぐ傍にある茂みが音を立てて揺れる。ビクリと肩を上げ、茂みの方を見つめた。
「ほ、ほんとうにゴブリンじゃないよな……」
恐る恐る茂みに近づき、草をかき分ける――。
苦しそうな表情をした少女が倒れていた。
薄桃色のロングヘアーは土で汚れ、うなされるように浅く呼吸を繰り返している。さらに、手足にはたくさんの擦り傷があった。
「大丈夫か!」
すぐさま近づき、肩を引き寄せる。しかし、少女は浅い呼吸を繰り返すのみで反応を返さない。
その様子が気になり、少女の額に手を置く。
「――っ、すごい熱。とにかく、村までつれて帰らないと」
少女を背負う。華奢な見た目通り軽かった。といっても、あくまで人一人を背負うわけなので、決して楽なわけではない。その証拠に、少女を持つ手は少し震えていた。
「すぐ村だからな。がんばれよ!」
もと来た道を走り出す。背中から伝わる苦しそうな吐息が気を焦らせた。
必死に進む。
一歩ごとに息が上がっていき、徐々に足が重くなっていく。
汗が滲み、滑りやすくなった手で何度も担ぎなおす。
それでも前だけを目指した。
やがて、光差す森の入り口が目に入る。短い距離だったが、体はふらふらと揺れていた。
「――着いた」
口にした瞬間、木の根に足が引っかかる。だが、決して離さないという思いを胸に、手に力を込めた。
なんとか少女を投げ出さずに済む。だが、二人分の体重で打ち付けられた体が痛い。膝は間違いなくすりむけているだろう。
「いっうぅ……。ハッ、大丈夫か!?」
少女の顔色は、出会った頃より心なしか青くなっていた。倒れている場合ではない、と気合で立ち上がる。
「誰か―!」
その大声に、近くで農作業をしていた人が駆け寄ってくる。
「どうした、ショウく――背中の子は」
「森の中でたおれてた。すごい熱なんだ!」
「すぐに医者を連れてくる。ここで待っていなさい!」
背負う少女を心配しながら、息を吐くショウであった。
その後――。
少女を医者に引き渡し、ショウは父親を迎えに行ってから家に帰った。そして、何事もなく二日の時が流れる。まさに、平穏な日常を謳歌したのだった。
だが、そんな平穏が唐突に破られる。
「ショウ。この娘、今日から一緒に暮らすからね」
ニコニコとする母親の前に、森で助けた少女がいた。顔色はよくなっていて、手足の傷も全て完治している。
「へ?」
「『へ?』じゃないでしょ。ほら、挨拶なさい」
「……ショウだ。お前の名前は」
「……」
一向に答える気配がない。失礼なヤツだと思いつつ、母親の顔を見上げる。困ったような表情をしていた。
「……よし。ショウ、任せたわよ」
「え?」
「ほら、部屋で一緒に遊んでいなさい」
強引な流れで部屋に押し込まれる。そしてドアを閉められた。
なんてひどい親なんだ……、と心の中で愚痴を呟く。だが、状況が変わるわけでもないので、少女の方に向き直る。
話す話題がなかった。
「「……」」
部屋の中に重たい空気が立ち込める。そんな中、いたたまれなくなったのか、少女が部屋の隅に移動してうずくまってしまう。
どうすることもできないため、とりあえずベッドに移動して腰かけた。
それからしばらく、何をするでもない時が流れる。雰囲気は相変わらず悪いままで、言葉一つ発するのをためらわれた。
だが、突然沈黙が破られる。
少女のさめざめとした泣き声が部屋の中に響き始めたのだ。
「ど、どうした」
「……ぅ……死ねば……死んでしまえばよかったのに……」
「死ぬってお前……」
どうすればよいかわからず固まってしまう。その間にも、少女の啜る声は止まらなかった。
「私なんて生まれなければ……ぅ……」
少女の独り言が続く。生きていることへの嘆き。生まれてきたことへの嘆き。なにより、死への望み。
非常に鬱々とした言葉が続く。
それが段々と耐えられなくなってきた。自然と膝が細かく動いてしまう。つまり、鬱陶しくて仕方がないということだ。
「ああああぁぁぁぁ、もう限界だ!」
うずくまっている少女に詰め寄る。そして、思いっきり部屋の壁を叩いた。
「そんなに死にたいなら今死ね!」
少女が固まり、声を上げるのをやめる。
「何があったか知らないけど死ねよ。死にたいんだろう!」
「……ぅ……だって……」
「だってもクソもねぇ!」
鋭い視線を向ける。少女が目を逸らし、顔をうつむかせて震え始めた。
「……本当は生きていたいんじゃないのか」
「……生き……たい。……でも、……でも、……誰も……誰も……誰も、私が生きていることを望んでいない」
「……それは本当か? 両親くらいは大事にしてくれるだろう」
少女が首を振って答える。そんなバカな話があるか、と内心驚く。
少なくとも、魔法がまったく使えなかったとしても、両親は味方に付いてくれる。他人からいくらバカにされようと、両親だけは見放すことがない。それがショウにとっての常識だったからだ。
なら、この少女は一体なんのために生まれたのだろうか。一人の味方もいない状態で、何を楽しんで生きていくのだろうか。
そう考え始め、やがて心を決める。それはちっぽけな正義感なのかもしれない。ある種の憐れみなのかもしれない。あるいは、魔法が使えないことで、孤独を感じていた自分への慰めなのかもしれない。だが、救ってあげたいと。せめて自分だけは味方であってあげたいと思ったのだ。
だから、一度だけ目を閉じて、そして開けた。
「……だったら、俺が殺してやるよ」
拳を振り上げ、振り下ろす。少女の顔の横に突き刺さった。
「う……、あ……」
目を見開き、少女が自身の横に突き刺さる腕を眺める。
赤く腫れた目から涙が零れ始めた。
「これで、今までのお前は死んだ。お前は今日から俺の妹だ」
訳が分からないと言ったような瞳が向けられる。だが、そんなものは無視した。
「名前を言いたくないなら俺がつける。う~んそうだなぁ……。そうだ! 『ニーナ』だ。お前は今日から『ニーナ・リベリオン』だ」
ニーナが呆然とした表情で、口を小さく開け閉めする。その姿がおかしくて、声を上げて笑った。
「よし。母さんに言いに行くぞ」
ニーナの手を握る。そして、思いっきり引っ張った。
「ぁ――」
なぜか足が動いたと言うように、ニーナが立ち上がる。今がチャンスと、そのままリビングに引っ張っていく。
「母さん。今日からこいつは俺の妹だ! 名前はニーナ」
「ふふっ。なら、ちゃんとお兄ちゃんらしくしないとね」
「もちろん」
だが、そこに待ったが入る。
入れたのは父だった。
「ダメだ! そんな出自不明の子。それに、その子の魔力は明らかに――」
「あなた!」
遮るように大声が発される。
一瞬だけ部屋の中がしんと静まり返った。
「あなた、もういいじゃない。この国には、もうこの血筋を継がせられる相手がいないのだから。もう、私たちの役目は終わったの」
「だが……」
「ね。ショウの好きにさせてあげましょう。それに、この出会いはきっと運命だから」
「……好きにしろ」
会話の意味は分からないが、とりあえず好きにしていいということは理解する。なので、ニーナの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「今日からよろしくな。ニーナ」
戸惑うニーナが、小さく頷いたように見えたのだった。
次回は10/28(水)です。