第7話 朝飯前のフィールドワーク
シエルはオロオロとした表情を浮かべ、小さな腕をいかにも手持ち無沙汰といった感じで体の前で震わせていた。
「お二人の様子を見れる場所で寝ていたにも関わらず、このような不覚を取り、面目ございません……」
だが、そんなシエルのリアクションとは裏腹に、ミナギは内心落ち着いていた。彼がいなくなった理由とその行き先にはある程度の目星が付いていたのだ。ミナギは昨晩、焚き火のためにくべていた薪を眺めた。
「なんとなくアテはあるから、探しに行ってみるね。シエルは念のためここで待っていてくれる?」
「はぁ……し、しかし」
「迷わないよう、一定方向にしか進まないようにするから大丈夫。それにそう遠くない場所だから」
「……では、くれぐれもお気をつけて。この広場を見失いそうになったらすぐに戻ってください」
渋々承知している体ではあったが、何せここは森の中だ。目印となるものもなく、道という道もまたない。ミナギの推察をシエルに正しく伝えるよりも、彼女自らが赴いた方が効率は良い。何よりあの無愛想な迷子の少年を引き連れるのは、同類のミナギの方が適任と言えた。
それは彼も承知しているみたいで、「待機係:シエル、捜索係:ミナギ」という役割分担は揉めること無く決まったのであった。
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目印も道もないが、ここへ辿ってきた際の感覚は頭に残っていた。ミナギはここに来るまでの道を引き返して、途中に興味惹かれたあの光景を目指して歩いた。
また、蝶も朝の陽射しを浴びて悠々と飛び回っている。それはどうやらミナギの目指している方向と同じらしい。目的地に近くにつれてその数は増え、各々が自由に飛んでいるようでありながら徐々に寄り集い、ついには空中でパレードを催していた。
「ビンゴ」
ミナギの目の先に泊まったのは、昨日気にかけていた捨てられた地球儀だった。そこに相変わらず何匹かの蝶がとまっていたが、群れの本流はその先へと続いていた。
地球儀の奥へ数十メートル歩いたところで、小さな少年の背中を目に留めた。小走りで近づいていくと、ヴァーユの目の前には焚き火があった。これに怯えてか、ここまで彼のガラスペンに釣られてやって来ていた蝶は諦めてその辺を漂うか、引き返す素振りを見せている。
座り込んだ彼の手には空豆色の皮の表紙のスケジュール帳があり、例のガラスペンで何かを書き記していた。
迷子発見、とミナギが口火を切ろうとするも、先に言葉を切り出したのはヴァーユだった。
「起きたんだ」
と、ノートと睨めっこをしながら呟いた。すぐ後ろに立っているミナギには顔を向けずに、たった今まで思案に耽っていたとでも言いたげな雰囲気を醸し出している。
「いきなりいなくなったらビックリするじゃない。朝ごはん、出来たよ」
「起床時間については何も取り決めはなかったでしょ。俺としては、ちょっと早起きして調べ物をしていただけ」
「調べ物?」
ミナギはヴァーユの手元を覗き込んだ。左のページに蝶のスケッチが描き込まれていて、右側に各部位に対して彼なりの考察が書き記してあった。
「なるほど、早朝からフィールドワークってわけか。感心感心」
焚き火を感知した蝶の何匹かは目標をガラスペンから別の物に切り替えている。改めて前を向いてみると、そこは先の地球儀どころではなく、様々な物が散乱していた。それらにとまった蝶はしばらく静止している。
蝶達がとまる場所が花であったなら蜜を吸っていると思えただろうが、それは花とは程遠い人工物ばかりだった。古びたグレーのラジカセ、辞書と思しき分厚い本、真っピンクのバランスボール、ラベルからして年代物のワインボトル。言い換えれば、電子機器に紙にゴムに飲み物。てんでばらばらな種類の物が、てんでばらばらに落っこちている。
「このモルフォ蝶、花にも木にも興味示さず何やってんだか」
ミナギは、蝶達を初めて見た時から抱いていた疑問を改めて口に出す。蝶達は食性に合った行動をせず、常識とは別の目的で動いているようにしか見えない。
「そもそもモルフォ蝶じゃないと思う」
と、相変わらずノートを見つめたままのヴァーユが返答した。
「物にとまっている時や俺のペンに反応する時、羽が光るのはもう見たでしょ。でも、モルフォ蝶はホタルみたいな発光器官なんて持ってない。鱗粉も青く見えるけど、実際には鱗粉の表面に格子状の構造があって、それが青色の光だけを反射するから、そう見えるってだけ。この蝶は羽本体を青く発光させてるし、飛んでる最中に散ってる鱗粉自体も光ってる」
ミナギには早口で自分の見解を述べている少年が、その道の研究者のように映った。大学に通っている時もこんな教授いたっけな、と学生時代の景色を思い出す。
少年は長台詞を一旦止め、息継ぎをしてから結論を出した。
「つまり、新種の可能性があるってこと」
新種の可能性、というフレーズにちょっとばかり体温が上がる感覚がミナギにはあった。
「じゃあヴァーユと私が第一発見者ってわけだ!」
「それはどうかな」
「どうして?」
「だって、あのオコジョが言ってただろ。『ここは神隠しの秘境』だとかなんとか。あの口ぶりからして、俺達以外にも『神隠し』に遭った人間がいて、この蝶達を見ているはずだ。その辺に落ちている物を捨てた人間だってそのはず。第一発見者というのは正確じゃない」
「うーん、なるほど……。それにしても、こんなに胸躍る発見をしたというのに君はあくまで冷静なんだな」
誉め言葉を振り切るように咳払いをして、ヴァーユは続けた。
「でも、だとしたら気にかかる。こんなに珍しい生物を既に見た人間がいるのに、誰ひとり発表しなかった。その理由は皆目見当がつかない」
確かにそうだ。だが、ミナギとしてはとある理由がひとつの候補として頭に浮かんでいた。
ここへ来てから最初に見つけたバックパック。あれだけ使える物が入っていながら、所有者の姿はなかった。遭難した人間が重宝するに違いないアイテムが無造作に転がっている。それから連想されうる答えは、
ーー森からそもそも抜け出せなかったから。
しかし、当然この少年を前にそう答えるわけにはいかない。徒らに不安を煽るだけだ。ミナギは平静を装うよう努めることにした。
「もしかしたら、信じてもらえなかった、とかかもしれないねー。新種の認定って結構厳しい条件もありそうだし」
ミナギの言葉はヴァーユにとってはさほど収穫にもならなかったのか、手に持っていたペンを再びノートの上に走らせた。
「あと、蝶が集まる条件も気になる。さっきから観察している限り、集まる物の材質や色味には傾向性を見出せない。例えば、さっき落ちてたこのスケジュール帳は、見向きもされていなかった」
「どれ」
ミナギは後ろからヴァーユの持っているスケジュール帳に顔を近づけ、匂いを嗅いでみた。
「……何してんの」
と、ヴァーユはいかにも引き気味といった顔で尋ねた。声色にも若干蔑みのニュアンスが込められているが、ミナギはいっこうに気に留めない。
「目に見えるものだけが条件とは限らないでしょ? 例えば、蝶の嗅覚、聴覚、あるいはシックスセンス的感覚に訴えかける何かが、このまばらな動きの原因かも」
そう言って、ヴァーユの目に視線を合わせた。エメラルドをはめ込んでいるかのような双眸が並んでいて、目が合うと、それが少しだけ大きく開いた。
「……たしかに、参考にはなりそう、かな」
彼の固まった顔を見て、ミナギはやっと自分が彼のパーソナルスペースに踏み入っていたことに気づいた。少年相手に少しだけ感じた気まずさを紛らわそうとミナギは立ち上がった。
「ま、私も気づいたことがあったら逐一報告いたしますよ、教授。今はとにかく朝ごはん。そして、森から抜けたら一緒に研究成果の整理でもしましょう」
「いつの間に共同研究者になってるんだ。朝ごはんは食べるけどさ」
ふたりは車の山がある広場に戻って行った。二日目の朝に起きたヴァーユ失踪事件はものの二十分足らずで解決したのだった。クエスト難度はC、報酬はヴァーユが拾ったスケジュール帳といったところか。
戻ってすぐ、ミナギ、シエル、ヴァーユの三人でカレーを分け合った。ヴァーユは先の疑問をシエルにぶつけたりしていたけど、その度にシエルは気難しそうに顔に皺を浮かべながら「どうなんでしょうねぇ」とか「不思議ですね」といった返答をするばかりだった。




