11.涙して、到着する
現実に意識を引き戻されたショウは、ゆっくりと瞼を持ち上げた。そして、繋がれている左手を見て、瞬きを繰り返してしまう。思ってもみない展開だったからだ。
「……歩きながらだったのか」
「止まっていては時がもったいないからのう」
リンネが立ち止まり、手を離して振り向いてくる。本人は真顔のつもりだろうが、目尻にはわずかに涙の跡が残っていた。
「さてショウよ。どうであった、妾の過去は」
「……正直意外だ。ファザコンだったとは」
呆れたような表情で、リンネがため息を吐く。
「あれを見てファザコンと言えるお主は相当ひねくれておるのう」
「性分だ。今更変えられるものでもないし、変える気もない。それに、同情をかけられるよりよっぽどいいだろ」
「まあの」
リンネが自嘲気味に笑う。それにつられて、自嘲気味に笑ってしまった。その後、お互い顔を見合わせて小さく笑い合う。意外とうまくやっていけるのではないか、と心の底で思っておいた。
「それで。かなり歩いたと思うが、エルフの森とやらはまだなのか」
「……見覚えのある場所まで来ているな。あと少しだ」
「なら、早く行くぞ。いい加減妾も疲れてきた」
背を向けたリンネが先を行く。その後ろ姿が、なぜだかニーナと重なった。まったく似ていないというのに、なぜだかニーナと重なってしまった。
そのため、自然と体が動き出す。いつの間にか隣に並んでいて、リンネのつむじに手を置いてしまった。そして、髪を梳くように撫でてしまう。いつもニーナにやっているようにして撫でてしまう。
「よく頑張った。えらいぞ」
優しい声が漏れてしまった。ほんの少し前、復讐の炎に包まれリンネを奴隷にしたとは思えないほどに。
「き、気安く触れるな!」
思いもよらない出来事だったのだろう。リンネが顔を赤くして手を払いのけ、横に飛びのく。それにより、撫でるものを失った手が彷徨う。どこか遠くへ消えてしまったものを掴みたいがために彷徨う。
「――ニーナ……」
消え入りそうな声が漏れてしまった。
震え擦れる声が漏れてしまった。
こんな弱みを見せるつもりはなかったのに。
「……お主も人のことは言えんのう。シスコン」
真顔に戻ったリンネが近づいてくる。そして、手を掴み、自らの頭の上に乗せてくれた。
「これっきりじゃ。じゃが、今だけは撫でるといい。その手が妹の感触を忘れぬように……な」
今になって涙が零れる。ニーナを失った実感を、隣にいないという事実を正しく理解したからだ。
――ああ、俺は今までずっとニーナに支えられてきたんだ。兄を演じて、ニーナを引っ張ってやっているつもりで、本当の意味で引っ張られていたのは俺の方なんだ。魔法を使えない俺に代わって、ずっと支えてくれていたのはニーナなんだ。
涙腺が切れる。溢れ出て止まってくれない。
――ニーナ。もう一度俺の隣で笑ってくれ。頼むから……。
叶わない願いを吐き出し、ゆっくりとリンネの頭を撫でる。ポニーテールではない。嬉しそうな声も返ってこない。髪の感触だって違う。
だが、手を止められなかった。違うと思うことこそが、手にニーナの感触を覚えているということだからだ。忘れずにいるということだからだ。
いつの間にか時が流れる――。
ショウはゆっくりと手を下ろした。
「さすが魔王様だ。優しいな」
「ふん。下々に手を差し伸べてやるのも王の務めじゃ。気にする必要はない」
リンネが素っ気ない態度を見せる。だから、こちらも気にしていないという態度で振舞うことにした。気恥ずかしさを隠すためである。
「そうか。なら遠慮はいらないな。行くぞ、我が奴隷よ!」
吹っ切るために大きな声を出し、リンネの背中を少し強めに叩く。体をよろめかせる様子が、驚いたような表情が、どことなくだが心地よかった。
「き、貴様。そのあからさまな変わり身はなんじゃ。少しくらい感謝を態度で示せ」
「示しているとも。本来なら、『貴様』なんて使った時点で言葉遣いを強制している。それがないのは、十分に感謝しているからだ」
リンネが非常に悔しそうな表情を作る。まるで、ぐぬぬぅ、とでも言っているように見えた。
「覚えておれよ!」
あまりにおかしかったため、声を上げて笑ってしまう。そして、「もう忘れた」と付け加えた。
リンネの頬が膨らむ。その姿に、ほんの少し寂しさと懐かしさを覚え、目が細くなるのであった。
その後――。
二人は悪くない雰囲気のまま進み、一本の木の前で立ち止まる。その木だけが、周りから浮くように白く伸びていた。
「さて。ここまでくればエルフの森は目と鼻の先なんだが……。その前に、その見た目はどうにかならないか、リンネ」
「具体的にどうしろというのじゃ」
「角とか翼とかは隠せないか? さすがにその姿のまま森に入ったら大騒ぎになる。まぁ、無理なら別の方法を考えるが」
無理という言葉に反応し、リンネの眉が動く。
「無理なわけがあるまい。ほれ」
リンネが指を鳴らす。すると、角、翼、尻尾が消え、人間と見分けがつかなくなった。
「おお、まるで人間だな。ついでに、その下着姿みたいな格好もなんとかしてくれるとうれしい。その格好だと俺の趣味が疑われそうだからな。まっ、無理ならいいが」
わざとらしく言ったところ、リンネがニヤッと笑い、口をつぐむ。その行動こそが望む動きだったので、内心ほくそ笑んでいた。
「……無理なら仕方ない。行くか」
白い木に手を添える。
「ショウ・リベリオンが参りました。お導きを」
言葉に呼応するように、木々が動いていく。森がざわめき、鳥たちが慌ただしく飛び立っていった。
奥へ続く道が姿を現す。エルフの森への入り口だ。
「何を呆けている。行くぞ」
「ま、待て。置いて行くな」
後ろからリンネが追い付いてくる。そして、物珍しそうな表情で首を振り、辺りを見回し始めた。
「見たことないのか」
「うむ。初めて見るのう」
見たことがないなら当然か。そう思いながら、改めて当たりの光景を眺めてみる。
薄く発光するコケの絨毯。気高く咲き誇る白く美しい花。時代を感じる木々。それらが合わさりあう光景は、まさに神秘的という言葉がふさわしい。
リンネがしきりに感嘆するように声を上げるのも頷ける。大自然が生み出す絶景で間違いないからだ。
「ほれ、着いたぞ。前を見てみろ」
「おおっ。これはまた」
眼前に、エルフ達の街――『ツリータウン』が広がっている。その特徴はなんと言っても、シルフの大樹を中心に、周りの木々がクモの巣のようにして橋で結ばれていることだ。
また、木々の枝にはツリーハウスがいくつも存在していて、エルフ達が木の上で生活していることもわかる。さすが『森の住人』と言われるだけはあるだろう。森の中に溶け込んでいるのだから。
「見事な物だろ」
「うむ。ところで、あれが遠目に見えていた大樹で合っておるか」
「合っている。あれがシルフの大樹だ」
「……そうか」
リンネが何かを考え込むような、難しい表情を作る。
「どうした」
「……あの大樹はかなりの時を重ねておる。じゃが、妾には覚えがない。そうなると、妾は一体どれほどの間封印されていたのか。それとも知らぬ土地に来てしまったのじゃろうか。なんにせよ、妾は現状を把握せねばならぬ」
「なんだ、俺と似たようなことを考えていたのか」
どういうことだ、と言わんばかりにリンネが見つめてきた。
「俺もリンネという魔王が実在していたのかが知りたかった。それを知ることでいろいろなものが見えてくるからな。だからここに来た」
「ふむ。その口ぶりじゃと、あてがあるようじゃな」
「ああ。少なくともこの国の歴史をすべて知り尽くしている人物がいる」
「なるほどの。そうなると、ここに来る前に話していた『確認したい事』とは、この話と認識していいのか」
「二つの内一つはな。もう一つは『魔力』――おっと、迎えが来たようだ。まぁ、大した話でもないし、説明はいいだろう」
話を切り上げた後、小走りで向かってくる女性に向けて手を振る。気付いてくれたようで、手を振り返された。
そして、彼女がすぐ傍まで来て立ち止まる。特徴的な尖った耳に、ミントグリーンのセミロングヘア―。透き通るような白い肌が美しい。
「お久しぶりです。ショウさん」
「ご無沙汰しています。アイリスさん」
会釈で応じる。すると、アイリスが拗ねたような表情で応じた。
「もう。前にも同じことを言いましたよ。もっと長年の親友みたいにフレンドリーに接してください」
「いえ、目上の方に失礼があるといけないですから」
「まったく。ショウさんは相変わらず真面目なんですね」
苦笑いをこぼされてしまう。何かおかしなところでもあっただろうかと考えるが、特に見つからなかった。
「それより、そちらの女性が話に聞いているニーナちゃんですか」
「いえ、違います。こちらはリンネ。色々訳ありでして、細かいことは聞かないでいただけると助かります」
「……そうですか。わかりました。でも……もう少し、服には気を使った方がいいですよ」
リンネの頭からつま先までを眺め、アイリスが頬を赤らめる。計算通りの反応だった。やはり同性から見ても刺激的な格好だったようだ。
「……詳細は語れませんが、ここに来る途中、捨てられているところを拾ったのです。何があったかは……姿から察してください」
アイリスの頬が元の白い色に戻る。
そして、憐れむような視線をリンネに送った。
「――っ。穢されていたのですか」
無言で頷く。その瞬間、アイリスがリンネを抱きしめた。
……目に毒のような光景だ。見なかったことにしよう。
「辛かったでしょう。もう大丈夫だからね」
リンネが悔しそうな表情で見つめてくる。まんまと引っかかったな、と思いながら小さく笑った。扱いやすそうな奴隷でなによりである。わかりやすい性格は美徳なのだ。
「では行きましょうか。温かいスープを用意しますので、ゆっくりと休んでください」
その後、アイリスが腕を解き、代わりにリンネの手を握る。それから、こちらに向けて視線を送ってきた。
「すみません。ありがとうございます」
礼を述べて、アイリスの後ろについていく。リンネの後ろ姿からは、不機嫌そうな雰囲気が漂っていた。
「あっ、言い忘れていました」
突然アイリスが振り返ってくる。
「ようこそ。エルフの森へ」
快く迎え入れられるのであった。
次回は10/24(土)です。