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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第70話 天国と地獄

「主任、聞きましたか? 来年度の予算配分の件」


 会議室へ向かう最中、ラオブが周りに聞こえないよう囁いてきた。低められた声に不満が滲み出ている。


「うん、今朝正式に連絡が来た。来年も引き続きウチは身を引き締めないとね」


 ケルンはなるべく不機嫌さを悟られぬようにあえて気丈に振る舞って見せる。しかし逆効果だったらしく、ラオブは怒りの矛先をはっきりと口にした。


「それもそうですけど、私が言いたいのはモルフォラス研究部門への予算配分ですよ。いくらなんでも優遇されすぎじゃありません? 環境保全部門はあれだけアピールしても毎年毎年出し渋られてるのに、あんなよくわからない蝶々の調査に一体いくら使ってるんだって話ですよ」


 ラオブは頬を膨らませながらのしのしと足踏みした。


 一度はとぼけて見せたケルンにも彼女の怒りはもっともに思えた。予算計画書に掲載されていた円グラフのパイの多くはある部門に充てられていた。


 モルフォラス研究部門。ツァイトライゼの中でも最も予算を潤沢に与えられたそのセクターは、文字通りハートバース世界に蔓延る燐光蟲(学名モルフォラス)の生態を調査・研究することを目的としている。だが、研究の詳細な内容については秘匿されており、ツァイトライゼに所属する他部門の研究員達さえも彼らが何をしているのか具体的に理解している者は少ない。


 そのため、モルフォラス研究部門と聞いて多くの研究員達が思い浮かべるのは専ら彼らが開発・管理する森の各所に配置された霧を吐く機械や、研究成果を明るみに出さない割には毎年多くの予算を持ち去るがめつい一面だった。


 彼らは都にあるツァイトライゼの本拠地に籍を置いているので、各機体のメンテナンスを現地にいる他部門所属の研究員に依頼することもよくあることだった。


 噴射される霧を介してモルフォラスの分布や習性を把握し、時にオーバードーズという名の過密集中が生まれないよう分散を促す信号を発するーーそれが彼らが一般に伝えている機械の概要だ。


 午前中にケルンが博物館の建設予定地へ赴いた際にメンテナンスしていた機械も、森の中にある機械と同じ機能を有しているらしい。しかし、あれほど大きく、さらに絢爛な外装をした機体は他にない。


 ぼんやりと彼らが重用している機械のことを考えていると、ケルン達はコンペが行われる会議室にたどり着いていた。扉の向こうでは、既に自分達以外の参加者が席についていた。


 コンペはアストによる司会進行で滞りなく進んだ。ケルンが手始めに挨拶とこの施設の軽い概要説明を終えると、この施設に出店を希望する各企業の代表がプレゼンを始めていった。


 自然保護という大義を追い求めたケルンが蹉跌に突き当たった際に思い浮かんだのが、研究内容とビジネスを一体化させたこのデザートパラダイスだった。観光客を呼び込み、死の砂漠というマイナスイメージを払拭しつつ、環境保全の重要性を一般に知ってもらう傍らで、ビジネスを展開し、研究費用を確保する。この計画には一石で二鳥以上を得られる効果があった。


 デザートパラダイスは商業施設の多くが、外部から募ったテナントによって経営されている。巨大な擬似海の側には、商業、アミューズメント、リゾート、研究といったテーマを持った建物が設置されており、そのうち商業棟とアミューズメントエリアはこのデザートパラダイスに利益をもたらす重要な役目を担っている。


 今や人気観光地に数えられるこの施設に店を構えたいと願う者は多い。故にその二つの区画の隆盛の裏では、常に激しい競争が行われており、業績が芳しくなければ契約は更新されず、来期には交代で新顔が入ってくるということを繰り返し続けていた。とある例外を除いては。


 気づけば、プレゼンは南半球に本社を置いているというお菓子メーカーで最後だった。大きな虫の格好をしたプレゼンターは、喋る前はなんだか近寄り難い印象を受けたが、口ぶりや身振り手振りは鮮やかで、試食タイムと称して持ってきた自社製品を会議参加者に配ったりもして、客の興味を惹く術に長けているようだった。


「いやあ、南半球の皆様方のお口に合えば幸い、合わねど世界広しと思っていただければそれもまた幸いです」


 ダイオウグソクムシの中年男性は説明資料が投影されたスクリーンの前で何やら楽しげにそう言っている。


「今回はこのプレゼンで決まりですね」隣にいたラオブが囁いた。「味もなかなか」


「え? そうかな?」


 首を傾げたのはアストだったが、ケルンも心の中で同調した。他の参加者を見渡しても口々に感想を言い合っていた。両頬を押さえて「美味しい」と言う者、パッケージを摘んで顔を顰める者、両目を見開いて新たな世界に足を踏み入れたような顔をしている者、無言で貪る者など反応は様々だ。


 この会社は業績も今回の参加企業の中ではトップクラスで、南半球からこちらへ進出するのは初めてとのことだった。この珍妙な味がこの地域で受けるかは未知数だが、試験的に来期で空く枠に組み込んでみるのも悪くはなさそうだった。


「しかも来期はだいぶスペースが空きますからね。アレがなくなるから」


 ラオブはお菓子を齧りながら何気なくそう言った。


 全員分のプレゼンが終わったところで、結果は後日連絡と告げるアストの締めの挨拶を以て会議は解散となった。


 アストは速やかにケルンの車椅子のグリップを握り、部屋から退出した。会議は終わったものの、十分後にもまた商談の予定があるのだ。


「おい、ケルン!」


 だがアストの急ぎ足は、後ろから響いてきた叫び声で止まった。


 振り返ると、そこにはピエロの格好をした羊がいた。


 体毛の色付けされた部分が粉っぽいのを見るに、染色しているのではなく、カラーチョークか何かでメイクアップしたのだろうと思われた。だがカラフルで陽気そうな装いとは裏腹に顔は真剣な強張りを見せている。


 アストが困惑していると、ケルンは振り返らずに「行きましょう」とだけ告げた。アストは言葉通りに車椅子を押そうとするが、更に激しい剣幕で呼び止められた。


「おい待てよ! 来期の話聞いたぞ。遊園地が外されるって。来年度の終わりまでは持たせられるんじゃなかったのかよ!」


「あっ! また勝手に! アダマスさん困りますよ。主任は忙しいんです」


 食ってかかろうとする勢いで直訴するアダマスの前に、遅れて部屋から出てきたラオブが立ちはだかった。些か小柄なモルモットのラオブをアダマスは見下ろす形になるものの、彼女の剣幕にアダマスは少しだけたじろいだ。


「主任、今のうちに」


 ラオブに促されようやくアストは車椅子を押して歩き始めた。だが、尚もアダマンは不承といった様子で大声を上げ続けた。先の会議の参加者や通行人も集まってきてざわめき立っている中でも彼の声ははっきりと響いた。


「なあ、言ったろ! 今だけだよ。資金繰りだってアテが見つかったんだ。来期にはアトラクションを拡充してだな、もう少し時間をくれれば絶対客入りだって元通りだ。歴史ある遊園地を潰すのにそんなちょっとの猶予なんて割りに合わない。そうは思わないか?」


 アダマスの弁疏も虚しく、みるみるとケルンとアストの後ろ姿は遠ざかり、廊下の角に行きあたっていた。その角を曲がろうとしたところ、アダマスはいっそうやかましく喚いた。


「お前だってまた見たいだろ? 俺たちの思い出をよお」


 叫び声に呼応するようにして、ケルンはハンドリムを掴んで車椅子を止めた。


「……主任?」


 アストは顔を覗き込もうとするが、ケルンは曲がり角の先の方をじっと見つめるので、表情が窺えない。だが、ギャラリーやアダマスのせいですっかり騒がしくなってしまった廊下の空気をケルンの次の言葉が突き刺した。


「いい加減わかって。見たいと思うことと、見られるかどうかは別なんだって」


 アダマスはまるで死刑宣告でも受けたかのように膝を震わせている。また何か弁明の言葉を告げようと口を開くが、ケルンが制するように言葉を続けた。


「ここも大きくなった。もう私の裁量だけで全てを決められるわけじゃない。あの頃とはもう何もかも違うんだよ」


 項垂れるアダマスの様子を背中で感じ取ったのか、ケルンは溜息をついてから、再び「行きましょう」と言ってアストと共に角を曲がっていった。


 それから騒ぎを聞きつけやってきた警備員とラオブがアダマスを嗜めていた。


 一部始終を野次馬見物していたおじさんは、たまたまを装って隣にいた先の会議の参加者に声をかけた。彼がこの施設の古株らしいことをおじさんは気づいていた。


「いやあ、なかなか複雑な事情があるようですなあ。自分のような部外者には何が何やら……」


「ああ、貴方は南半球から来たんですよね。実はね、ここの経営者の主任と遊園地の園長、昔はいい仲だったようなんですよ」


 無知蒙昧に迷うフリをして興味という建前で物を乞えば、この手の事情を教えてくれる者はどこにでもいるものだ。おじさんはそのことをよく知っていた。


「ほうほう、それはそれは。いや実は自分は嘗てあの遊園地と浅からず遠からずの縁がありましてね。どうやら遊園地がなくなるようなお話をされていたようですが、それは本当ですかねえ」


「それも専らの噂ですよ。そもそもここ数年は明かに契約更新の基準の業績をマークできてなくて、施設も見ての通り老朽化しているし、従業員数もみるみる内に減っていくしで、とにかくなんであの遊園地がずっと残されているのかみんな不思議がってましたよ。まあ、あの遊園地は元々移動式だったもんで、お金かけて新しく設置するより、既存の遊園地に入ってもらうってことで当初はお役目通りリーズナブルな運営ができてたみたいなんですがね。ここも成長してきて、どんどん落ちぶれていく遊園地を残すよりかは、潤った分でもっと魅力的な企業を誘致した方がいいって方向に舵を切ったのかもしれないです。それこそあなたのとこのような会社をね」


「いやあ、ははは、それほどでも」


 案の定、事情を教えてくれたその人物は自分の知識を披露し、反応をもらうと気持ちよさそうな顔をして去っていった。


 アダマスは頼りない足つきで出口の方へ歩いていくところだった。おじさんは顎のあたりを掻きながら園長の見窄らしい後ろ姿を眺めてこう呟いた。


「こりゃあ、おじさん、ビジネスチャンスをモノにできちゃうかもしれないな」

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