第97話 窓際部署
ヨークとブライトは遊園地を出てすぐの浜辺に置かれたベンチに腰掛けていた。ブライトから今後のことについて噛み砕いて説明された。
この遊園地で働くのも今日で終わりらしい。心残りがないと言えば嘘になる。
この後、自分の身柄はこの砂漠を出た近場の裁判所に送られ、司法当局による取り調べを経て、正式に刑事裁判にかけられる。身寄りも経済力もない自分は公費によって弁護人を付されることになるとのことだった。また裁判にあたっては、以前にライカとかいう隊長も言っていたように、ブライトはヨークに自分にとって不利に働く情報について黙秘する権利もあるのだと繰り返した。
聞いていて、どうやらこの隊員達は情報を引き出すためなどではなく本心から自分に肩入れをしているらしい。改めてそのことを突きつけられると、ふいに笑いが漏れてきた。嬉しさからではなく、その思考が滑稽に感じられたからだ。
「あんたら、本当に俺が更生するとでも思っているのか」
自然とそんな意地の悪い返事をしていた。伏し目がちにブライトの顔を見ると、彼は真っ直ぐにヨークの方を見返して「それは、わからない」ときっぱりと述べた。
じゃあなんでこんなお節介焼くんだ、とヨークが口にしかけたところ、ブライトはこうも続けた。
「でも、信じることはできる。隊長がかつて自分にそうしてくれたように」
ブライトは初めてヨークのことではなく自らの身の上話を始めた。
彼はかつては都――つまりはこのハートバース世界の中枢部――を担当する委員会の中でも指折りの精鋭部隊に所属していたのだと言った。
「都のことはわかるだろう。この世界の心臓部、アニムスへと通ずる世界のホールに面した大都市。秩序を守る遺失物管理委員にとってそこで働くことの重要性と栄誉はわざわざ説明するまでもないだろう」
ブライトは優秀な成績で選別をパスし、周囲の期待を受けてそこへと配属された。周囲の人々からこぞって羨望の眼差しを向けられ、浮かれていた時の高揚感は今でも昨日のように思い出せる。
だが、その栄誉と引き換えに、あくる日もあくる日も重要な任務を担い、隙のない同僚や上司に神経を遣い、気の抜くことのできない日々が続いた。溜まっていく重圧への疲労は、最初のうちはいずれ慣れれば問題なくなると考えていた。
しかし、その楽観的な思い込みは、単純な失敗によって、いとも簡単に瓦解していった。
都の近辺にある山岳地帯にて発見された山賊の隠れアジトを摘発する作戦が決行された。まだ配属されて間もないブライトら若手の委員はそこで後方支援に回ることになっていた。
突入部隊がアジトへ入り、交戦のさざめきが響いてくる頃、ブライトは、同僚のシモらと共に、アジトから漏れ出てくる山賊たちを捕らえる役目に徹していた。
「怪我のひとつやふたつは覚悟してたんだけどなあ。簡単すぎて欠伸が出るね」
「油断するなよ、シモ。簡単だからこそ任されたことを確実にやらないと」
「わかってるよ、大将」
シモはよく言えばムードメーカーだったが、同僚たちの中でもやや緊張に欠けるきらいがあった。常に責任や使命感に満ちていた部隊の中にあっても、軽い冗談を挟んでは空気を弛緩させるので、気を張ってた当時のブライトとは摩擦が生じることも多々あったが、振り返ってみるとそれは彼なりの気遣いだったのだろう。
どうやら潜伏していた構成員はかなりの数にのぼるらしい。巣をつつかれた蜂のように慌てふためいて走ってくる敵の数と勢いは、更に増していった。それにつれてシモの軽口も聞かれなくなっていった。
敵とて必死だ。単純に網に掛かり続けてくれる訳でもなく、前方を警戒し、こちらの包囲網をも抜け出そうとする者も出てきた。
敵を漏れなく捕らえるのは山の複雑な地形や混乱もあり困難を極める、と事前に見立てられていたとはいえ、いざ逃げおおせる敵を見逃すと、舌打ちをせずにいられなかった。
「さっきから右辺での取りこぼしが多いぞ。敵を視認してからじゃなく、常に陣形を組んでおくんだ」
「わかってるよ! まったく……敵より味方の方がおっかないね」シモは肩をすくめた後、持ち場を変えようとするブライトの動きを察して首をかしげた。「おいおい、どこ行くんだ。花でも摘みに行くのか」
「自分は一人で三人は見れる。シモ達はここで張っておいてくれ。左右展開するより、シモ達が取りこぼしたのを更に後方で拾ったほうが効率的だ」
「はいはい、仰せのままに」
「来たぞ!」
更に激化する逃走者の波にブライト達は再び対処を始めた。
そんな折、シモ達が捉えきれなかった山賊の中に、見覚えのある格好をした者がいた。ちょうど別の山賊を捕らえるのに両手を使っていたのだが、真横を過ぎていった時に直感的にその正体を掴む。鮮やかな橙色の体毛に身を包んだ老齢のキンシコウ。奴こそ頭目だった。
事前のブリーフィングでは下級構成員以外には手を出さずに、上長へ連絡することを伝えられていた。
にもかかわらず、突入部隊の包囲網を抜けて逃げてくる他の山賊に手一杯な同僚達を尻目に、ブライトは咄嗟にその頭目を追った。予測を上回る混戦により上長への無線連絡も一時的に通じていない。ならば、自分が行くしかないと判断した。
「今にして思えば、それはただの驕りと思い込みだったけどな」
ブライトはそう自嘲した。
実際には、他の誰よりも功績を挙げられるチャンスだ、とはやる気持ちを抑えきれていなかったのだ。
だが、その独走を嘲笑うように、頭目は人気のない場所に達すると、急にこちらへ振り返った。キンシコウの姿をしたその頭目の瞳には老獪な光が宿っていた。
「ここまで追ってきてくれて助かるよ。人質さん」
そう言うと、彼は老体とは思えぬ速度で両手を振るい、放り投げられた物影があっという間にこちらへ襲いかかってくる。かろうじて視界で捉えたそれは、薄い四角形状の石だった。
避けようと身体を反らす刹那に、ブリーフィングでの説明を思い出した。
頭目が武器として使用するローリング・ストーンズという名のマテリアロイドは、持ち主の遠投技術に応じて弾丸や砲弾にも等しい威力を付与されうるとのことだった。しかも厄介なのは、それらと違って避けるだけでは対処しきれぬもうひとつの特性にあった。
鋭利な石がブライトの身体をすれ違い、ほっと一息つく間もなかった。ぱんっと空中でクラッカーのような音を鳴らすと、石は何もない空中で跳ね返り、再びブライトの身体に迫っていた。
水切り石のように空中でバウンドし、運動方向を転換する特性。
「それこそがこのマテリアロイドの最も厄介な特性だ。諸君ら後方支援部隊も念の為、会敵した時に備えて頭に入れておいてくれ」
頭の中で上長の声が反芻されるも、一の矢を避けたことでバランスを崩した姿勢では、次の回避行動にすぐさま移ることがかなわない。
鋭利な石礫が眼に直撃しようかというその時、あぶないっ、と叫ぶ声がして、ブライトの脇腹が何者かに押されて地べたに倒れ込んだ。
間抜けな尻もちをつく羽目になってしまったものの、間一髪で救われたのだ。だが、瞑っていた瞳を開くと、そこには身代わりになって肩から血を流すシモが膝をついていた。息を切らし、頰の肉が痛みのあまり痙攣している。
「おや、お仲間の登場かい。まあ、どっちでもいい。負傷したお前さんを人質にしよう。甘ちゃんの管理委員共にゃ、仲間を見殺しにする甲斐性はないだろうからな」
頭目は白い顔から牙を覗かせ、再び投石の構えに入った。
これでおしまいか。覚悟を決めた時だった。地面が小刻みに揺れていることに気づく。
頭目もそのことに気づくと、構えを解いていた。揺れはもはや二本足で立つことさえ阻むほどに大きくなっていた。
「地震か?」
いや、違う。そう確信した瞬間、頭目の足元から二本のドリルが突き出していた。土を抉る音をうるさく立て、煙を舞わせるその本体が地表へと現れる。それは二本の牙を備えた地底戦車らしかった。
出現場所から飛び退いた頭目含めて、ブライトも目の前の機械を訝しんでいた。機体上部の蓋が開くと、中から二本の耳を立てたカバが顔を出した。言うまでもない、ライカその人だった。
「やあやあ、君たち危なかったね。助太刀に来たよ」
余裕綽々にそう述べるライカを隙だらけと判断し、頭目は手元に隠し持っていた残りの石を三つほど投げつけた。
あまりにも一瞬のことだった。ライカに警告するよりも前に、石はライカの間合いに達した。しかし、待ち構えていたかのように、ライカの隊服からぐにゃりと這い出た何かがその石を捕らえていた。石ははじめは抜け出そうとぐらぐらと揺れていたが、すぐにぴたりと止まってしまった。どうやら石を捕らえたその物質は、捕らえる際には柔らかく、そして捕らえた後は弾を返さぬように硬化したようだった。粘度と硬度を意のままに操れるクレイモアというマテリアロイドに違いなかった。それを瞬時に操った主が大きな口の口角を上げた。
「その子達の背後の木に刺さってる五発。そしていま投げた五発。君の所有している弾数は事前の報告が正しければ、もう残ってないんじゃないかな?」
頭目は激しく地団駄を踏んだ。せっかく人質を攫って逃走できそうだったところに割り込んできた闖入者への奇襲も失敗し、こちらの手の内も読まれていたとあっては無理もない。
ならば負傷した若造を人質に、とでも考えたのだろう。汗を飛ばす勢いで、さっきまでブライト達が伏していた場所へと振り向いた。
だが、ブライトとシモの前には遅れて到着した上長のレインが立ちはだかっていた。続いて、ぞろぞろと持ち場の仕事を終えた委員が集まり、完全に包囲される形となったところで、頭目は地面に膝をついた。
後で聞くと、ブライトの抜け駆けに気づいたシモが、今回の作戦指揮を取っていたレインに連絡していたとのことだった。間一髪助けられる形になったが、シモも命令違反をしていたのだ。そして幸いにも、山賊のアジトの脱出口が山のどこかに隠されていないかを探索していたライカにレインが連絡し、二人とも救出される運びとなった。やはりあの頭目は中腹に隠してあった麓への隠し通路を頼って逃走する手筈だったと、ライカは振り返りの会議で報告していた。
その会議が終わると、ブライトとシモは二人して無許可で作戦を外れた行動を取ったことをレインから咎められた。尊敬と同時に畏れを抱いていた当時の上司から詰問され、体中から嫌な汗が吹き出していたが、何よりもブライトの心を沈めたのは、包帯を巻いて入院することとなったシモの姿だった。
シモの怪我は運良く骨折で済んでいたし、ブライトのことを慮ってくれていた。「気にするなよ、大将。気にされた方がかえって気に病む」とは、見舞いにいった日のシモの言葉だった。
だが、一旦踏み外した足取りに動揺したブライトは、そこから元の調子に回復することはなく、それどころかさらなる失態が続いてしまった。遅れを取らぬよう必死に同僚たちに合わせていた歩幅は、いつの間にか差異が生じ、ついには膝をついてその背中を見送るほどにまで陥っていた。
「もしよければうちの隊に来るかい?」
ライカに声を掛けられたのは、そんな憔悴の日々に溺れかけ、本部にある部署異動の掲示の前でぼんやりと立ち尽くしていた時だった。
そうして連れて行かれたのが、見捨てられた地とも呼称される死の砂漠だった。当然だが、政治と経済の中心地である都と比べれば殺風景としか言いようがなかった。
彼女がリーダーを務めるモグラ隊は、燐光蟲のいないこの広大な砂漠で、未だ埋まっている危険物を探知し、除去することを役目としていた。それはこの世界の心臓部である都での任務からはかけ離れた、いわば窓際部署に押し付けられた後始末のように思えた。
「今考えていることわかるよ。ずばり、窓際部署だとか思ってるんでしょう」
「それは……」
「まあ、その通りかもね。そう言われたら返す言葉はない」
自分の仕事を軽んじられてもあっけらかんとしていたライカの様子を前に、ブライトは反応に迷った。
「世界秩序を守るための管理委員会に属しているってのに、ふだんは肝心の燐光蟲のいない砂漠を任されてるんだからね。そう思われても仕方ないっちゃないね」
「じゃあ、どうしてこんなことを……。ライカさんの評判は聞いてますよ。レイン隊長から、優秀だというのに見合った出世を望まず、砂漠で掃除の仕事に甘んじていると」
「へえ、あいつそんなことを。嬉しいけど、甘んじているっていうのは癪だね」
彼女が操縦する地底戦車は喋っている最中もぐんぐんと砂漠の中を潜航していた。何か障害物に突き当たったらしく、車体全体がガタンと揺れた。
突き当たったのは、古びた戦闘機だった。それを皮切りに、次々と似たような兵器が見つかっていく。その調子で探索しているうちに、レーダーがアラートを告げるサインを発すると、ライカは地底戦車を地上へ抜けさせた。
「ここで待ってて」と言われて、待つこと一時間以上。戦車の上で砂漠を見渡しながら過ごしていると、ライカがクレイモア粘土に包んだ何かを作業用の別車両に乗せて戻ってきた。
「それなんですか?」
「旧式の対戦車地雷だね。ああ、警戒しなくて大丈夫。クレイモアで包み込んで内部を真空状態にしたから爆発は起きようがない」
「地雷……。今日はこれで終わりですか?」
「この後、寄るところ寄ったら終わり」
回収し終えると、ライカとブライトは砂漠を出た。たどり着いたのは、森を拓いて作られたキャンプ場だった。同じ形をした土色のテントが広い土地に規則的に並んでいた。
集会場と思われる大きなテントに入ると、ライカの顔を見るなり、とある一団が駆け寄ってきて「どうでしたか?」と、不安そうに尋ねてきた。
「回収には成功しました。あとは念の為、調査してもらってOKが出れば戻れると思いますよ」
ライカの言葉に群れ一体で安堵のため息をついた。ライカは、ありがとうございます、ありがとうございます、と何度も頭を下げられていた。
「理不尽だよねえ」
ライカは管理委員が宿泊するための詰所を目指している道中で、そんなことを言った。彼女曰く、さっきの人々は地雷が見つかって退去せざるを得なくなった村の住人なのだという。
あの砂漠が砂漠になるよりも前からその村はあった。大きな戦争が向こうの世界で巻き起こってから、アニムスは多くの兵器をあの地域一帯に呼び寄せ、それが砂漠化の引き金になった。初めて砂漠化が確認された時点では、村は砂漠化範囲の外側にあり、不安を感じながらも村に暮らし続ける者は多かった。ところが、最近になって砂漠は村を侵食し、近くに兵器が埋まっていたことが確認されるや退去命令が発出され、住処を追われることとなった。それがあの住人だった。
ブライトはその話をどう噛み砕き、どう答えればよいのかわからなかった。ライカはフロントガラスの向こう側の夕闇に向かって話し続ける。
「何もしていないのに突然住んでる場所を奪われるって気持ちは他人の私にはわからないけど、取り戻してあげたいって気持ちはある。都のエリートより遥かに地味かもしれないけどさ、誰かがやらないとあの人達は理不尽を飲んだまま生き続けなければならないんだ。だから私はこの仕事をする。それだけだよ」
それからライカは、まあいつか窓際部署呼ばわりしてる奴も見返すけどね、と付け加えて頰を緩めた。




