第74話 つまらない場所
「ふうん、なるほど確かにペンタグラムだ」
ゴンドラが時計にしておよそ十時の位置に達したあたりで、窓から景色を見下ろしていたミナギがふいに言った。両の人差し指と親指でフレームを形作り、対象を切り取っている。
「さっき園長が言ってたベツへレムの星、だっけ?」
「うん。クリスマスツリーの天辺に飾るお星様のこと。この遊園地全体はその形を模してるみたい」
「験担ぎってことね。それにしてはあんまり客寄せのご利益はないみたいだけど」
「君はなかなかどうして毒舌家だね。ともかく、あのジェットコースターが見るからに目玉アトラクション扱いなのも、きっと入り口を下として、その星の天辺に位置しているからってことなのかなー」
遊園地の形に関する考察を述べているうちに、ゴンドラは十二時の位置に来ていた。ふとヴァーユの様子を窺うと、その肩に乗っていたシエルの緊張した面持ちに目線が移る。
「大丈夫? シエル、ずいぶんと震えてるみたいだけど」
「ジェットコースターに乗るにあたってのイメージトレーニングを少々」
「誘っておいてなんだけど、乗るのやめとく? 私だけで乗るのを二人で見物と言うのもありだけど。時には退くも勇気と言うし」
ミナギはシエルとヴァーユの顔を交互に見遣った。
「いえ、ここまで来たからには挑んでみようと思います」
「まあ、遊園地もせっかく来た客には乗って欲しいだろうし」
例によって、ヴァーユも素直さのない口調だったが、乗る意思を暗に示した。
「メドウさん、今はどの辺かな」
観覧車の頂上からは施設の外が一望できた。デザートパラダイスの施設内に設置された周辺地図を見るに、施設の外側にはまた別の貯水場や変電所、あるいは娯楽用の施設などが円形に配置されているらしい。そのいずれかの付近の安全をメドウ達は確かめに行ったのだ。
「また助けに行って叱られても知らないぞ」
「ええ、ええ、その件に関しては反省しておりますよ」
ヴァーユのちくりとした冗談に、ミナギは急にかしこまった口調になって尚も外の景色を眺めていた。
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「どこ行っても興味なさげだな」
クルムは目を細めて、その興味なさげな表情でいる相手を見た。彼女の手には手錠に繋がれた鎖が握り締められている。
手錠をかけられたヨークは先ほどから頑として見るものに反応を示さない。本当に興味がないというのもあるが、ヨークとしては自分を引っ張って施設内を巡るクルムの行為が解せないでいたのだ。
通常、逮捕拘束された者の身柄は強固なセキュリティ体制の下、一切の無駄な動きを取らせないよう監禁状態に置いておくのが筋のはずだ。
しかし、このモグラ隊とかいう妙な連中は自分を連行し始めてからというもの、終始そうした厳格さとかけ離れた処置を施してくるのだ。この施設に連れられてくるまで、二つの巨大なドリルを搭載した地下掘削機に乗せられたが、ブライトの手によってゴムで拘束された点を除いては、ほとんど同乗者然とした待遇だった。聞いてもいないのに自分たちの身の上話を始め、艦内にあったスナック菓子を見つけては分け与え、時に悪ふざけに付き合わせようともする。連行前に固く決めていた覚悟が馬鹿を見た気分だった。
「話したくないかな?」
ある時、ライカというこの隊の長が声をかけてきた。ずっと仏頂面で口を閉ざしたヨークの様子を見かねたのかもしれない。ヨークはその問いかけにも応えることはなかった。
「無理して話す必要はないよ。逮捕時にも警告したように話したくないことは黙秘する権利がある。これ、法治主義の重要な掟だからね。でも、話したいことがあればその時は聞き役にはなってあげられると思う。それも合わせて覚えておいて」
ライカはそれだけ言うと、また運転席で雑談で盛り上がっている隊員に混じりに行った。
きっと自分を懐柔して情報を引き出す算段なのだろう。ヨークはライカが見せた微笑みの理由について、そう思うことにした。
ぼんやりと空を見上げながらそんなことを思い出していると、今目の前にいるクルムはお手上げといった様子で肩をすくめた。
「わかったよ、遊びたい場所がないなら部屋に戻ろう。ーーと、その前に、あんたに言っておかなきゃいけないことがあるんだわ」
一瞬クルムがこちらに向ける真剣な眼差しに思わずヨークはたじろいだ。両者の間に静寂という名の緊張が走る。クルムの唇がゆっくりと動作し、紡がれる言葉の重大さを見るものに予感させる。ついに沈黙を突き破ったその一言はーー
「花、摘んでくるわ」
クルムは近くにあったベンチに手錠を絡ませて、ヨークが装着しているのとは反対側の手錠をロックした。
「すぐ戻ってくる。それまで大人しくしてろよ」
うー漏れる漏れる、と口ずさみながらクルムは急足で遠ざかっていった。
ベンチに腰掛け、遠くに見える海の波打つ様子を観察する。海という水ばかりが広がる大地のことは伝聞で知ってはいたが、こうして実物を見ていると、綺麗なような不気味なような不思議な気持ちになってくる。ただ、海を通ってこちらに吹いてくる湿り気混じりの風の涼しさはこの炎天下にあってなかなか悪くはない。
周囲をちらりと窺って、誰も自分を見ていないことを確認する。かけられた手錠をじっと見つめて、およその構造を理解すると、内側の骨を折りたたむようにして手首を捻った。
こうした手口に及ぶのは慣れっこなので、もはや痛みなどは感じない。手首を経由して骨と骨が擦れ合って、本来当たらないはずの位置に当たる違和感だけが腕全体に広がる。
程なくして手はあっさりと手錠の輪をくぐり抜け、束の間の自由が訪れる。掌をグーとパーにして、自由になった両手を高く持ち上げ伸びのポーズを取ってみる。予想外に訪れた誰も監視しない時間を今いっぱい満喫してやろう。
そう思ったところで、誰かが背後から近づいてくる足音がした。
振り返ると、巨大な甲冑を背負ったような巨大な虫がいた。サングラスにアロハシャツの装いに一瞬は戸惑いを覚えたが、この気候と環境に妙に似合っている気がした。
「やあやあ、コンニチワ。ワタクシ、こういう会社をやっておりまして」と差し出してきたのはお菓子メーカーであることを示すフライヤーだった。何やらこの男、施設内の観光客に声をかけては、自社の製品を試食してもらい、簡易なアンケートを取っているのだと言った。
面倒な頼み事は断ろうと思って口を開きかけたが、自称おじさんはこちらの事情を鑑みることなく続けた。
「いやあ、実はね、おじさん、ただ味わってもらうだけじゃなくて、あそこのお菓子と比較した意見も欲しいところだったんだよねえ。お客さん、見てのところ、あそこに行ったんでしょう?」
「比較? あそこ?」
何のことだと思ってすぐにおじさんが目を向ける先にヨークも追従した。「バルニバービ遊園地」という文字が目についた。ぐるぐると施設内を連れ回されてきづかなかったが、ここは施設の最奥に位置する遊園地のすぐそばだったのだ。
ーー遊園地って、確か……。
その単語には聞き覚えがあった。その時のことを思い返していると、ヨークの視線をおじさんが遮ってきた。ビジネスは時間が勝負ということなのだろうか、答えを催促したかったらしい。
だが、ヨークはかぶりを振った。
「俺は遊園地なんて行かねえよ。兄貴があそこは全然つまんない場所だって言ってたぜ」
すると、おじさんは残念そうに背甲のあたりを掻いた。
「ほう、そうですか。ならば、仕方ないねえ。相対評価ではなく、比較評価でいきましょ」
アンケートに答えるなんて一言も言っていないのだが、気づけばいつの間にか相手のペースに乗せられている。敢えて無関係であったり、難度が高かったりする頼み事をぶつけておいて、次に出す本命の頼み事を受け入れやすくするのはペテンの手口である。この男、察するになかなかやり手だな。
察して睨み返そうとしたところで、別の鋭い視線が自分に向けられていることに気づく。鋭い刃物に匹敵するような緊張が体に走り、身のけがよだつ。敏速な動きで、発生源の方へ振り向く。
そこには凄まじい形相のピエロが立っていた。今さっき走っていたせいか乱れに乱れたボリューミーな羊毛に、亀裂の走った憤怒の紅と不気味な蒼白に染まった顔面ーーに見えるだけで、実際にはカラフルなメイクアップが汗水によって崩れていたことによる想定外の視覚効果ーーを持った不審人物が唐突にこちらを睨んでいるという事実は、ヨークに顔を歪めるほどの恐怖をもたらした。
「おい、誰がつまんねえ遊園地だって?」




