第71話 一方その頃
「まずいまずいまずい!」
ダガーが偵察から帰ってきた時、大きな咀嚼音を交えた喧しい声が室内を飛び交っていた。
「手と口が別人だな」ダガーはお菓子を両手に持ったバレルの背後から声を掛けた。「おい、ここに置いておいた錆チョコはどこへやったんだ。戻ったら食べようと思ったのに。まさか……」
バレルの膨らんでいた頬が萎むと、今度は喉のあたりが膨らんだ。喉を鳴らし、中身を腹に落とし終えて、バレルは空っぽの口の中を見せつけた。
「まずいから俺が積極的に廃棄処分してやったんだ」
「勘弁してくれ。お前の胃袋は焼却場か?」
「俺様に食せない物はねえ」
ダガーはバレルの素行不良に悄然と立ち尽くした。しかし、さっきまでバレルが発露していた苛立ちは満腹感のおかげで幾分和らいでいるようではあった。
「悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らずとは言ったものだが、お前の場合真逆だな」
「ふん、誰が悪衣だ」
「悪食は認めるんだな。どちらにせよ、だ。その格好を見ていたら悪衣は悪衣だろうよ。ただでさえ無骨者のお前に似合わんファージャケットを、この暑苦しい砂漠でも肌身離さず着ていたらそう言いたくもなるさ」
ダガーは改めてバレルの服装を見直した。焦茶色の隆々とした体にかかる、白い毛が燃え盛る炎のように派手に広がったそのジャケットはどこかで見覚えがある気がした。凝視したまま、その答えを思い出せずにいると、バレルは話題を切り出した。
「戦に向けて腹は満たした。今はファッション談義なんかやってる場合じゃあねえよ。とっとと作戦会議と行こうじゃねえか」
「準備万端みたいだな」
ダガーは再び砂漠を飛び、得てきた情報を話し始めた。
今ヨークが囚われているデザートパラダイスの警備は厳重で、円を描くように配置された周辺施設も同様だった。変装して侵入を試みた部下達も、カメラや警備員の監視体制に加えて、入場時の厳しい身分確認と荷物検査を前に踵を返している。そこで入場口以外から抜け穴がないかを探ってみたものの、人工的に作られた海洋環境を内包しているデザートパラダイスは数十メートルの高さの壁に囲まれており、外界から閉ざされていた。いずれも一定間隔で監視所が設けられているので、何かしらの手段を講じて壁を越えることも到底現実的とは思えなかった。
このただでさえ厄介な警備体制に加えて、現状更なる懸念事項がいくつか浮かんでいた。
「一つは偵察特性を持ったマテリアロイドの徘徊だ。私の体に付着していたあの綿毛のような植物。調べたところ、パフボールアンテナと言うらしい。遠方からでも正確に位置を特定されるのは既に経験済みだが、あれから施設付近の砂漠に大量に散布しているらしく、うようよ漂っていた。お陰で施設へ近づくのも一苦労だったよ。まったく、あの老君も戦えないと口では言っておいてよほど厄介な技を持っている」
「お前がその年寄りと会った時に、痛めつけときゃ今はもっと楽になってたはずだがな」
バレルはダガーが真剣に喋っている最中にも露骨な悪態をついてくる。一方、ダガーは涼しい顔で応じるのが、このところの茶飯事になっていた。
「その場合、お前さんを助けるのに間に合わなかったかもしれないな。何しろ私が現れた時にはお前さんは地を拝んでいる所だったからな。手錠をかけられていればあるいはーー」
「あー、で、他にも懸念事項ってのは?」
不都合が生じてすかさず話題を戻そうとするバレルに、内心呆れつつもダガーは質問に答えた。
「その老君含めた管理委員数名があそこに滞在している。地下に埋まっている遺失物の発掘や除去を主任務とした遺失物管理委員の特殊部隊、通称モグラ隊。奴らはここ一ヶ月ほど本来の持ち場である砂漠を離れて別の場所で任務をしていたようだが、お前さんがド派手に戦車を駆ったのがバレて数名が参集したようだ。こればっかりは私に文句を言われる筋合いはないな」
「……まだ他になんかあるのかよ」
「そして三つ目だが、これが最大の懸念事項。あのメドウとかいう委員だ。あいつもさっきデザートパラダイスに到着したと偵察係から連絡が来た。どうやらすぐに出ていく様子もなく、あそこにしばらく留まるつもりらしい。これまでの情報を整理すると、デザートパラダイス本部への直接的な救出行動の成功率は絶望的と言っていいだろう」
「あの野郎はどうにかして俺が倒す」
ダガーはバレルの顔をまじまじと眺めた。あれだけの大差を見せつけられたというのによくもそんなことを真顔で言えるーーダガーはそう思わざるを得なかった。
「忘れるなよ。最優先はあくまでヨークの救出、だろ。自分の不甲斐なさを反省してリベンジしようとするのは大いに結構だが、今は失った分を取り戻すのが先決。しかもヨークの奴はお前さんの不始末を負う形で捕まったんだ。まずはあいつに対する弁済を考えてやるのが筋ってものだ。お前もそのぐらい聞き分けられるはずだ」
「いや、そもそも俺が負けなければ、あいつが捕まることもなかったんだ。あの時あいつに勝っていれば、今頃依頼の品だって手に入れて、俺はボスにも報告してーー」
語り始めはダガーに対する反論だったバレルの文句は、やがてトーンダウンし、自分自身に向けた独り言のようになっていった。もはやダガーの存在など忘れているようにバレルは指を噛んで俯いている。
ダガーは眉を寄せ、静かに息を吐き出した。
失敗が判明した際、ダガーとバレルは依頼人のホルツに、再度本物のペンを奪ってみると一応は告げていた。しかし、ダガーとしてはあのメドウを出し抜いてペンを奪い取るビジョンが思い浮かばないでいた。バレルはあの委員への勝利に固執しているようだが、それは些か実り難い願望としか言いようがなかった。
「その悔しさは一旦据え置いて、ヨークの救出作戦の話を続けるぞ」
ダガーが声を張ってみせると、バレルは不承といった様子ではあるものの、机の上に広げられた地図に視線を遣った。
「デザートパラダイスの警備は厳重。この穴熊囲いに飛び込めば、逆にこっちが囲まれる。となると、私達がまずすべきことはここへの突撃ではなく、王を取り囲む駒共を分散させることだ」
「どういうことだ?」
「さっき言ったようにデザートパラダイスにはいくつか周辺施設がある。地下を通るリニアもそれらを繋ぐように線路が敷かれているんだ。こちらの警備は本体ほど厚くはない。だが、もしここで何か不穏な動きが起きたらどうだ?」
「そこに警備を集中させるってか」
「そういうことだ。幸いにして、今は博物館の建設予定地なんてものもあるらしい。希少価値の高い展示物や史料の宝庫が危機に晒されたりすれば、奴らも犯人逮捕に躍起にならざるを得ないだろう。そこを突く。逆に、いくらブルータルズの構成員とはいえ、たかがヒラのヨークにそこまで人員を割くはずもないだろう。奴はいずれは裁判のため砂漠外の留置場に送られる。最も近い場所はここだ」ダガーは地図に描かれた地点や道路を指でなぞった。「警備の目を宝物庫に向けさせている隙にこっちは我々のお姫様を救出するって寸法だ。どうだ、やる気になったか」
「ま、やってみる価値はあるかもな」
やるべきことが見えて、少しはバレルの表情が晴れていく兆しがあった。しかし、綻びそうな顔は何かを思い出すと途端に引き締まった。バレルは付け加えた。
「だがな、もしメドウが現れたら俺がやるからな」
ダガーは再び長い息を吐いた。




