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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第77話 どうかサクラになっておくれ

 恐怖のジェットコースターから下車した後、四人は水入りのペットボトルを手に、近くのベンチに腰を下ろしていた。


「さっきのアドバイス、ずいぶん適当だな……。叫んだところで根本的解決にはならないだろうに」


 胸を撫でおろし落ち着きを取り戻した頃合いになってから、ヴァーユが口を開いた。


「恐怖の根源を断つなんてそんな都合のいいことできっこない。なら内に溜め込むより外に解放すべし。この上なく合理的な対処法じゃない?」ミナギは乗車前となんら変わらないテンションで持論を唱えた。「意外と、ヴァーユとシエルは平気そうだね」


「以前、どっかの誰かさんの操縦するバイクに乗って街中駆け回った経験のせいじゃないか。銃を持った奴等に追いかけ回されてない分、こっちの方が案外ぬるかったよ」


「”せい”じゃなく”おかげ”でしょ。ねえ、シエル?」


「左様でございます。あのスリルがあればこそ、思いきりがついたのやもしれません」


 シエルはやや興奮気味に語ると、ペットボトルの蓋をコップ代わりにして、ぐいと水を飲んだ。


 かくして、ジェットコースターの感想を語り合うミナギ達の雰囲気は、さながら一仕事終えた解放感と残った余裕で互いを労い合う打ち上げの如き様相を呈していた。ただ、一人を除いては。


「……正気かよ、あんたら」


 項垂れるヨーク唯一人だけが、はしゃぐムードについて行けずに、他の三人を異物でも見るような顔つきでやや離れたところに座っていた。ジェットコースターに乗車している最中に幾度となく襲ってきた内臓が浮かぶ感覚はこれまでにないもので、降りた後もしばらくは胃の中の内容物が逆流してきそうな目眩に見舞われていた。


 ミナギは流石にその様子を見るに見かねて、まだ開栓されていなかったペットボトルの蓋を開けて差し出す。


「お疲れ様、どうだった?」


「どうもこうもねえ、やっぱり兄貴の言った通り、楽しい場所なんかじゃあーー」


 口を開いたままヨークの顔が何かを思い出したように凍りついた。


 その視線の先には、こちらへずんずん歩いてくる園長の姿があった。


「お楽しみいただけましたかな? お、きゃ、く、さ、ま」


 ミナギ達は呑気に楽しかったなどと口々に応答するが、ヨークは内心剣呑とした空気を園長から感じ取っていた。


 先の言葉をまだ根に持っているらしい園長から顔を逸らし、ヨークは気まずさを紛らわすべく水を飲み干す。


 その時、入り口の方からぞろぞろと足音が聞こえてきた。おかげで園長の興味もそちらへ引きつられ、歓迎の挨拶でも述べるためにか去っていく。


 ヨークは一旦ほっと胸を撫で下ろし、再び項垂れて視線を地面へ落とす。


 だが、それも束の間のこと。再び人影が目の前に止まるのを察して、顔を上げた。


 すると、そこには満面の笑顔をした園長が手を擦り合わせながら立っていた。さっきまで見せていた業務の都合から形作られた笑顔とは根本的に異なる、飢えた獣が獲物を見つけた時を思わせる心からの笑顔である。


 それはかえってヨークを身構えさせるものだった。なぜならその獲物が自分かもしれないのだから。


「モノは相談なんだけども、うちで働かないかい?」


 何が来ても我が身を守るための適切な打ち返しが出来るよう全思考を働かせているところに、この言葉である。ヨークは自分の耳を疑った。


「はあ?」


「まあ、見なって。さっきまで閑古鳥が鳴きたい放題のこの遊園地に、チャンスが巡ってきたんだ」


 園長が軽やかな調子で指し示した先には、たしかにチケット販売機へと客が列をなしている様子があった。そうこうしているうちにもチケットを購入した客が園内の各アトラクションへ流れを作り始めていた。


 ヨークは園長はいつの間にか自分に敬語を使わなくなっているあたりに、距離を縮めんとする彼なりの意図を機敏に感じ取り、余計に警戒を強めた。


「だから何だというんだ。おめでとう、とでも言えばいいのか?」


「それはそれでありがたいが……それよりも、俺がお前さんにありがとうと言いたいぐらいだよ。急に客足が増えたと思って探って見たら、さっきのお前さんの叫びに引きつられてやってきたんだとさ」


「凄いボリュームだったもんね。遊園地どころかこの施設全域に響いてたんじゃないかってぐらい」


 横から話を聞いていたミナギが、思い出し笑いをしながらしきりに頷いている。


「働くって、つまり」


「ああ、どうかここのサクラになってくれないか?」


 あまりに奇抜な提案をする園長の顔をヨークはまじまじと眺めた。


「サクラって何のこと?」


 ヴァーユが手帳を開いてミナギに問いかけた。


「こういう商売でお客さんのフリして賑わいを演出したり、本物のお客さんを集めたりする人のこと」


「端的に言ってズルじゃん」


「坊っちゃん、人聞きが悪いな! この遊園地はだなあ、まあ長年に渡る経営故のマンネリや世の中の流行の変遷、経営の悪化による設備老朽化に伴ってすっかり見放されちゃいるが、これでもきちんと魅力があるんだ。伝わってないだけでな。それを適切に伝えるためのれっきとしたビジネスストラテジーと呼んでもらいたいね」


「でも、ズルはズルだろ?」


 少年の指摘に身悶える園長をよそに、ヨークは呆れ果てていた。


 ーーなんだって、こんなとこで働かなきゃならないんだ?


「お前さんのあの新鮮なリアクションは人を惹きつけてやまない魅力があるんだ。だから、どうか頼まれてはくれないか? 給料は即日払い可。ほんの暫くでもいいんだ。いや、これを機に従業員としての正式な雇用もだな」


 園長は両手を合わせて祈るように懇願してくる。


「へえ、なかなかいい話じゃないか」


 予期せぬ方向から背中を押す声が飛んでくる。声がした目を向けると、入り口から人の並びをかき分けて、クルムとヒョウがやってきていた。


「勝手に消えて心配したぞ。逃げ出したんじゃないかって」


 さっきまでヨークがかけていた手錠をクルムが見せると、ヨークは断るための口実を思いつく。


「そうだ。俺はこいつらに逮捕されたんだ。正式な留置が決まるまでここに身柄を拘束されてただけだ。そんな奴に遊園地で働けってのはお門違いってものだぜ、おっさん」


 元犯罪者だと知れば流石に相手も食い下がることだろう。ヨークはバレルと出会ってから自分達が受けてきた懐疑や疎外に満ちた眼差しの数々を思い浮かべながら、その結果を当然のように予測する。


 だが、予測はあっさりと外れたのだった。


「そんなこと知るか。もう俺には、いや、この遊園地には、時間が残されてないんだ。客足も減って、従業員の給料を払うのだって身銭を切ったりもしてる。親父から譲り受けたこの遊園地を生き長らえさせるため、できることは何だってやるんだ。突然目の前に差した光明を、過去の行いがどうとかくだらん理由で逃す手はないんだよ。なあ、頼むよ! この通り!」


 園長は頭を下げた。カラフルに彩ったヘアメイクに戯けた道化服が醸し出していた不真面目さは今は鳴りを潜めて、その身は芯から沸き上がる必死さに溢れていた。


 ヨークは逡巡し、様々な思いを巡らせる。しかし先の自分のことだけは想像できなかった。


 真っ先に脳裏に浮かぶのはバレルのことだった。


 今頃どうしているのだろうか。兄貴のことだからあの程度の怪我は問題ではないだろう。しかし、この砂漠を抜けて安全地帯に逃れることができているだろうか。逃亡に成功したとして、依頼失敗により組織内で評価を落とされていないだろうか。まさか、自分を助けるためにこの砂漠に留まっているなんてことなければいいがーー。


 思考を断ち切るように首を振るってから、ヨークは告げた。


「悪いけど、そんな気分じゃない」


 ヨークは園長の顔を見ることなく、入り口へ歩いていく。


「おい、いいのかよ」とクルムが後ろから声をかけてくるが、ヨークは何も答えなかった。

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