1.魔王との出会い
青年は拾った。
魔王が封印されている宝石を。
そして、そんな彼が夢を見るところから物語は始まる。
彼と魔王の出会いは突然であり、偶然であり、必然だった。
彼らの出会いを予言するのなら――。
全ての始まりは『輝石』であり、
彼らの進む道が『軌跡』となり、
辿り着いた先が『――』である。
……さて、そろそろ頁をめくるとしよう。
今まさに、彼らの旅路が幕を上げるのだから。
◇◆◇
透き通る赤い壁に囲まれた広大な世界――。
一人の青年が歩き進む世界はそのような場所だった。
ただ赤い床が永遠と続いている。人気は無い。立ち並ぶ物も無い。唯一確認できるのは足音が響くということだけ。
そんな得体の知れない場所において、彼の格好もまた不自然極まりない。水色の薄着だけ。他に何一つ持たない。何かに襲われようものなら、素手で対応しなければならないだろう。
「一体ここはどこなんだ……」
彼は現状を理解できていなかった。それもそのはずである。つい先ほどベッドの上で横になり、瞼を閉じただけだったのだから。
「夢……か。いや、それにしてはあまりにも……」
否定したのは、伝わってくる感触が現実世界と遜色なかったからだ。目にハッキリと景色が映り、耳で音を感じることができる。足は床を捉え、鼻で息をすることもできる。意識があり、自由に体を動かすことも可能だった。
「誰かいるかーー!」
一縷の望みを託し、辺りに問いかける。しかし返事は返ってこない。再び静寂が訪れ、成す術が無くなる。
彼は大きなため息をつき、落胆の色を隠せない表情で肩を落とした。何一つ好転しない状況が辛かったからだ。
「手詰まりだな。さて、どうすれば……」
愚痴を呟いている最中のことだ。
突然後ろから話しかけられたのは。
「貴様、何者じゃ」
青年は驚きを張り付かせて振り返る。少し離れたところに、一人の女性が立っていた。真紅の長髪をなびかせ、大きな胸を揺らす様は非常に艶やかである。
また、引き込まれるような美貌は蠱惑的だ。一度見たら決して忘れることができないだろう。それほどのものである。男性であれば、鼻の下を長くするのが当然のはずだ。
だが、青年は敵対心をむき出しにして彼女を睨みつけた。頭に生える左右対称の角。コウモリのような翼。先端がハートのようになっている尻尾。彼の記憶で合致するものは一つしかない。サキュバスである。
額から汗が伝う。彼は知っていたのだ。サキュバスが高い魔力と知性を兼ね備える強力な魔族であることを。数多の人間を葬ってきた魔族であることを。
なにより、男性に対しては無類の強さを誇ることを。性的魅力で思考力を奪い、男性を操り人形にする力を持っていることを。
「……人に名乗らせるときは自分からと教わらなかったか」
「言うではないか。よかろう。妾は魔王、リンネ・ローゼンクロイツ」
発せられた言葉に動揺する。その証拠に、目を見開いて固まってしまった。
「こちらは名乗ったぞ」
「――っ。ショウ・リベリオンだ」
「そうか。ならばショウよ。どのようにしてこの空間に入ってきたのじゃ」
問いに対し、ショウは睨み返す。リンネによってこの空間に呼び出されたのではないかと考えたからだ。だが、それならば聞く必要が無い、とすぐさま思い直した。そして、怪しまれないようにしつつ動向を探ることにする。
「わからない。気が付いたらここにいた」
「ふむ。『純粋な人』じゃからか?」
――どういう意味だ。
ショウは心の中で呟く。しかし、今すべきことはこの場を切り抜けることだと判断し、解決策を思案し始めた。
頭の中でどんどん状況がまとめられていく――。
サキュバスと一対一であること。真偽不明だが、魔王と対峙していること。おそらく勝ち目がないであろうということも。
そして整理がついた瞬間、片膝をついて頭を下げる。今一時を生き延びるには、魔王に服従する振りをするしか考えつかなかったからだ。
「魔王リンネ様。無知な私奴に、ここがどこなのか。そしてどういう状況かをお教えください」
「ほぉ、殊勝な奴じゃ。いいじゃろう、おもてを上げよ」
真剣な表情を作ってから顔を上げた。服従していないことを気取られないようにするために。リンネを騙しきるために。
すると、リンネが値踏みするかのように目を細める。が、ショウの表情に満足したのか、すぐに口を開いた。
「まずこの場所についてじゃが、ここは妾が封印されている魔法石の中じゃ」
――アレのことか!
表情の変化は抑えられたが、ショウは内心動揺する。心当たりがあったのだ。しかし、今は捨て置くべきと瞬時に切り替える。
「状況は、不可侵の領域にネズミが紛れ込んだというところかのう」
「ネズミ……。私の事ですか」
「そうじゃ。貴様じゃ。魔法石外からの干渉を全て断つこの空間に、外部からの珍客。ふふっ――」
リンネが高笑いを始める。よほど機嫌が良いのか、大きく口を開けていた。
その様子を、ショウは眉一つ動かさず静観する。何かの間違いで機嫌を損ねれば、どうなるかわかったものではないからだ。
……そして、しばらくするとリンネの高笑いが収まる。同時に、ショウは辺りが凍り付くような威圧感を感じた。まるで空間ごと支配されているのような威圧感を感じたのだ。
「妾の封印を解け」
「――ッ!?」
唐突な命令に体が動かせなくなる。気付けば手が震えていた。明確な恐怖であると、否が応でも自覚する。
「どうした。返事は」
「……お言葉ですが、どのようにすれば封印を解除できるのかわかりません。やり方がわからない以上、今すぐの返答は致しかねます」
「呑まれぬか。なるほど、なかなかどうして気概のある奴よのう」
リンネが満足げに口の端を上げる。その瞬間、ショウの背筋に冷たいものが走った。この先の話に首を突っ込んではいけない、と直感が告げる。だが足が震えて動かない。退路は既に断たれていたのだ。
「解除方法について心配する必要はない。封印自体は妾が内側から破壊する。貴様はそのために必要な魔力を調達すればよい」
「魔力。……具体的にどうすればよろしいのでしょうか」
「簡単なこと。魂を集めればよい」
唇までもが震え出す。リンネの言っていることは、殺戮命令と同義なのだから。
「どうした。まさかできないとでも言うつもりか」
「い、いえ。ただ、目に見えないものをどのようにして集めればよいのかと」
「おお、妾としたことがうっかりしていた。貴様は魔法が使えないのじゃったな」
歯噛みする。見抜かれてしまったことに歯噛みする。一番のコンプレックス。自身と亡くなった両親だけが持つ、魔法が使えないというコンプレックスを指摘されたからだ。
――無能家族……か。こんなところでもバカにされるとは。
故に少しだけ震えが収まる。悔しさの方が上回っていたのだ。
そのおかげもあって、幾分か冷静さを取り戻す。多少の事なら考えられる程度には、脳内の恐怖は和らいでいた。
「いかがいたしましょうか」
「……ならば、死者の傍に魔法石を近づけよ。多少面倒じゃが、妾が外界に干渉して直接魂の回収をする」
一瞬だけ思考する。封印を解いた場合と、解かなかった場合でどうなるかを。
結論はすぐに出た。解いた場合、寿命が少し伸びる。封印を解いている間の命は保証されるからだ。当然その先は保証はないが。
一方解かなかった場合、この場で処理されるだろう。どのように処理されるかまではわからないが、命を奪われてしまう公算が高い。リンネが本当に魔王ならなおのことだ。
ならばと意を決する。封印を解かないという意を。人知れず世界を守ってやるという気分で。
「一つ、質問をしてもよろしいでしょうか」
「許す。申してみよ」
「では……」
大きく息を吸う。そして吐いた。
「リンネ様の命令に背く私はどうなりますか」
リンネが呆けたような表情を作る。だが、すぐに手で腹を押さえ、身をよじりながら笑い始めた。
――どうやら好感触みたいだな。
ショウは心の中でそうとぼけてみる。もちろん、好感触でないとわかりつつも。この先に死が待ち受けているであろうことを理解しつつも。
「ふふっ。身の程を弁えず、ここまで不快感を与えた人間は貴様が初めてじゃ。これは褒美を与えてやらねばなるまい」
妖艶な雰囲気を纏ったリンネが歩き出す。その足音を聞くたび、ショウは鼓動が早くなっていくことに気が付いた。それだけでなく、荒々しい呼吸を繰り返してしまう。
サキュバスの魅了魔法だと、手遅れだと悟る。そして、リンネが見下してきたときに、心臓が破裂するかのような錯覚を覚えた。
「舐めよ」
目の前に足が差し出される。とても神聖な物のように思えた。むしゃぶりつきたいという衝動に駆られる。そのせいか生唾を飲んでしまった。
魅入られるようにして口が開く――。
後は舌を伸ばすだけとなった。
しかしその時になって、目に妹の顔が浮かび上がる。両親を事故で無くしているショウにとって唯一の家族であり、かけがえのない存在だ。それは妹から見ても同じ。ショウは唯一の家族であり、いなくなれば天涯孤独になるのだから。
「……俺は、舐めない」
絞り出す。
体を震わせながら。
「俺は、あんたの言いなりにはならない!」
顔を上げ、鋭い目つきでリンネを見つめた。するとリンネが目を見開き、小さく口を開ける。だがしばらくするとうっすらと笑い、足を引いた。
そのタイミングに合わせてショウは立ち上がる。
「もう一度名を教えてくれんか」
「ショウ。ショウ・リベリオンだ」
「ショウよ。なぜ妾の足を舐めなかった」
「俺が変わり果ててしまったら悲しむ女性がいるから、だな」
リンネが心底つまらなさそうな表情をし、威圧感を解いた。
「そうか。はぁ、つまらんのう。せっかく脱出できると思うたのに」
「……魔王なのだろう。俺を無理やり従える力の一つや二つ、持っているんじゃないのか」
「確かにある。じゃが、人の身でありながら妾の色に屈せぬという気概を見せつけられて、なおも無理やり従えようとするは王の器量ではない。妾は魔王。魔族を統べる身として、断じてそのような狭量はせぬ」
リンネが堂々と言い放つ。その姿は、先ほどまでの高圧的な態度とは異なり、一種の高潔さがある、とショウには感じられた。
「……矜持か」
「矜持なくして王は務まらぬ。そういうものじゃ。それに、少なからず妾のプライドに傷がついた。もしお主を従えるなら、妾の色によってでなければ気が済まぬ」
リンネが小さく笑う。
「ショウよ。どうやら迎えが来たようじゃのう」
その言葉で、ショウは光を纏っていることに気付く。おそらく目覚めだろう、と感覚的に思うのだった。
「久しぶりに楽しめた。もしもう一度まみえるようなことがあれば、その時は妾のできる範囲で何か一つ願いを叶えてやろう」
「……そんな日が来ないことを願うよ」
言葉を残し、ショウは光と共はじけて姿を消す。
跡形もなく消えたその場所を、リンネは嬉しそうに眺めていた。
「――ショウよ。お主とはなぜじゃかまた会える気がするのう」
残されたリンネが意味深に呟く。
こうして、一人の青年と封印されし者の運命が繋がるのであった。
読んでいただき、誠にありがとうございます。
今後の投稿予定ですが、序章である八話までは毎日。それ以降は一日おきで、夜十一時頃に投稿を予定しています。