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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第73話 バルニバービ遊園地

「うわあ……近くで見ると本当にボロいね」


 遊園地の前にたどり着くと、ミナギは感嘆を漏らした。両ポケットに親指を引っ掛けて立った彼女の見上げる先には、バルニバービという文字がでかでかと掲げられていた。


 電飾でその名が書かれた鉄製の看板は派手な原色の色使いによりポップなイメージを振りまいてはいるが、端々に付着した錆や塗装の剥げがそれと相反した哀愁を漂わせている。アーチをくぐった先も閑散としていて、アトラクションの駆動音と無人販売機から放たれる楽しげなジングルを除いては、人の気配がない。


「本当にここで遊ぶの?」


「ここまで老朽化した遊園地で遊べるなんて、逆に貴重じゃない?」


「それはそうかもしれないけど」


 園内を歩きながらヴァーユは遊園地の構成を観察する。


 園内は中央にある季節外れのクリスマスツリーを中心に分割された五つのエリアによって構成されているようだ。五角形に配置された大規模アトラクションに沿って各エリアの特色は定められているらしく、まるで切り分けられたケーキのように、くっきりと景観が分かれている。


 例えば、遊園地の最奥に位置するジェットコースターをランドマークにしたエリアは、その宇宙船を模した車両に沿うようにして、近未来の景観を再現する小道具や装飾が置かれている。といっても、エリア内に設置された自動販売機の丸みを帯びた外観は、古典的なSF作品に出てくるような陳腐化したデザインのようであり、皆が夢見る近未来というよりもかつて空想され今は廃れたレトロフューチャーといった方がしっくりくる。純白だったはずの表面も所々黒く曇っている。


 そこから時計回りに、右奥のメリーゴーラウンドのエリアは西部劇、右手前のコーヒーカップはメルヘン、左手前の海賊船を模した大型ブランコは海原、左奥の観覧車は海辺の街をそれぞれテーマに形作られている。いずれにしても、本物を志向してはいるがどこか本物になりきれない独特の偽物っぽさがついてまわっているのがミナギには滑稽だった。


 どのアトラクションエリアにもスタッフが一人以上はついているようだったが、何しろこの客入り状況のためか、適当な手つきで園内を掃除して暇を紛らしているようだった。


「じゃあ何に乗ろうか」


「なるべくおとなしいのがいいな」


「じゃあジェットコースターにしよう」


「なんでそうなる」


 ヴァーユが眉を寄せると、ミナギはちっちっちと口ずさみ、こう続けた。


「素早い動きに平衡感覚を慣らすのがバイク乗りへの近道なのだよ」


「誰も乗りたいなんて言ってないし」


「そう? それにしてはあの強盗から逃げ果せた後、少しはバイクのこと観察しているようだったけども」


「単に機構に興味があっただけさ。誰も乗りたいなんてーー」


「ミナギ様、お待たせしました」


 ヴァーユが抗弁しかけたところで、メドウの見送りを終えたシエルが走ってきた。シエルは真っ直ぐヴァーユの肩に飛び乗ると、二人の顔色を伺った。


「失敬。お話の最中でしたか?」


 ミナギはたった今“同乗者”が一名追加されたことを受けて口角を上げた。


「いいや、丁度いいタイミングだったよ。シエルもあれに乗ろう」


「およ?」とシエルは、ミナギの指差した先を見つめた。乗車位置から高所へ伸びるレールを目で追っていくと、それは進むにつれ高度をぐんぐん上げていき、頂点に達したところで見事な急カーブを描いている。


 シエルの表情筋はぴたりと停止した。


「ワワワワタクシ、きっとサイズに合うシートがないと思われます」


「それなら心配ご無用!」


 今度は威勢のいい声が前方から張り上げられる。遊園地の中央に設置された大きなツリーの陰から、ぬっと姿を表したのは、先ほどフードコートで見かけたピエロの仮装をした羊だった。さっきと比べて、心なしかメイクが崩れているように見える。特に彼の頬に施されたメイクアップには、水滴が垂れてできたと思しき筋が走っていて、全体像のみすぼらしさを増長させている。だが彼は気にする素振りも見せずに歓迎の言葉を宣った。


「ようこそ、我がバルニバービ遊園地へ! ベツへレムの星に擬えた五つの国が、あなたのいとまを幸福のひとときに誘いましょう!」


 それから羊姿の園長は堂々とお辞儀をした。「ほら、お客様だぞ」と囁き気味に、しかしばっちりとミナギ達にも聞こえる音量で周囲のスタッフを突くと、彼らも追従するようにラッパやクラッカーを鳴らした。


「はあ、歓迎いただいてどうも。あのジェットコースターって彼も乗れるんですか?」


 ミナギがシエルを両手で包んで前に差し出すと、園長は何度も深く頷いた。


「もちろん! 我がバルニバービ遊園地は訪れる方どなたもご利用いただけるよう、園内設備には細心の注意を払い、徹底したバリアフリーを実現しております」


 ミナギ達は彼が手を向けた方に目を向ける。確かにどのアトラクションにも体が不自由な来乗客用のレーンが設置され、段差のある箇所には徹底して簡易スロープが置かれていた。入り口に入ってすぐの看板にも戯けたピクトグラムと共に「お困りがありましたら遠慮なくお近くのスタッフまでお声がけ下さい」と書いてあり、幅広い客に楽しんでもらおうという気概と設計が見て取れた。もっともそれを目にする客は、今はミナギ達だけなのだが。


「あのジェットコースターにも小柄な方にフィットするシートベルトの用意がございます。乗車券はお買い求めになられましたか?」


「あ、はい。ありますあります」


 ミナギはさっき貰った乗車券を渡す。園長はそれを受け取ると真剣な顔つきでじっと観察していた。


「ふうむ……これは有効期限が切れてますね」


「あれ?」


 予想外の返答に、ミナギもチケットを覗き込む。印字された期限と遊園地内にある日付入りの時計を見比べると確かに期限はとうに切れていた。


「すみません。ええと、シエル、お金とかってある?」


「あっ、いいですよお客様。せっかく来場いただいたのですから、遊んでいってください」


 園長はくるりと背を向け、準備のためジェットコースターの方に歩いていった。期限切れの乗車券を容認してもらう羽目になってしまったが、その園長の後ろ姿は存外客の存在に喜んでいるように見え、少しは申し訳なさが紛れる気がした。


「乗れるってさ。シエルよかったね」


「あわわわわ……」と手元で悶えるシエルをミナギは軽く揺すった。


「シエルが乗るんだから、ヴァーユも乗ってみようよ。案外楽しいって」


「同調圧力って言うんだぜ、そういうの」


 ヴァーユが肩をすくめたところで、園内に何かの警告音が鳴った。そのおどろおどろしい音に反応し、全員が一斉にその音源ーー問題のジェットコースターがあるエリアーーを見ると、園長がスタッフと慌てふためいていた。


「えー、大変申し訳ございません。たった今、機械不良が判明しまして。修理点検の時間を取るため、それが終わるまでの間、他のアトラクションを遊んでいただいてよろしいでしょうか」


「じゃあそうします。シエル、何だかホッとしていないかい?」


「い、いえ、乗れなくてラッキーなど微塵も思っておりませんよワタクシ。はてさて、何して過ごしましょうか」


「ま、暇つぶしならこの遊園地じゃなくてもいんじゃないの」ヴァーユがきょろきょろと周囲を見回し、冷めた調子で言った。「他に客もいないみたいだし、もっと人気のスポットとか施設内にあるんじゃないか? それに、よりにもよって故障ってのも……」


「まあまあ、そう言わずに他のアトラクションから乗りましょ。あ、ほら、この観覧車とか!」


 ミナギが先を歩いていくので、ヴァーユも仕方なしに後に続いた。


「園長……」


 ミナギ達が観覧車に入ったのを見計らって、その場にいたスタッフ達は、自らの上司の背中を見つめた。


 唯一の客グループから放たれた無残な一言。それに対してこの遊園地をここまで切り盛りしてきた彼が何も感じないはずがなかった。


「……言われちまったものは仕方ねえ。園内の活気は俺が何とかする。後の作業は任せたぞ」


 また始まった。


 誰が言葉にせずとも全員の頭上の一点にその想いが形を持って表出するようだった。


 さっきとは真逆に苛立ちをリズムにして遊園地の外へと足踏みしていく園長の姿を、スタッフ一同不安の眼差しで見つめるしかなかった。

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