10.道中~魔王の記憶~
目が覚める様な感覚の後、ショウは目に映る光景を眺める。
黒を基調とした部屋であること。金があしらわれている調度品の数々があること。壁には男性の肖像画が飾られていること。また、床には赤い絨毯が敷かれていて、玩具が散らかっていることを認識できた。
(ここは……)
一体どうなっているのだろうか。その思いから体を動かそうとするが、自由に動かすことができない。そのためなぜかと頭を巡らせ、一つの結論にたどり着いた。
(リンネの記憶の中なんだろう。そう考えると、体を動かせない方が自然か)
記憶の中――過去の中で自由に動けるものではないと考え、納得する。そして、状況についてもなんとなく察した。
(おそらく、意識を保ったまま、過去のリンネに憑依しているような状況なんだろうな)
(ほう、飲み込みが早いのう。その通り。お主は過去の妾に意識を宿し、妾の視界を見ておる)
不思議な感覚と共に、リンネの声が脳に響いてくる。会話できるのか、と少々驚いた。
(思念を通じた会話……で合っているか)
(つくづく察しの良い奴じゃ。それで合っておる)
(そうか。なら、ここはどこなんだ)
(ここはローゼンクロイツ邸。妾の家じゃ。そしてこれは、幼き頃の妾の記憶)
状況を正しく理解し、もう一度辺りを眺める。妙に視点が低く、玩具が転がっていることから、かなり小さな頃であると推測できた。
さらに、上流階級に生まれたことも、部屋の雰囲気からうかがえる。
――偉そうな態度は筋金入りのものだったか……。
無意識に心の中で呟き、ハッとしてしまう。円滑な関係を築くと言った手前、マイナスに受け取られる言葉は避けなければいけなかったからだ。
(ちなみに俺が思っていることは全て筒抜けなのか)
(意識的なものでなければ伝わりはせん。それより何を思った。聞いてくるということは失礼なことなんじゃろう。今なら許すから吐くがよい)
(……おもちゃの散らかり具合から見るに、間違いなくじゃじゃ馬だったんだろうなと感心していたんだ)
途端に熱さが伝わってくる。感覚的なものだが、怒りなのだろうと理解することができた。
(熱い! 痛い! なんだかよくわからんが止めろ!)
次はやんわりとした温かさが波打つように伝わってくる。間違いなく笑っていやがる、と思うのであった。
ちょうどその時である。
視点が回り、体が動くことを感じた。進展があるとようだ、とリンネの記憶に意識を向ける。すると、ドアが開いて男性が現れた。
「おとうさん!」
幼きリンネの声がハッキリと聞き取れる。また、視界も良好で、穏やかな雰囲気の男性であることも感じ取れた。
「リンネ、元気にしていたか」
そう言いながら、リンネの父が近づいてくる。そして肩車をしてくれた。視点が高くなり、幼きリンネがはしゃぎ声を上げ始める。
少し微笑ましく感じてしまった。
(お前にもこんな時期があったんだな)
(だ、誰にでもあるじゃろう)
熱いといった類のものが伝わってくる。だが、先ほどとは違い、痛いほど熱さは感じない。きっと恥ずかしがっているのだろう、と心の中で小さく笑った。
そうこうしている内に、視点が低くなる。さらに、リンネの父がしゃがみ込んで覗いてきた。
「リンネ。大事な話がある」
一気に重たくなる雰囲気に緊張が走る。おもむろに開くリンネの父の口を、恐る恐る眺めるのだった。
「父さん、失敗しちゃった」
リンネの父が舌を出して笑い出す。思わず呆けてしまうと同時に、幼きリンネの笑い声が部屋中に響き渡った。
なんだこれは……、と気が抜けてしまう。その瞬間だった。リンネの父がひどく悲しそうに表情を歪める。だが、ほんの一瞬の事で、何事もなかったかのように再び笑い出した。
(……今は、あの表情の意味が分かるのか)
(……妾の父は魔族の中でも有数の力を誇っておった。それ故に、力と名声を欲する魔族に攻め入られる。……後はわかるじゃろ)
凍るように冷たい。そう感じた。
「さぁ、もう寝る時間だ。ベッドに入りなさい」
「わたしはサキュバスだよ! いまからあそぶの!」
「ふふっ。仕方ない子だ。なら、父さんの昔話をしてあげよう」
「ほんとう!」
「ああ、本当だ。だからベッドに行こうか」
「はーい」
リンネの父に連れられてベッドへと移動する。そして横になった。
その瞬間。
「『良き眠りを』」
瞼が下がり、視界が途切れる。
(睡眠の呪文。リンネ、これは……)
(……)
リンネからの返答はなかった。しかし、柔らかなぬくもりとしみる様な冷たさが伝わってくる。口にするには難しい感情がそこにあると、確信を持つことができた。
「……リンネ、強くなれ。そして、どうか生き残っておくれ」
声が絞り出される。その言葉を最後に、ショウの意識は別の光景へと飛ばされるのだった。
◇◆◇
夜の帳が下りきった森の中、ゴブリンが雄たけびを上げながら燃えていく。それが、ショウの見た次の記憶の始まりだった。
(リンネ。これはどういう状況なんだ)
(襲ってきたから焼き殺した。それだけの事よ)
どうして襲われている。そう尋ねる前に、威嚇するような唸り声が響く。視界には数え切れないほどの赤い眼光が映っていた。
――ウォーウルフの群れ。
視認した瞬間に、一斉に襲い掛かってくる。十や二十といった数ではない。少なく見積もって百を超える様な数だ。
しかし。
「きえて……」
小さな呟きと共に、腕を振るう感覚が伝わってくる。同時に、ウォーウルフ達の首が一つ残らず切り落とされた。
ゆっくりと倒れる死体達は、体を地につけてその首から血を流す。
「おとうさん。どこ……」
前の記憶で聞いた声と同じ声が響く。間違いなく幼きリンネのものと判断できた。だが、声から受ける印象はまったく異なる。苦しさ、寂しさ、辛さ、悲しさ。無邪気さはかけらも残っていなかった。
(……これは、さっきの続きなのか)
(そうじゃ。目が覚めた妾はこの森にいた。そして、こんなところに女一人でいれば襲われる。なにせ、格好の餌じゃからな)
思念会話をしている間にも、オークやリザードマンといったような魔族が襲い掛かってくる。
「じゃましないで! おとうさんのとこにいくの!」
容赦なく殺していく。冷酷に、無慈悲に。
(……違うとは思うが、この森はお前の家の近くなのか)
(近くなはずがなかろう。父が、妾を逃がすために見知らぬ土地に飛ばしたのじゃ。そう、逃がすために……)
雨が打ち付けるような感覚が訪れる。リンネが――魔王が泣いている。ずぶ濡れになる意識がそう告げていた。
「……ぁ……」
呆然とした声と共に空が映し出され、星々が滲みながら煌めく。幼きリンネの感覚が、痛いほどよくわかった。
(リンネ、ご尊父は……。いや、いい。すまない。いくらなんでも配慮に欠けていた)
(別に、口にしてもしなくても事実は変わらぬ。死んだ。どこにいてもわかる程強大な父の魔力が、あの時たしかに消えた)
なんとなくだが、強がっていると思う。なぜなら……。
――俺と同じだ……。ニーナを失ったと分かった時の俺と……。
脳が、心がそう理解したからだ。さらに、湧き上がるような黒い感情までも同じであると理解する。
(……復讐を考えたのか)
(当然であろう。じゃが、幼き頃の妾ではどうにもならなかった。力なき者が願いを叶えることはできん。それが世の理じゃ)
(……そうか)
そこから先を聞く必要はないと思った。少なくとも、リンネ自身が魔王と名乗る程の力をつけ、今ここにいるからだ。
「っう。ううっ……」
幼きリンネのさめざめと泣く声が森にこだまする。大切なものを失った少女が、確かにそこにいた。そして、それを乗り越えた女性が確かに隣にいる。
(……これが妾を成すものの核。妾の根源じゃ。これで満足か)
(……ああ。十分だ)
(そうか。ならばそろそろ現実に戻るとしよう。『接続解除』)
意識がどんどんと白くなっていく。その最中。
――ああ。リンネは父親との約束を守り続けているんだな。
心の中で呟く。
幼きリンネは今も泣き続けているというのに。
次回は10/22(木)です。