第80話 鼻高の案内係
メドウとライカがEー1区画へ向かったので、ブライトはデザートパラダイス本体を挟んで反対側に位置するW区画を警戒して回ることになった。
W区画は更にWー1からWー4まで4つの区画に分けられており、いずれも一般利用客が立ち入れない研究棟になっていた。それぞれに貴重な研究資料や設備が揃っており、Eー1区画に警戒の手を入れたからといって、こちらの手を緩める訳にはいかなかった。
万が一、現在手薄になっている南北どちらかの区画が敵の本命だったとしても、メドウ、ライカ、ブライトがいる区画と隣接しているため、異変を察知してから挟撃に向かうことは容易いと思われた。
ブライトは研究棟の屋上に立って砂漠を一望したが、見晴らしがいい外部からやってこようものなら即座に対処できると考え、また先のライカの指示通り、ヒョウが放った偵察用の綿毛が太陽光に時折煌めきながら空気中を漂っているのを目に留め、ここから優先的に警備する必要性は薄いと判断した。
敵が来るとすれば、以前に列車の線路上に黒豹が現れた経験則上、研究棟地下からだろうと当たりをつけて、警戒することにした。
警備室にその件で掛け合うと、W区画の責任者も同伴することになった。
地下はビオトープになっているらしい。そこへ関係者以外の者を勝手にうろつかせて何かトラブルになるぐらいなら多少手間でも随伴しておきたい。といった旨のことを、ブライトは太い鼻を携えたバクの管理責任者から嫌味混じりかつ遠回しに説明されたのだった。責任者の名はボーデンと言った。ボーデンは極めて事務的な口調でこの施設での禁止事項を説明すると、足早にブライトの要望通りの場所へと向かい始めた。
案内されたエレベーターの中で、ボーデンは不満げな表情を隠さずにこう述べた。
「ブルータルズがこんな僻地にまでやってくるなんてね。ただでさえ今期はN区画に建設中の博物館絡みでバタバタしてるのに、これ以上厄介ごとが増えるのは勘弁願いたいよ。管理委員さんにこう言ったって仕方ないんだろうけどさ」
「いえ、全くです。僕たちも別地での任務を中断してここへ戻ってきましたから」
「お宅らにとってもとんだ災難だったわけだ」
「念のため伺いたいのですが、ここには何か連中に狙われそうな物など保管されているでしょうか。もっとも、研究資料・設備等は全て貴重に決まっているとは思いますが」
「我儘言えばここだけじゃなくデザートパラダイス全域を見てもらいたいものだがね。何しろケルン主任が骨身を惜しまず成長させてきた研究所だから」
意地悪な返答にブライトは苦笑するしかなかった。だが、ボーデンもその自覚はあるようで、鼻を鳴らしてから言い直した。
「というのは冗談として、そうだなあ、もし自分が泥棒だったとして、真っ先に狙うのはやっぱり博物館に置く予定のアレかな」
「心当たりが?」
「アークレイドルだよ」
その名前を聞いたブライトは、ああ、と頷いた。
「燐光蟲研究部門が世界各地に設置している例のアレ。あまり注目されないが、早い話が超高性能のスパコンらしい。24時間365日稼働し、設置された地点から広範囲に渡って生態や気候等の環境変化を隈なく記録し続け、各地に設置された他の機体との高速通信も行って、尚その性能を持て余していると聞く。軍事利用したって引けをとらないスペックだよ。使われている特殊金属と半導体だけでも目玉が飛び出るほど高価だし、何よりもあの部署の最先端の知識と技術がありったけ詰め込まれた機械なんだ。引く手数多だろうさ」
あの機械がどうもツァイトライゼの中で特別扱いされていることは、専門知識を持ち合わせていないブライトにも理解できる事だった。遺失物管理委員の業務に携わっている者なら誰もが森の中で頻繁に目にする機械である。しかも、まれに盗難や損害の危険に遭った際には、特に多くの人員が充てられているのを何度も目にしてきた。
「機械ごときにあんなに過保護になるんなら、周辺住民の避難要員にも手を回してほしいもんだね」
いつの日だったか、対ブルータルズの任務において、ブライトのかつての上司がそうボヤいたのを今でも覚えている。
首都圏特殊警護隊ーー。かつての職場での日々が連動して思い出される。回顧するうち、ブライトは内から未練がましさが湧き上がってきていたことに気づいた。
けれども、ボーデンはこちらの様子もお構いなしに説明を続けていた。
アークレイドルは通常何者かの接近を感知し、盗みや解体の気配があれば、本部へ自動的に通報し、即座に近場の派出所から警備員が駆けつけることになっている。しかし、あの博物館建設予定地にて保管されている機体に関しては、半世紀以上前に開発された旧い世代のモデルのため、各仕様が以降の世代と異なっており、防犯機能もついていないのだ。以上がボーデンの説明だった。だが、それも部外者のボーデンが伝え聞いた噂らしい。燐光蟲研究部門は極端なほど外部に対して情報を秘匿するのだとも愚痴をこぼした。これも巷では有名な話だった。
そこまで聞いたところで、エレベーターが止まり地下に到着する。
自らの庭でも歩くようにずんずん進んでいくボーデンについていくと、ブライトはその景色に瞠目した。
中央を通る太い廊下の側に、ガラスで仕切られた部屋がいくつも並んでいる。ガラスの向こうには、ここが人工建設物の地下であることを忘れさせるほどの自然が広がっていた。ある一室で作業着姿の研究員達が、小さな湖の畔に腰を下ろして水質を検査しており、その向かい側の一室では背の高い木々の隙間で植物の生育状態を記録していたりする。全く種類の異なる自然環境が、各々箱詰めされている。そう形容するのがしっくりくる空間だった。
「驚いたでしょう」きょろきょろと視線を動かしていたブライトに、ボーデンは満足げに言った。「これが、うちらの自然環境再生計画の一端だよ」
「砂漠を緑化しようというのは知っていましたが、これほどとは……」
「ケルン主任曰く、ゆくゆくはここの研究成果も観光客向けに展示する予定なんだ。うちらはどっかの秘匿主義者達と違って、緑化のための研究成果を外向けに公表することを惜しまない。惜しまない代わりに、ああして複合型アミューズメント施設で潤わせてもらう。そうして得た利益をまたこうして研究費に充てるーーいやねえ、もう二十年以上前かな。当時は自分も初めてこんな構想を聞かされた時には半信半疑だったよ。ケルン主任は周囲から一目置かれる優秀な研究者で、そんな奇想天外な計画を立案するだなんてねえ」
そう語るボーデンの顔は、初めて顔を合わせた時の毒気のようなものが抜けていた。部外者に対してはややも辛辣になりがちだが、辛酸を共に舐めてきた身内には案外素直な性格なのだろうと思われた。あるいは身内に対してというよりも、行動を伴った崇高な理念の持ち主に対してかもしれない。
「あそこがリニアのホームですか」
しばらく歩いて行くと、搬入口と思われる大きな扉に突き当たった。大型トラックも余裕で通過できる大きさだ。
「そう。地下道への入り口はそこと、あとは両脇の通行人用の扉。その他に侵入経路はないね。仮にどこか別の地中から侵入しようなんて愚か者がいたら、感圧センサーに見つかって即刻お縄さ」
ボーデンは早口でそう説明を終えると、あからさまに腕時計に視線を移す仕草を見せた。その様子から察するようにして、ブライトは感謝の言葉を述べた。
「ご案内ありがとうございます。ここまでで大丈夫です。念のため区画内の別施設も見せてもらいますが、構造はおよそ似通っているとは聞きましたが、ここと何か変わった決まり事もないですよね?」
「ええ。だいたいさっき説明した禁止事項さえ守ってくれれば、お好きにどうぞ。何か困ったことがあれば警備室まで」
ボーデンが仕事に戻ろうと踵を返したところだった。ブライトはさっき聞いたボーデンの一言に引っかかりを覚えていた。以前遭遇したあの黒豹のブルータルズに敗北を喫した記憶と共に、ブライトはその懸念をそのまま放置する訳にはいくまいと思い当たった。
そそくさと自室に戻ろうとするボーデンを呼び止めた。
「あと、最後にひとついいでしょうか」
「まだ何か?」
「……あ、いえ、何でもありません」
だが、ブライトは結局ボーデンには何も伝えなかった。彼の中に浮かび上がった懸念とその対応。それは信頼できる者にしか話せないことだというのが、ブライトの結論だった。




