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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第98話 空の男

 そこまで話し終えると、ブライトは今横にいて黙って話を聞いていたヨークの様子を伺った。あの時は余裕がなかったが、今は隊長の気持ちが少しはわかる気がした。


「犯罪とは違うかもしれないが、自分も確かにどん底にいたんだ。しかし、ライカ隊長との巡り合わせで、今もこうして委員会で働き続けている」


 波の音に負けぬようブライトは声を張った。どん底という言葉にヨークの耳が少し揺れた気がした。ブライトはそこに勝機があるとみて、こう切り出した。


「お逮捕されてこれから裁判という時で今は不安かもしれないが、俺だけじゃないのさ。どん底にいたのは」


「どういうことだ?」


「モグラ隊の隊員もみんなそうなんだ。クルムとヒョウも、かつてはお前さんと同じで犯罪に手を染めていた。クルムは幼少期に引き取られた親に命令されるがまま、ずっと盗みを働いて生きていたんだ。そこを抜け出しても毎日が盗みの日々だったそうだ。ヒョウは詐欺グループの稼ぎ頭で、人を騙すことにかけてはその筋では相当高名なペテン師だったらしい。だが、ライカ隊長に拾われて、今はこうして共に働いている」


「まさか、そんなことが……」


 ヨークは目を見開いていた。こんなに身近に似た過去を持つ者同士がいたこと、そして何よりもその者達が今や管理委員として仕事をしていることは、予想していなかったらしい。


 ブライトは目の前で驚いた様子でいるヨークを見ながら、骨折している腕をさすった。あの乱暴者に付き従わされていた過去から脱却するまであと一歩に見えた。ブライトはヨークの肩に手を置き、こう告げた。


「だから、お前もきっと大丈夫だ。これまでの辛い出来事も断ち切って、これからいくらでもやり直せる。自分はそう信じるよ」


 しかし、その言葉を聞いてこちらを向いたヨークの顔は苦痛そうに歪んでいた。ブライトの手を振り払うと、ヨークは絞り出すように言った。


「うるせえな……余計なお世話だ」


 海から漂う風が不吉に自分たちを吹きつける。ブライトは咄嗟に何か取り繕おうと口を開くが、そんなことお構いなしにヨークは叫んだ。


「お前ら、運良く良い奴に巡り会えて良かったな! 人様に向かって自慢できるような良い奴に! じゃあ俺は不幸だったって言いたいのかよ!」


 誰にも見せたことのないほどの激情をヨークは吐き出している。


「兄貴のことも俺のことも何も知らないくせに、勝手に不幸だって決めつけるんじゃねえよ!」


 ブライトは自らの失言を悔やみ、目を瞑って、ただヨークからの非難を浴びていた。


 吐き出しきったヨークは息を落ち着けると、気まずさに耐えきれなくなったようで、「……じゃあ、園長に挨拶してくるわ」と告げて遊園地の方に走っていった。


「難しいねえ」


「うわっ」


 二人の様子を離れた場所から見ていたミナギとクルムが背後へ振り返ると、例のおじさんが当然のようにそこにいた。本当に神出鬼没としかいいようがない。


「いつからいたんですか……」


「『当局に許可もなく、勝手なことをしてもらっては困るね』ぐらいからだね」


 飄逸にも声真似を交えておじさんは開き直る。


 だいぶ最初の方からじゃないですか、とこれまた二人して突っ込みを入れようとしたが、続くおじさんの言葉に、ミナギとクルムは口を動かせなくなった。


「君達の気持ちは、このおじさんにもわかるよ。あの青年の言ってたことは間違ってない。純粋に思いやりから出た言葉なんだろうね。でも、幸福の尺度は人それぞれだからねえ。一方が一方の価値基準を押し付けられたりしたら、その純粋さも助けて、余計に苦しむことになりかねない。いやあ、人って生き物は難しいものだねえ」


 何も言い出せずにいると、視界の端にヨークを追う影が映り込んだ。あの不格好なピエロのメイクに服装は園長に違いなかった。


 ミナギは改めて自分が遊園地へ来た目的を思い出し、ヨークを追う園長の後に続いた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ヨークは着ぐるみの頭を被ったまま、従業員用のテントの隅でうずくまっていた。今の顔を誰にも見せたくはなかったのだ。


「おい、何かあったのか?」


 園長が入り口から心配そうに声を掛けながら中へ入ってきた。その後ろにミナギとかいう女も続いて入ってきていた。


 ヨークはしばらく何も応えられないでいた。さっきまでの激昂のあとに襲いかかってきた急な物寂しさに今はただ耐えるので精一杯だったのだ。


 ――兄貴は今頃どうしているだろう。


「忘れられないのか」


 ーーえ?


 今の心の内を見透かすような一言を耳にして、ヨークは思わず振り返っていた。


「さっきの話、通りがかりに聞いたよ。ここに来てからなるべく詮索しないようにしてたけど、元いた場所に帰りたいんだろ。なんとなくそんな気がしてた」


 ヨークは目の前にいる道化が妙に寂しそうな顔をしてそう言っていたことに気づいた。


「兄貴は……俺の兄貴は、格好つけたがる人なんだ」


 自分でもなぜかわからない。しかし、この園長を目の前にすると、ヨークは自ずと言葉を紡ぎ出していた。園長もじっと耳を傾け、ヨークの言葉を待ってくれていた。


「初めて出会った時からずっとそうだった。昔、身寄りのなかった俺は、森の中で何人もの野盗達から逃げ回ってた。そこに兄貴が来て、野盗達をあっという間に痛めつけて、追い返したんだ。兄貴は俺のこと、助けたつもりになってた」


「つもりになってた? 助けてくれたんだろ?」


 ヨークは園長の疑問に頭を振った。


「逃げた先に落とし罠を仕掛けてたんだ。そこへ誘き寄せて、罠に掛かったら脅しつけて金目の物を奪う。独りで森を生き抜くための常套手段だったんだ。それがうまくいきそうだったってのに、兄貴が助けに入ったせいで、苦労は水の泡さ。笑えるだろ」


 園長は何も言わずに真剣な眼差しだけを向けている。


「しかも、あろうことか兄貴の方がその罠に引っかかったんだ。崖際に仕掛けてた落とし穴の周りは運悪く脆くなってて、もう少しで激しい水流の川へと真っ逆さまだった。なのに、なんとか俺が助けてやった後、『感謝は要らねえ。お前、行く所がないなら俺の舎弟にしてやる』って息巻いててさ、それで俺は兄貴についていった」


「それ話繋がってなくない?」


 それまで黙って聞いていたミナギが思わず突っ込みを入れていた。


「作戦を台無しにされて、ついていくなんて」


 ヨークは着ぐるみ頭部の下に手を入れて何かを拭う素振りを取ってから話し続けた。


「俺にとっては、だからだよ。あの人、格好つけているけど、格好悪い自分を着飾ってないと気がすまないんだ」


 ボスからもらった服を着て、ボスからもらった指輪をつけて、ボスの言いつけの通りに働かされる。望んだ承認を一向に得られないとあれば、他所から奪った金品で埋め合わせるしかない、空っぽの男。それがバレルだった。しかし、だからこそついていったのだ。


「お前は忘れたくないんだな、その人を」


 園長はいつの間にヨークの背後に立っていた。ゆらゆら揺れていた着ぐるみの頭を取り外し、近くにあったタオルケットを差し出した。


 ヨークは頷きながらタオルケットを受け取り、顔を覆うと、また即座に壁の方に顔を向けた。


「そういえば、外で物騒な事件が起きてるらしいよ」ミナギが思い出したように切り出した。「なんでもブルータルズが施設を襲ったりしているとか」


「それがどうした」


「ほら、もしかしたらその兄貴が君のことを助けに来ているんじゃないかなって」


 ミナギの励ましともつかぬ言葉に、ヨークはしかし難色を示しているようだった。


「仮にそうだとしたらやめてほしいね。今ここにあの化け物みたいな管理委員がいるんだ。助けにきたって、勝ち目はない。そもそも俺にそんな価値あるわけねえよ」


 憐れむということはきっとこういう時に抱く感情なのだろうとミナギは解した。目の前にいるヨークは懐郷に苛まれていると同時に、それがかなわないことを誰よりも実感して、受け入れているのだ。


「落ち着くまで、そこにいていい。何か言われたら俺が引き止めたって言っとく」


 園長はヨークにそう言葉を掛けてから、着ぐるみを被って園内へと出ていった。


 その背中を見送った後、ミナギは園長に伝えようか迷っていた件を思い出し、その機会を逸してしまったことに遅れて気づく。


 結局、ミナギは晴れない気持ちで遊園地を後にしたが、その姿を観察していた者が物影から出てきたことは気づかなかった。


 テントの外側で立っていた青年が深く被っていたシルクハットのつばを調節し、紅い着物の懐から端末を取り出し、発信をかけた。


『ああ、もしもし、メドウくん。何か策は思いついた?』


「ええ、思いつきましたよ、ライカ隊長。もっともこの策、成功は敵の善意にかかってますが」

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