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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第88話 不吉のプレゼント

「おいおい、ちょっと待てよ」


 ダガーの声がバレルの語りを遮った。


「一体どこまで話すつもりだ? 私はお前さんがああも遊園地を毛嫌いしている理由とその指輪がなんなのか聞かせろと言っただけだ。まさか自分の武勇伝をしこたま私に自慢するつもりじゃあるまいな」


「おう、そのつもりだ」


 バレルは堂々と開き直った。


「指輪を人質に取られたとはいえ、俺様がお前さんに向かって思い出話を語ろうってんだ。それぐらいしたってバチは当たらねえだろ」


 やれやれ、と口には出さないまでも、ダガーは精一杯呆れた表情を作った。この男は大事な物を人質に握られても下手に出るということをしたがらない性分らしい。


「ま、いいさ。でもおよそその話の先は察しがつく。その哀れな少年をありし日のお前さんが救いの手を差し伸べた……そういうストーリーだろう?」


「人がこれから話そうって時に先に言うな!」


「で、その少年というのが今やお前さんを慕う一の舎弟、ヨークってわけか。なるほど、感動的だ。お前さんも立派だよ。立派立派」


 ダガーは何もかも言い切ってしまうと、目を瞑って適当に拍手を送る。バレルはその乾いた拍手のニュアンスに気づいておきながらも、敢えて胸を張って見せた。


「そうさ、俺が救ってやった。ボスがかつて俺にそうしてくれたようにな。さあ、お前の暇つぶしに付き合ってやったんだから、指輪返せよ」


「ほらよ」と言ってダガーはバレルの方に指輪を放った。「ボスのままごとをしていい気になって、単純なやつだ」


「なんだと?」


 バレルはダガーを睨みつける。今度はバレルもその挑発的なニュアンスを見過ごさなかった。


「いいことを教えてやろう」


 そう言ってダガーは荷物から腕時計を取り出してみせた。コバ塗りまで抜かりなく施され、手触りのいいシボ加工の皺の入った革のベルトに重厚な光を返す金属の時計盤が乗っている。


「なんだよ? そりゃ」


「入団時にボスから貰った祝いの品さ。もっとも、私の趣味じゃあないんで、じき質にでも入れようかと考えていたところだがな」


「ボスの厚意を無碍にする気かてめえは」


「厚意、ね。もしそれが根っからの厚意ならば私も売りに出すのは忍びなかっただろうな」


「どういう意味だ?」


「こういった金品を渡された奴は他にもいくらでもいるということだ。私には、このばらまきはあの女の常套手段とみえるね。体よく愛情や承認を与えたフリして、そうやって手駒に気を持たせておくんだよ」


「そんなわけあるかっ!」


 ダガーの言葉をかき消すようにバレルは大声で吠えた。室内の空気がひりひりと震えた。


「今度ボスのことを貶すようなことを言ってみろ。ただじゃおかねえ!」


「じゃあ聞くが、お前はその指輪を貰い受けてからボスと会ったか? 向こうから直接言葉をかけてもらう機会はあったか?」


「それは……」


 バレルは返答に窮した。


 頭の中ではダガーの問いを否定するための材料を組み上げようとする。けれども、そう試みれば試みるほどに、ある事実が浮かび上がってくるのだ。


 ーーそういえばいつだっけ、ボスと最後に会ったのは? 最後に交わした言葉の内容は?


「その指輪、内側には何も彫られていないな。だが、よく見ると厚みに変化がある。おそらく元々の刻印を削って消したのだろう。お前のために用意した指輪かどうかも疑わしい」


「……黙れ」


 頭痛でも抑えるかのように額に手を当てるバレルにダガーはこうも続けた。


「何度も言うが、何も私はお前に意地悪したくて言っている訳じゃない。ただお前が作り上げ、肥大化させた理想像に囚われているばかりのようだから、忠告しているだけだ。私のようにボスを崇拝せずとも、適当に組織に折り合いをつけて生きる道だってあるってことをだなーー」


「黙れっ!」とその場を揺るがすほどの大声がバレルの腹の底から響いていた。


 しかしそれからバレルは「一人にしてくれないか」と恐ろしいほど静かな調子で言い直した。直前の喧騒が嘘のように、消え入りそうな声だった。


 どの様子を見て、ダガーは今は何を言っても無駄かと観念した。


「わかったよ。でも、最後に一つだけ。救出に成功した時には、その指輪の身代わりになったヨークのこと、少しは気遣ってやれよ」


 そう言い残してダガーは部屋から出た。


 しかしその言葉はバレルの耳に届いてはいなかった。


「誰だ?」


 しばらくしてバレルは察知した気配に反応した。その言葉に応えるように、影から姿を見せたのはホルツだった。


「なんだ、お前か。また盗み聞きか? いい趣味してるぜ」


「申し訳ない。そのつもりはなかったんだが、たまたまな」


 ホルツの表情は月明かりの逆光を受けているせいでよく見えない。見えた所で大した表情の変化もないので意味はないと思われるが。


「何の用だ? 作戦なら今の所順調だぜ。敵は俺たちの狙い通りに誘き寄せられるだろうよ」


 バレルはダガーに釘を刺された通りに口裏を合わせた。一応、この男の前ではまだ依頼品のペンを奪うという体で行動している。だから、カイムの協力も得てリニア設備のハッキングが出来たのだ。


「その事ならば心配はしていない。が、万が一ということもあると考えて、こちらから是非とも渡したいものがある」


「渡したいもの?」


 ホルツは手元から小瓶を差し出した。その器の中で黒い砂が蠢いている。


「なんだ……そりゃ。ずいぶん不気味なプレゼントだな」


 バレルは率直に感想を述べた。


「不気味かもしれないが、役に立つだろう。何しろそちらが使っているサンドウィッチマンの強化素材だ」


「強化素材?」


 バレルはその単語に興味を惹かれた。


「ああ、ダガーの奴が使ったっていう防水スプレーとかいうのと似たようなものか」


「そうだ。あの対イールウォーター撥水スプレーは作戦の成功確率を高めるべく我々が用意したもの。しかし、カンニングペーパーと異なり、サンドウィッチマンは粒子状の物質で構成される都合上、体積に占める表面積の割合が高く、付着させての実戦運用は重量の問題により極めて困難だ。そこで用意したのがこの強化素材というわけだ」


 ホルツが粛々と説明している間にも、その小瓶の中では黒い砂が幾重にも波を立ててガラスに衝突していた。それはまるで外に出たがっているようにも見える。


 ホルツは小瓶をバレルの方に差し出そうとする。だが、バレルは握ろうとした直前にそっぽを向いた。


「どうした。要らないのか」


「要らねえ。俺には必要ねえ。そんな狡い真似できるかってんだ」


 かぶりを振って、バレルは受け取ろうとしていた自分を恥じた。なぜそんなものに頼ろうとしたのか。頼ればあのメドウに勝てるかもしれない。そんなふうに考えたからだ。だが、外的要因に勝機を見出そうものなら、その途端に自分ははっきりと敗北を受け入れ、永遠に勝つことは出来なくなる。だから受け取るべきではないのだ。


「そうか。まあ、無理強いはしない。何より、あの管理委員と再戦するなどと決まった訳ではないからな。むしろ作戦の成功確率を高めるためにはどうあっても正面衝突は避けるべきだろう」


 バレルはホルツの目を見た。バイザーに覆われているから、そこから言葉の真意は読めない。だが今のはまるでメドウに勝てない自分を前提に置いた口振りだった。


「ーーしかし、繰り返すが、万が一ということもあるのでな。これはここに置いておこう。もし万が一、使わなければならない時が来れば使うがいい。あくまでお前の判断でな」


 ホルツは小瓶を机の上に置くと、再び闇に姿を紛れさせて退散した。


 バレルはその小瓶を見つめた。


「依頼人が来てたのか?」


 ダガーが戻ってきた。バレルは咄嗟に平静を装った。


「あ、ああ。作戦は順調だって言っといたぜ」


「そうか。ならいいが……」


 ダガーはバレルに違和感を覚えながらも、釈然としない面持ちで別の部屋に戻っていった。


 バレルが後ろに回していた手には、あの小瓶が握られていた。手のひらに黒い砂の不規則な挙動が瓶越しに伝わっていた。

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