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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第75話 ジェットコースター

 ーーなんで。


 ヨークは座席にもたれながら、自身の胸のあたりにある安全バーを摩った。


「皆さん、安全バーのご準備はよろしいですかー?」


 ーーなんで。


 機体が振動するたび、胃腸のあたりから不安が込み上げてくる。園内の高所を行くレール、その線上に配置された乗り物。目の前の景色から、およそこれから何が起ころうというのかは察しがつく。


 ヨークは今になって事態の深刻さを理解し、必死に安全バーを押して脱出を試みた。だが、バーはびくともしない。


 ーーなんで。


「問題なーし」


 ヨークの焦りをよそに前の座席に座っている他の乗客が、遊園地の園長に向かって先の質問に答えた。人間の女性が一人、その横に人間の少年が一人、隣り合って座っていた。


 ヨークは彼女らの後ろに“座らされていた”のだった。


「ううう、ついに始まるのですね。ミナギ様、ヴァーユ様、ワタクシは生きて帰れるでしょうか」


 ヨークの横に座っていたオコジョがぶるぶると震えて前方に語りかける。


 その声に反応してミナギという女性が笑みを浮かべながら振り返った。そこで初めてヨークの存在にはっきり気づいたらしい。


 ーーなんで。


 ミナギは「あれ?」と声を漏らした。「捕まってた人がどうして遊園地に?」


「俺が聞きてえよ!」ぐつぐつと胸中で煮えたぎっていた疑問を噴出させてから、ヨークは園長に向かって声を荒げた。「おい! こっから出せ! 一体何する気だ!」


「サービスですよ、サービス。お客様には特別に当園の楽しさを体験していただきます」


 道化の格好をした園長は、手本のようなアルカイックスマイルを浮かべて、操作盤の前に立っている。さっきまでの憤怒は今は微塵も表に出してはいないが、あれほどの凄まじい激情を事務的態度に変換し完璧に取り繕った園長の上辺が、ヨークにはかえって不気味だった。


 ミナギはふと引き攣った顔をした同乗者に向かって人差し指を立てた。


「ふーん? ま、いっか。だいぶ緊張しているみたいだから、せっかくなので二人にこの恐怖に打ち勝つためのアドバイスを伝授して差し上げよう」


「ふん、アドバイスねえ?」


「是非ともお願いしますお願いしますお願いします」


 咄嗟に強がってみせるがヨークの声は震えて仕方がなかった。悲鳴にも近いシエルの懇願がそれに被さる。


「恐怖を感じたら腹の底から思いっきり叫ぶべし」


「それだけ、ですか?」


「以上! というかそれ以外にある訳ないじゃん」


「ぴえええ」


「では皆さん、宇宙の彼方へレッツゴー! 幸運を祈る」


 園長の挨拶とともに機体から合図の音が鳴り、列車が進み出す。


 列車は工場のベルトコンベアに乗せられた工業品のようになだらかな速度で進んでいく。とはいえ、遊園地やデザートパラダイスの他の施設が見下ろせる高所を走っているのを除けば、さほどスリルは感じられない。


 ヨークは思っていたほどではないと安堵し、軽はずみに口走った。


「なんだ、大したことねえな。お子様向けって感じだ」


「いや、これは前兆だから」


 ミナギが振り返らずに言った。しかしその手はしっかりと安全バーを握っていた。


「前兆だと?」


「今話している間にも上に昇っていくでしょ」


「ああ」


「山登りしたら、次はどうする?」


「山を下る」


「滝登りをしたら?」


「それ知ってる。たしか龍になるんだろ」


 ミナギとヨークの会話をヴァーユが茶化した。


「それは言い伝えね。実際に滝から落ちたら?」


「ああもう、山だの滝だの一体何がーー」


 ヨークはいつの間にか周囲の景色が急激に斜めっていることに気づいた。身体にかかる重力は背もたれに集中し、普段は地に引っ張られていた足も座席の下でふらついていた。


 頂上へと着くと、再び平時の平衡感覚を取り戻す。


「ああ、なるほどな」


 急カーブを描いて目下の絶景へと落ちていくレールを目に留めたヨークは、そこでやっと状況を理解した。


 直後、身体の重心が胸へと移り変わる。そのせいで身体は前方に装着した安全バーにもたれかかる形になり、代わりに背もたれから背中が浮く。拠り所を失った背筋はぴたりと硬直した。この上なく不吉な感覚としか言いようがなかった。


 次の瞬間、車輪とレールが激しく擦れ合う音をかき消すほどの音量で、全員が絶叫していた。

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