第67話 海
雲ひとつない不気味なほど青い空が自分たちを見下ろしている。
流石に戦闘後の長距離移動、それももう一人の巨体をぶら下げての飛行はこたえたらしく、敵襲の危険がなくなるとダガーは、砂の大地に足をおろした。バレルとの間にはしばらく会話もなく、ダガーはただ背中にバレルの鋭い視線を受けてはそれを無視して歩き続けた。
「着いたぞ」
茫漠たる砂漠の丘という丘を越えると、石垣に囲まれた街が見えた。ところどころ風化し、色味の失われた景色から、人気はないとすぐにわかった。
石垣に空いた穴をくぐって二人は街へと入った。中央に置かれた煉瓦で出来た丸い井戸はどうやらこの街の貴重な水源だったらしい。しかし、底を覗いてみても水は一滴も入っておらず、代わりに乾いた砂でできた小山があるのみだ。
井戸の近くにある大きな家屋の扉をダガーは開いた。中は砂埃の匂いが充満しており、壁や天井にできた隙間から容赦なく光や風が侵入してきている。とても生活空間の体を成しているとは言えないが、ここで休憩するということらしい。
ダガーは古びたスツールに腰を下ろし、深呼吸をした。バレルも壁にもたれかかり、みぞおちの辺りを押さえた。
壁に空いた穴を怪訝そうに見つめているバレルを見て、ダガーは言った。
「見ての通り、ここはゴーストタウンだ。戦争の道具がこの大地を枯らすよりも昔、数十年前はここも森だったのはお前も知っているだろ? 森の栄養が損なわれ、砂漠化が侵攻した結果、ここの住民も手放さざるを得なくなったというわけだ」
「……そんなこと聞いちゃいねえ」
「なあ、さっきから不機嫌なツラしているのはどういう訳だ? はっきり言ったらどうだ」
「人様の作戦にタダ乗りした奴にニコニコできるかってんだ。俺達の作戦で取りこぼしたのを攫う魂胆だったんだろうが」
ダガーは光の筋の奥にいるバレルの表情を伺おうとした。依然として彼は外の様子を伺っている。
「泥棒仕事で火事場泥棒を咎められるとはな。しかし任務を引き受けた時にお前が言ったんじゃないか。手柄で揉めるのは嫌だからお互いに干渉しないように、と。私はただお前さんの作戦が成功しなかった時のために、地下で待ち伏せていただけさ。お前が目的のブツを手に入れたら私の出る幕はなかったんだ」
薄暗い部屋の奥でバレルが急に立ち上がり、爪を立てる気配を見せた。ダガーはカンニングペーパーを伸ばし、鋭い紙先をバレルの目の前に突きつけた。
「くだらん八つ当たりはよせ。消耗し切ったお前に勝ち目はない」
ダガーは脅すのと同時に宥めるつもりで言った。だが、それはかえってバレルの腑を煮やしたようで、バレルは紙を振り切ってダガーに掴みかかった。
「黙れ!」
バレルの拳を避け懐に潜り込むと、ダガーは背負い投げを仕掛けた。床に叩きつけられたバレルは苦しそうに咳を発した。
「落ち着けって。私はお前さんの窮地を救った恩人なんだぜ? むしろ感謝して頂きたいくらいなんだがな。ヨークの奴と一緒にな」
ヨークの名前を出すと、バレルはいっそう目つきを鋭くさせた。
「言い当ててやろうか。お前さんのその怒りの根源はそこなんだろ? あの管理委員とのタイマンで敵わず、私とヨークに助けられ、潰れた己の面目にむしゃくしゃしているってわけだ」
床に唾を吐いて立ち上がるバレルをよそに、ダガーは続けた。
「一緒に仕事するのはこれで二度目だが、どうやらお前さんはとんだ馬鹿だな。だが救いようのない馬鹿じゃなく、まだ可愛げがあるだけマシだがな」
「言ってろ。ーーそれで、そこにいる奴、勿体ぶってねえでさっさと顔出せよ」
バレルの注意はそこで部屋の隅にある光の当たらぬ暗所に向いた。
影から出てきたその人物は依頼人のホルツという名の男だった。この炎天下の砂漠地帯にあっても、あの灰色のコートを着込んでいる。
「人様の会話を盗み聞きとは、いい趣味してるぜ」
バレルはぶっきらぼうに鼻を鳴らし、皮肉をぶつける。しかし例の如くホルツは意に介さず、ダガーに向けて手を伸ばした。
「例の物を受け取りに来た」
ダガーは奪ったガラスペンを渡した。バイザーをつけた男の顔には感情的な変化が見られない。だが今度ばかりはその変化のなさが僅かながら失望を表していることにダガーは気づく。
「どうかしたか?」
「してやられたようだな」
ホルツはペンをテーブルの上に置き、懐から透明なケージを取り出した。そこには燐光蟲が数匹入っていた。ホルツはペンに水をかけ、ケージから燐光蟲を解き放つ。燐光蟲はペンに惹かれることなく、室内を徘徊した。
「偽物だ」
ただでさえ温度のないホルツの声が、この時ばかりは氷点下に達しているように聞こえた。
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「あとは私達に任せて先に向かって大丈夫」
「はあ、しかし」
「相変わらず変に責任感が強いねえ、メドウくんは。その方々……迷い人の案内と施設への荷物運びがあるんでしょ? マルチタスクこなしてる君に更なる仕事を引き受けさせるなんて、私達の気が晴れないよ。それに砂漠は本来私達の管轄だから」
別れ際、仕事を引き受けようとしていたメドウにライカ隊長は胸を叩いてそう言った。
そうして捕まったブルータルズの構成員とおじさんは、ライカ隊長率いるモグラ隊により手引きされることとなった。砂漠の中央で転覆している戦車も彼女達が回収するという。メドウは言葉に甘えることにした。
メドウに勝手な行動を咎められてからというもの、ミナギには車内の空気は少し冷えているように感じられた。バックミラーに映るヴァーユとシエルも疲れ切っているのか、瞼は営業時間を過ぎた個人商店の様相を呈していた。そのヴァーユの胸ポケットには例のペンが無事に収まっていた。
映画の街を出る前、メドウはヴァーユからペンを借りて、あることをしていた。保管庫に置かれていたツァイトライゼの3Dプリンターを使って、ペンを複製していたのだ。
メドウが敵の眼前で自身のマテリアロイドで偽物を複製してみせ、さらに本物を所有してあるであろうヴァーユ達を地下へと逃す。不運にもまた別に敵が地下で待ち伏せしていたものの、ヴァーユはメドウと別れるタイミングで偽のペンを持たされていた。本物はあれからメドウの懐に収まっていたのだ。それは合流したタイミングでヴァーユへと返却された。
「だから言ったろ。あいつのいう通りにしとけばいいんだって」
車に乗り込む前、こっそりとヴァーユにもそう言われてしまい、ミナギとシエルは落胆していた。それと同時に、少しはメドウから感謝の言葉を返してもらえると思っていた自分達のおごりにも嫌気がさしていた。
バックミラーに映るヴァーユ達はどこか上の空だった。この気まずさが車内に漂っているのを彼らなりに敏感に察知してのことに違いない。唯一シャドだけは得意満面の顔で体を揺らしていた。曲がりなりにも逮捕に協力するという手柄をあげた上、そこの砂漠で逃走の心配もないとあって、拘束具を外されたまま彼女は後部座席で自由に振る舞っていた。
事あるごとに揺れるシャドの尻尾に、シエルは驚き、ヴァーユは目を瞑って頑なに無反応を続けていた。
前方をまっすぐ見つめてハンドルを握るメドウも軽い雑談を振ってきたが、ミナギはどうにも上の空だった。
そうこうしているうち、メドウを除く全員がすっかり車の揺れに誘発された眠気に抗えずに瞼を閉じ切っていた。
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「着いたよー、ねぼすけさん」
ミナギの一声でヴァーユは瞼を開けた。窓から車内に入ってくる光に何か違和感があった。太陽光というには、あまりにも光源が身近に感じられたからだ。体を起こして外を見ると、そこには白いドーム状の建物があった。太陽光がその建物に反射して、周囲を眩しくしていたのだ。
その建物は軒と言うにはあまりにも大きい。大型施設と呼ぶにふさわしい規模だった。
メドウに促されるまま車から降りてようやく自分がいる場所が、大きな駐車場であることを悟った。この駐車場スペースだけでも百近い数の車が停まっていた。入り口に向かう観光客は大きな荷物を抱えている。連れられている子供達は期待感に満ちた歩調ではしゃいでいる。レジャー施設の入り口を彷彿とさせる光景、というよりも、完全にそのものだった。
さっきまで見ていた不毛の地からかけ離れた賑わいに思わず唾を呑んでいた。
「さあ、行こうか」
メドウは歩き始めた。
シャドも車から降ろされて、メドウの後ろを付いていく。あれだけ長い間車に乗っていたのに、疲れた様子もない彼女を物珍しそうに見ていたシエルに「あーん? 何ガンつけてんだ」と威嚇するくらいの元気は残っているようだった。シエルは「す、すみません」と平謝りしている。
驚いたことに、駐車場から見えた建物はその施設を構成する一部に過ぎなかった。その建物は専ら入場口の機能を有しているようだった。厳しい荷物検査、ボディチェック、身分証及び来訪目的の確認といった殆ど入国に近い手続きを経て、一向は入り口と反対側にある出口へと向かった。
出口の扉の前に、小さなモルモットの姿があった。ふわふわした灰と白の毛が生えた体にぴったりの白衣を身につけていて、一目で知的労働者とわかる格好だった。モルモットはメドウを見つけると機敏な動作で頭を下げた。
「どうもお待ちしてました。メドウさん」
「お待たせして申し訳ありません。道中ちょっとトラブルがありまして」そう言ってメドウは背負っていたケースからパーツを取り出した。以前にミナギが見せてもらった時と同様に、水で満たされた円筒状のケースの中に機械部品が浮いていた。
モルモットは重そうにそれを受け取ると、近くにあった荷物用カートの上に乗せた。その時、ミナギはモルモットの胸に「ラオブ」と書かれたネームプレートが付いているのを見つけた。ツァイトライゼのロゴマークも印字されていた。どうやらここはツァイトライゼの施設で、彼女は研究員の一員らしい。
「いえいえー、ここいらはだいぶ人里から離れていますし、慣れっこですよー。それよりも遠路はるばるお勤めご苦労様です」
「主任は今どちらに?」
「主任は只今外回りに出てまして、もう少し待機していただくことになりそうです。博物館の建設予定地を視察に向かっているので、昼過ぎには戻ると思います」ラオブは喋っている最中に別の何かを思い出したように顔を上げた。「ああ、でも帰ってきたらすぐにテナント店のコンペがあったっけ……」
「となると、検品と受領承諾書も今日中には終わりそうにないか」
独り言のように呟いたメドウに、ラオブは頭を掻いて詫びた。
「すみません。あの人、ここのところスケジュールが常に渋滞気味なんです。分単位で会う人、行く場所が書き込まれてて、かくいう私もドン引きですよお」
「いや、元の予定を過ぎてしまったのはこちらだから、気にしないで。じゃあ、主任が戻ってくるまで施設を見て回ってます」
「それがいいと思います。よろしくお願いします」
ラオブは再び頭を下げた。それからミナギ達に視線を配って明るく尋ねた。
「ところで皆さん、昼食はこれからですか? よろしければ、私がフードコートのある建物まで案内しますよ」
ラオブに案内され、ミナギ達はクーラーの効いた室内から外へ出た。
砂漠の乾いた陽気が再び肌に触れる、と思いきやミナギの頬を撫でたのは湿った潮風だった。その空気が来た方に顔を向ける。
そこにあったのは、これまで飽きるほど見てきた乾いた粒子の集合体ではない。そこにあったのは、風に揺らめいては波紋の一つ一つを煌めかせ、砂の大地に打ち上げられては白い飛沫をあげて地表を黒く湿らせる、色彩に富んだ巨大な青ーー。
「海だ」
ミナギの口から目にしたままの、当たり前の言葉が零れ出る。しかしそれはこの世界では当たり前ではない、あるはずのない自然の姿だった。ハートバースは森を中心とした大地だけで構成されている。街の教会に飾られていたハートバースの模型にそうあったし、道中ヴァーユやシエルとも同じ話をして驚いた記憶が鮮明に甦る。
「そう、海。正確には、そのレプリカだね」
久々に目にする海に呆然と立っているミナギ達にメドウがそう言った。
「改めまして。ようこそ、砂漠の中の海洋研究所、デザートパラダイスへ」
先頭で歓迎の言葉を述べるラオブは誇らしげに鼻をひくつかせた。




