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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第九章 デザートパラダイス
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第68話 海で遊ぼう

 ケルン主任、と後ろから声を掛けられて作業の手を止めた。振り返ると、スタッフの一人であるアストが無線機を持って立っていた。


「メドウさんがたった今到着したとラオブから連絡が来ました」


「うん、わかった。もう少しでデータバックアップ作業が完了する。昼過ぎにはそちらに到着すると伝えておいて」


 用件を承るや否や、ケルンは再び手元の端末に目を落とす。端末からはコードが伸び、船の形をした装置に繋がれていた。装置はあまりに大きく、ケルンの他にも数十人のスタッフが点検作業に当たっていた。中には、命綱をつけて高所で作業しなければならない者もいる。


「わかりました」とアストは恭しい顔つきで答えた後に表情を緩ませた。「いよいよ、これで濾過装置の大幅効率化が実現できますね」


 後ろから聞こえる上擦った声に釣られるようにして、ケルンは自らも安心感を得ていた。


 端末に作業が完了した旨が表示されると、ケルンはハンドリムを掴んで手に力を込めた。車椅子が向きを変えたところで、アストが車椅子の後ろのグリップを取り、押すのを手伝ってくれた。ありがとう、と言ってケルンはアストと一緒にリニアの駅へと向かった。


 彼女達がいたのは博物館の建設予定地だった。昔、向こうの世界からこの砂漠に転送されてきた兵器や武器、あるいは向こうの世界の歴史に関わる遺失物を展示して、この砂漠が辿ってきた歴史や向こうの世界の文化に触れてもらえるように、という目的で今も工事が進められている。


 デザートパラダイスとは、主に砂漠の中央に位置する擬似海のある研究所兼レジャー施設を指しているが、その周辺地域にも円を描くようにして幾つかの研究施設やレジャー施設が点在していた。地下のリニアモーターカーの路線はそれらを結ぶように組まれていて、外回りと称して各施設を往来するのにリニアは重要な足だった。


 ケルンは工事現場のスタッフやツァイトライゼの研究員達とすれ違いながら、待望の品物が届いたことの喜びを改めて共有するように口を開いた。


「従来モデルで使われているフィルターと耐圧設備だと手に負えなかった微細な有害物質も改良モデルなら除去可能。しかも液体混合物の濃度に応じてAIが自動的に効率的な加圧変化を加えて、これまで以上に濾過の高速化が実現するーー」


 ケルンがそこまで述べたところで、鉄骨に阻まれ日陰になっていたエリアを抜け、一面砂漠を見渡せる場所まで出てきていた。


「この乾いた砂漠を潤せるようになる日もそう遠くはないかもね」


 ケルンは砂漠を眺め、言葉に力を込めた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「すごい、見れば見るほどに本当に海だ」


 ミナギは率直な感想を口に出してみた。しかしすぐにその言っていることの可笑しさに気づく。ヴァーユは苦笑いを浮かべながらも、人工の海への好奇心を自分自身も隠せないようだ。


 いつの間にかミナギとヴァーユは浜辺に近づいて、あたりの景色を眺めるのにあらゆる神経を使っていた。水面を通ってきた風の香りや、それが髪をかき乱す際の爽やかな心地、雲のない空から煌々と照りつける太陽の焼ける温度、宝石のように輝くふっくらとした水平線、全てが海そのものなのだ。


 浜辺に見える観光客達も皆思い思いにビーチを楽しんでいるようだ。ビーチバレーをしているグループ客の姿もあれば、レジャーシートを敷いて砂浜に寝転んでいる者、果敢に波に立ち向かうように泳いでいる者の姿もある。それぞれの余暇のひと時がビーチという空間に敷き詰められている。その盛況ぶり含めてここは人気リゾート地の一角という惹句がよく似合う。


 シャドも物珍しそうに浜辺に駆け寄ると、打ち上げられる波の飛沫を見てから、海面に口をつけた。案の定、すぐに吹き出す。


「うげえ! なんだこりゃあ!? しょっぱくて飲めたもんじゃねえ」


「……飲み水じゃないからな」


 ヴァーユはシャドの咳払いを避けて説明した。


 続いて、ミナギも人差し指を立てて海の水に濡らすと、それを舐めた。


「へえ、海を再現するためにわざわざ塩も混ぜてるんだ」


 以前には匂いを嗅ぎ、今は味見をする。獣みたいな挙動を恥じらいなく見せるミナギに、ヴァーユはあっけらかんとしていた。


 シエルも興味を抑えきれないようで「それではワタクシも」と言ってからミナギの元へ駆け寄った。


 ミナギは濡れた手をシエルに向けて振ってちょっかいを出している。塩辛い飛沫を浴びて、シエルは「うひゃあ!」と驚いている。


「みんな楽しそうだね。ヴァーユくんも混ざらないのかい?」


 気づくとメドウがヴァーユの後ろに立っていた。いつものことながら足音も気配もなく接近する長身の青年を訝しみながら、ヴァーユは答えた。


「俺はアイツらと違って海なんかではしゃがないの。お前こそ混ざらないのか?」


「僕はこう見えて勤務中だからね」


「部下は遊んでていいのかよ」


 ヴァーユが指をさした先には、シャドの背中に乗せられ、体を揺らして犬かきする彼女におどおどしているシエルの姿がある。その傍らで、ミナギは「頑張れー!」などと応援している。


「シエルはここのところ休日もなしに働き詰めの毎日だから。彼の上長として必要な安息と判断するよ」


 ヴァーユの尖った物言いもメドウにはどこ吹く風のようだ。あっさりとそう言ってのけると、「ヴァーユも早くー!」という声が横から響いてきた。


 声のした方を見ると、シャドが泳ぎ疲れたらしく、海面で泡を吹いている。上に乗っているシエルも目を閉じて「ヴァーユ様、お助けをー!」と叫んでいた。


 結局ヴァーユも混じって十分ほど海で戯れたところで、ラオブが話しかけてきた。


「いやあ、まさか海のある世界の方にも楽しんでいただけるなんて光栄です」


「すごいですね、海。こんな砂漠の真ん中に作るなんて発想も、実現してみせた労力にも、感嘆です」ミナギはそう言ってから当初の行き先を思い出す。「あ、すみません。フードコートに案内して頂けるんでしたよね」


「いえいえ、お客さんに楽しんで頂けるのは私達の何よりもの喜びですから。ささ、こちらへどうぞ」


 ラオブはタオルケットを手渡し、再び先導に立った。

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