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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第93話 王子の呪い

 夜もすっかり更けて、みんなが寝静まり返った時間に、ミナギは目を覚ました。


 この頃、あの夢を見ることを恐れてか、はたまた長引くデザートパラダイス暮らしの日々に不安を感じてか、深い眠りにつくことができていなかった。もっというと、シエルと同室のヴァーユとも違って彼女には個室があてがわれていたのもあって、夜に一人で考え事をしてしまうのが根本的な原因だった。


 時計を見てもまだ日は跨いでいない。ベッドから起き上がり、ホテルの廊下に出る。


 空調の効いた内廊下の白い壁を間接照明がほんのりと照らしていた。部屋を出てロビーへ向かおうかと思ったところ、廊下の突き当たりの壁に見覚えのある影が浮かんでいた。


「やあシエル」


 小さな耳に尖ったマズル、ひょろりとしたシルエットの正体に話しかけると、相手は少々驚いた様子でこちらを向いた。


「おや、ミナギ様、こんな夜更けにどうされましたか?」


「ちょっと寝付けなくてね。どこかで飲める場所はないかと思ってさ。シエルはどこ行っていたの?」


「ワタクシはシャンプーを買いに行こうとしていたのです。日中はシャドさんとヴァーユ様に付きっきりでしたので。ここのアメニティもなかなか良質なものを揃えてはおりますが、ワタクシがいつも使っているものの方が相性が良いようで」


「そういえばここにきてから毛並みがすこーしゴワついて見えるね」


「やはり……」と肩を落としたのち、シエルはこうも言った。「ところでミナギ様、お酒を飲むのであれば、ワタクシめ良い店を知っております。よろしければ案内致しましょうか?」


「是非ともお願い」


 そうしてシエルについていく。ライトアップされた噴水の置かれたホテル前の停車スペースを通り抜け、しばらく歩いた。時間帯もあって、昼には出ていた出店の類は暖簾や看板を取り外して生気のない表情を見せている。飲食店を多く有しているショッピングモールにしても営業時間外なので、非常灯や清掃業者のいるエリアに点灯した明かりがわずかばかり面している夜の海辺に落ちているのみだった。


 飲める店などあるのだろうかと思案顔でてちてちと目の前をいくシエルの小さな背中を見つめていると、やがて砂浜の地面に大きな轍のようなものが見え始めた。これは一体なんなのだろうと観察して続く先に目線を移すと、海岸沿いの波打ち際に大きな黒い影が止まっているのが見えた。


 はて、とミナギは昼間の記憶を手繰り寄せる。海沿いにこんな大きな建物があったのだろうか。


 近づいていくにつれて月明かりの逆光が解けていき、目の前に到達するとその全容が露わになった。それはいつの日か、森の中で見かけたあの喫茶店だった。轍の続く先には木造りの家屋の四隅に備え付けられた車輪が待ち受けていた。


 唖然とした表情で立ち尽くしていると、シエルは何てことないようにミナギを呼んだ。


「ここです。ミナギ様」


「ここって……」


 見間違いではないかと目を見張ったが、そのログハウスを構成する木材の形状、色味、その古び具合の何から何まで森の中でかつて見た姿と一致する。違うのはあの時は森の中に建っていて、今は海岸沿いにあるということだけだ。


 シエルに促されるままその建物の扉を開くと、やはりお馴染みの光景が広がっていた。天井から吊り下がっているぼんぼりのような照明器具が店内に落とす優しい光の具合も、ビンテージものっぽい木製机が漂わせる木の香りも一緒だ。


「いらっしゃいませ」と迎え入れる、マスターの渋い声も変わっていなかったが、今のミナギはかえって戸惑いを覚えた。


 そのせいでまたしても立ち尽くしていると、カウンター席に腰掛けていた二人組がミナギの存在に気づいて声を掛けてきた。


「ああ、迷い人さん、こんなところで会うなんて。どうもこんばんは」


 片方はこのデザートパラダイスの最高責任者であるケルンだった。よく見ると、彼女が腰掛けているのはこの店の椅子ではなく車椅子だった。


「あっれえ? メドウくん、ならここにはいないよう」


 呂律の怪しい口振りでもう片方が振り返る。そちらはモグラ隊のリーダー、ライカだった。


「いえ、メドウさんを探しにきた訳じゃないんです。ただ飲みに来ただけといいますか」


 ミナギはそう説明する最中にもライカの言葉に多少落胆していた。メドウとあれ以降なかなか話せないまま、なし崩しにここに留まっているのだ。


「それよりも、意外な組み合わせ。お二人ともお知り合いだったんですね」


「まあねー。組織は違えど、ウチらはこの見捨てられた砂漠をどうにか守っている者同士だからね」


 ライカはそれからグラスを傾けて酒を口に流し込んだ。そんな彼女を横目に伏し目がちにケルンは言った。


「ごめんなさいね。ニュースで知っているかもしれないけど、メドウくん、襲撃にあった施設の見回りにつきっきりで」


「それは仕方のないことですから、所長さんが謝ることないですよ」


「でも、ある意味ではこの施設の責任者である私が引き留めている形になってしまっているから。メドウくんから受け取った濾過装置の部品は問題なく受領したから、襲撃の騒ぎを抑え込めればあなたも帰路につけると思うんだけど」


「まあ、立ったままというのもアレだからどうぞ座りなさいな」


 音程のずれたライカの声に促されるまま、ミナギは隣の席についた。シエルは予定通りシャンプーを買って来ると言って店を出て行った。


「ヒョウ爺も飲もうよ」


 ライカがグラスを掲げた先を見ると、離れたテーブル席にあの老ウサギのヒョウが座っていた。片耳にイヤホンをつけて、店内の空気を満喫しながらもラジオを聴いている様子だった。


「ワシは遠慮しとくよ。この頃トイレが近いから」


「そんなの気にしないのにー」


「お前さんが気にせんでも、ワシのおトイレ事情は変わらんの」


 ライカの誘いをひょいとかわしてヒョウは片手を挙げて出口に向かう。トイレ事情は建前で女性同士水入らずの間に水を差さないように気を遣っていたのは明らかだった。


 ヒョウが去って行ったのを見届けてから、ミナギはマスターにカクテルを頼んだ。


「律儀だよねえ、彼。でもその律儀さ故に苦しい立場というかなんというか」


 メドウのことを再び語り出す。酔った調子ではあるが、ライカの声音は真剣だった。


「今日だって良い加減休めって言ったけど、休んだフリしてずーっと動きっぱなし。ウチの隊員のブライトくんが腕を折って、前線の戦力が落ちたのを気にかけてくれているんだと思う。でも、自分もあなた達迷い人を届けるって任務もあるっていうのに、なんだか損な役回りを引き受けさせられてる。実際問題、彼に頼らざるを得ない私たちの力不足も恥じるしかないけどさ」


 ミナギはライカの言うことを受けて、以前にも抱いた疑問を再燃させた。


「誰かに助けを求めることとかしないんですかね、あの人」


「しないしない。少なくとも私は見たことない」


 ライカは大袈裟なくらいに手を横に振るった。


「何でも出来るせいで何でもやらないといけないと思っているのかもしれないね」


「それ、私も思いました」


 ミナギは首を縦に振るが、隣の席でライカは体を揺すっていた。それは同調というより、笑いを堪えようとするところから来る反応のようであった。


「どうしたの、いきなり笑って」


 ケルンが浮かない顔をしてライカに尋ねた。


「いや、その王子様のように振る舞おうとする悲しい男の性のようなもの、ある人に似ていると思ってさ」


「何のことです?」


「あのボロ遊園地の園長」


 その言葉を聞いて、ミナギとケルンは「どこが?」と声を重ねた。


「うーん、格好つけようとしているという点においては似ていると言えるんじゃない?」


 そしてライカは半笑いのままケルンを見た。その仕草が意味するところを、ミナギは瞬時に察する。


「ええ? そうだったんですか?」


「あなたと違って、もう昔の話だけどね」


 そう言ってケルンはミナギの左手薬指の指輪を指した。ケルンの方の指には何もはめられていない。


「今日ちょっとウチの部下の報告を受けたら、あの遊園地、なんだか面白いことになってるらしいじゃん。何でも追い出されないように必死だとか何とか」


「それが私のためだと言っているの? 冗談でしょ」


 ケルンは顔を顰め、気まずさを紛らわすようにグラスを傾ける。


「ケルンのためというか、まあ、気を引こうとして必死なんじゃないかな」


「そんなはずは」ケルンは再びグラスを口元で傾けようとする。が、口に含む直前でグラスの動きが止まった。


「何か心当たりあるの?」


「でも、そうだな……昔は確かに王子様みたいだったなと思ったことはあるかな」


「へえ、聞きたいね。あの悪名高い園長の王子様らしい一面、気にならない?」


 ライカから急にボールを渡され、ミナギは当惑する。しかし、あの潰れかかっていた遊園地の園長と目の前にいるこのデザートパラダイスの創設者の間に渦巻いていた情愛に興味がないとは果たして言うことはできなかった。


「出会った時のこと、前に話さなかったっけ?」


「水神様が出たっていう例の日の話? ウチが聞いたのはその日に出会ったってことだけよ」


「その日ね、友達と一緒に遊園地に遊びに行ったんだ。近くに移動式遊園地がくるからって、私も興味があってついて行った。今思えば、その当時は親からも相当過保護に育てられていてね。辞書よりも重い物なんて持たせてくれないくらいで、なかなか外出なんてするような子じゃなかったんだけど、その時だけは勇気を出して親にも内緒で出かけた。でも、当時は車椅子の子が遊べるような環境じゃなかった。先代の園長が経営していた頃は、段差も多くてスロープもなし、専用レーンなんてのも当然のようにない。とても遊べる雰囲気じゃなかった。気が引けて、それで結局友達が遊んでいる間、その辺で本を読んで待つことにした。せっかくの遊園地だったのにね」


「そうだったんですね」


 相槌を打ちながらミナギは遊園地の設備を思い出していた。今の遊園地は当然のようにバリアフリーのデザインが施されていたし、現に体の小さなシエルでさえ特別な計らいによりアトラクションに乗せてもらうことができていた。


「そうしていたら急に誰かから車椅子を押される気配がしてね。あの時は本当にびっくりして、必死に抵抗したっけ。とにかく気が動転して、正直、その前後のことはよく覚えていないんだけど、それをいち早く見つけて助けてくれたのがーー」


「園長ってわけだ」


 ケルンはゆっくりと頷いた。


「そう、それが出会い。流石に白馬に乗ってはいなかったけれども、いきなり現れて私のことを助けてくれた。それもその日、二度も」


「一度目がそれとして、二度目ってのは?」


「その後、事情を説明したら、園長に相談して観覧車に乗せてもらえることになったの。でも、あの日は運悪く例の大火災が起こってね。後で知ったんだけど、ブルータルズがあの付近の遺失物を探るため、故意に爆発事故を起こしたらしいんだ。まあ、それはともかく、火災が起きた時、ちょうど私達はゴンドラが頂点に達したところにいた。急停止して、初めて高所に取り残されてしまったからずっと震えてた。そうしたら、一緒に乗ってくれてたあの人が、止まっている間ずっと大丈夫、大丈夫って声をかけてくれた。水神様がすぐ上を通って行ったらしいんだけど、それはよく覚えていないな」


「文句のつけようがないくらいにロマンチックな馴れ初めですね」


 ミナギはお世辞などではなく本心からそう述べた。これまでに友達から聞いたどの馴れ初め話と比べても突出してそう感じられたのだ。


「でも思い出す度、引っかかるところも二つくらいある」


「どうせならもっと格好良い人の方が良かったとか?」


 ライカの冗談に、ケルンは苦笑して首を横に振った。


「一つは、その車椅子を押そうとしていた子のこと。何か害意があったわけじゃなくって、思い返すと、待ちぼうけを食ってた私に同情してくれたのかなあって思うことがあるんだ」


「どういうこと? アトラクションに乗せようと引っ張ったってこと?」


「うーん、何だか一緒に遊んであげるとかそんな感じのことを言っていた気がしてきて。なにぶん、あの時はアトラクションや周りでよく聞こえなかったから。でも、もしそうなら変に騒ぎ立てたことを謝りたいな」そう言ってケルンはバーカウンターの向こう側をまるで遠くの景色のように見つめ、「もう向こうも覚えてなんかいないかもしれないけど」と付け加えた。


「心残りのもう一つは?」


「もう一つはそのロマンチックな出会い方そのもの」


「ええ? なんで? 誰に言ったって恥じない馴れ初めだと思うけどなあ」


「それよ、それ。私を助けてくれたことは感謝しているし、昔はそれがいい思い出だったのかもしれない。でも、年月を経ると、それがまるで呪いのように変わっていったんじゃないかって思うの」


「王子様にかけられた呪い、ですか」


 ミナギはふいにそんなことを口にした。


「何それ?」


「昔話や御伽噺に王子様が出てきて、お姫様を助けますよね。そういう話ってよくあるじゃないですか」


「あー、王子様の口づけによってお姫様は永遠の眠りから覚める、的なやつね」


「そう、お姫様にかけられた呪いは確かにそれで解けたのかもしれない。でも、実はその呪いは移り変わっているだけなんじゃないかって私は思うんです」


「呪いが移る……興味深い考察だね」


「だって、口づけ一つで消えてなくなるのを信じる方が難しいですよ。質量保存の法則っていうのもあるんですから。そして、その呪いというのが王子様に取り付いたんじゃないか」


「なるほどね、それが王子様の呪い。だとすると、その呪いというのは一体?」


「お姫様をこれからも救わなければならないという呪いですよ、きっと。周囲からも王子様自身もその期待に応え続ける無限地獄、それに耐えるかどうか。耐えられなければお姫様との関係は破局する。そういう呪いがあるんじゃないかって私は考えてます」


「驚いた。言いたいこと全部言ってもらっちゃった。まあ、つまりはそういうこと」


 ケルンはそうしてミナギの講釈に賛同すると、酒を仰ぐ仕草をした。


「そういう呪いにかかったから、きっと私達は終わってしまったんじゃないかって私は考える。あるいは、どこかのタイミングでそれに向き合わなければならなかった。確かにロマンチックだけれど、そのロマンに浸ってばかりの関係からいつかはっきり決別しなければならなかった。それが引っかかるの」


 そうしてケルンは勢いよく酒を呷った。それから当初の話に巻き戻すように言った。


「メドウくんもきっとどこかで呪いをかけられたのかもしれないね。もっとも、それが誰に、いつかけられ、そしてどんな呪いなのか、私にはさっぱりわからないけども。迷い人のあなたにはわかる?」


 ミナギはケルンの問いには答えられなかった。身を案じて助けに行ったミナギ達に辛く当たった以前のメドウの表情が瞼の裏に浮かびそうで、余計に眠れなくなったかもしれないと思った。

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