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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第八章 砂漠
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第66話 余計な心配

 その場にいた全員が、地面が大きく揺れるのを察知した。地面の揺れは徐々にこちらに近づいている。


 一瞬ダガーは目の前にいるメドウの仕業かと思ったが、メドウ自身も地面を怪訝そうに見つめている。


 メドウとダガー達の間にある地表を何かが突き破って出てきた。尖った形状の鉄が地を裂き、本体ともども日光の元にその正体を晒した。


 それは巨大なドリルを二つ牙のように前方へ突き出した戦車に似た乗り物だった。ボディカラーは力強い血の色を思わせる赤褐色で、その表面にはこれまでに長い旅路を地中で辿ってきたと思わせる土埃や擦れ傷が付着している。車体下にキャタピラが付いているあたり地上走行も可能のようだが、二つ牙の規格外の存在感を見るに、地中を潜行する“船”と形容した方が正しく思えた。


 その“船”の上に備え付けられていた鉄蓋が音を立てて開くと、土色の体をしたカバが顔を出した。そのカバは、ダガー達の間に流れていた緊迫感を吹き飛ばすほど高らかに挨拶した。


「お久しぶり、メドウくん。助けに……来たけどもう決着みたいだね」


「ライカさん、お久しぶりです」メドウが“船”を見上げて爽やかに挨拶を返す。「よくここがわかりましたね」


「アレのおかげで嫌でもわかっちゃうよ」ライカという名のカバは眉を寄せ、あたりを指さした。穏やかなはずの砂漠に、崩れた砂丘や地面に空いたクレーターが無数にあった。戦っている最中には意識していなかったが、戦いがここまでもつれ込んでくる過程で、災害に等しい傷跡が大地にできていたのだ。


「全く、この砂漠の気持ちを一回でも考えた方がいいよ。メドウくんが来るたび、砂漠はいつも大荒れだ」


 ため息をついてそう言うライカの表情は、しかしどこか旧友との再会を喜んでいるかのようだった。


「退くぞ」


 ダガーは正面の敵を警戒するように身を沈めて、バレルに呼びかけた。


「俺はまだやれる」


「聞き分けろ、バレル。力量差を認めず犬死に突っ走るのは、勇敢とは言えない。それは蛮勇だ」


『ここはダガーさんの言う通りにしましょう、兄貴。あいつ、やばいですって』


 無線機越しにヨークも賛同する。息を切らしながらも目上のバレルを説得しようとする様は必死そのものだった。


「ヨークよ、お前勝手にダガーに助け舟を求めておいて、そいつの肩を持つって言うのか」


『そうじゃないですって! 俺はただ……』


 ただでさえメドウに歯が立たない屈辱感に打ちひしがれていたところに、自分の知らぬところで新参者のダガーに自ら助けを求めていたという事実は、彼を苛立たせるものだった。一対一の、本来こちら側に有利な条件下で行われていた勝負に介入することの意味は、バレルからすると侮辱にさえ思えてくる。


 バレルがヨークに食ってかかっている最中にも、敵は刃を生成し、踏み込もうと身を屈める気配を見せていた。


「グズグズするなっ!」


 ダガーが珍しく感情的に叫ぶ。超高速で飛びかかるメドウの攻撃をすんでのところで躱すと、バレルを引っ張り上げた。


 ダガーは背中から伸ばした紙を幾何学的なパターンに沿って編み込んでいく。大きく広げられた二対の紙の収束体を翻すと、そこから生じた風が地面を叩きつけ、土埃を舞わせた。それは紛れもなく、大翼と呼ぶに相応しいものだった。羽ばたくほどにダガーの体は地面から離れ、高度を上げた。


「驚きだな。メドウくん以外にも飛べる人がいたなんて」しげしげとその様子を見守っていたライカは心底感心している。


 ダガーはその間にも容赦なく飛んでくるメドウの水弾を避けて、早急に距離を離すべく必死に翼を動かした。


「よく掴まっていろ。ヨークの奴を拾い上げたら更に高度を上げる」


 舞い上がった体は、重力という枷に抗い、風という見えない壁を突っ切っていく。臓器が自らの居所を失うような浮遊感に見舞われる。バレルもダガーが手から降りていた紙の紐に掴まり、頬を強ばらせて空中に揺られていた。


「今だっ!」


 空から砂漠を俯瞰していると、灰色と黒色を併せ持った粒が動いているの見つけた。両手を高く振り上げていたヨークだった。バレルが紙の紐を投げつけると、ヨークは飛びついた。ひとまず味方の回収には成功した。あとは逃げ去るだけだ。


 しかし、後方でメドウがこちらに向かって手を掲げているのが見えた。その手には水が寄り集まっていて、高圧縮をかけられていると思しき痙攣動作を呈している。解き放てばこちらに水のレーザーが一直線で到達し、仕留められる。そんな像が目に浮かぶほどの迫力があった。


 その時、何かがメドウの横から飛び出していった。目にも留まらぬ速さで射出されたそれは、豪快に風を呼び、メドウのかぶっていたシルクハットを地面に落とした。


「おや?」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ヒョウが指し示した場所を目指してバイクで砂漠を走っていると、白い砂漠の上にゆらゆらと歩く獣の姿があった。それは水不足で今にも倒れそうになっているシャドだった。


「シャド! こんなところにいたんだ」


 ミナギが呼びかけると、シャドはゆっくりと振り返った。ミナギはその様子を見るや否や、顔を引き攣らせた。


「み、み、水を……くれえ……」


 メドウに届けるために持ってきたペットボトルを渡すと、シャドは喉を生き物のように蠢かせて、みるみると一リットルもの水を体内に収めてしまった。潤いを取り戻した途端、直前のことは無かったかのように、シャドは早速メドウ達のいる所へ運ぶよう急かした。


「ほほ、なんだこいつは。賑やかな奴だの」


「面白くねえよ。置いてかれるわ、干物にされかけるわでこちとら散々だ!」


 ヒョウをはじめとしたモグラ隊の面々は物珍しそうな顔でシャドを見ていた。


 聞けば、メドウと盗賊の闘いから弾き出された彼女は、埋まっていた蟻地獄を死に物狂いで脱出し、メドウ達の後を追っていたのだという。そこかしこに残っている派手な痕跡と匂いを辿ればすぐに追いつくとは思ったものの、この炎天下の砂漠の中、体力を使い切ってしまい、喉の渇きが頂点に達しつつあったとのことだった。


 シャドをヒョウの運転する車に乗せ、ミナギ達はすぐにメドウ達のいる場所へと向かった。そこは殺風景な砂漠の中、崖の聳え立つ渓谷地帯だった。


「ボスの“船”だ」


 二つのドリルが搭載された大きな乗り物を見つけて、未だ手足と胴体をぐるぐる巻きにされた蓑虫の装いでブライトが呟く。


「正式にはアングランモールというワシらの仕事道具だ」


 ヒョウが付け加えた。


「あそこ」


 クルムも何かを見つけると、使えない手足の代わりに顎をしゃくった。指し示した先には翼を生やした黒豹が逃走を図ろうとしているところだった。


「俺が物を飛ばして奴らを撃ち落とす」


 シャドが威勢よくそう言う。首を傾げるブライト達にヴァーユが彼女の能力を手短に説明した。すると、ブライトは焦るシャドにこういった。


「その磁力とやらであそこまで到達できるのか? 照準を合わせるのも困難だろう」


「ブライトさんがさっきやってたみたいに、ゴムで狙い撃つは無理なの?」


 ミナギが尋ねた。


「手足が使えていれば、ですね。いや、狙いは定められてもあそこは射程範囲外で届かないでしょうね」


 ブライトは悔しそうな表情で体を揺すった。


「ならさ、こうすればいいんじゃない?」顎に手を添えていたヴァーユは思いついたことを話し始めた。


 まず、ブライトが所有するマテリアロイド、アスレチックラバーを引き伸ばし、両端に輪っかを作る。その輪っかを“船”に備え付けられていた二つのドリルに通す。その内側に射出するための砲弾を置き、シャドの磁力を操る力によって砲弾と“船”を互いに反発させる。重量の軽い砲弾は“船”から離れようとするが、ゴムがそれを食い止める。反発力が限界まで達したら、ブライトが遠隔操作でゴムを解き放ち、空へと射出する。


 これなら、シャドの強力な磁力とブライトの狙いを両立させることができる。


「即席で思いついたにしては、なかなかやるじゃん。弾はこれにしよう」


 ミナギはバイクを乗り降りた。そして、ヒョウとシャドと共に言われた通りにセッティングした。


 シャドはバイクの上に乗り、“船”と共に磁化させると、双方が青白い光を放ち始めた。


「よし! いまだ!」


 ギリギリまでブライトの指示通りに位置を調整していたシャドが叫ぶ。すかさずブライトはゴム留めを解除した。周囲すらも眩しく照らすほどの光に達したバイクは、ターゲットに向かって勢いよく射出された。


「あれえ? シャドは?」


 風圧が収まったところでミナギが目を丸くした。


「あいつ、バイクと自分を磁力でくっつけたままだ……」


 ヴァーユが唖然とした面持ちで言った。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 当初それは地上を走っているように見えたが、こちらに近づくにつれ黒い影は拡大する。それは走って追いかけているのではなく、高所にいる自分達に接近しているのだ。


 しかし、ダガーは幸運だとも思った。メドウの射線と飛んでくる黒い影は丁度重なってしまったらしく、メドウは発射する手を止めて、その影に気を取られているようだったからだ。


 メドウの弾丸の代わりにその影はバレルの胴へと着弾した。影の正体は黒いバイクだった。


「なんでこんなもんが?」


 ひとりでに飛んできたバイクに不思議がるも、バレルにはそのからくりに思い当たる節があった。義足のシャドが冷蔵庫との間に発生させていた強力な磁力だ。それで飛んできたに違いない。しかし、地上には肝心のシャドの姿が見えない。そう思った所で、バイクの裏からぬっとオオカミが姿を見せた。


「貰ったァ!」


 シャドがバイクの裏に張り付いていたのだ。地表にある何か重いものと反発させてバイクを砲弾よろしく飛ばす。そこまではすぐに思いつく技ではあったが、まさか自身がその砲弾に磁力くっついて不意を打ってくるなどとは思いもしなかった。


「こいつ離せっ!」


 バレルはシャドに掴みかかられ、空中で殴り合いになった。シャドかバレルのどちらかが暴れる度に、彼らの上方で羽ばたいているダガーが焦燥の声を上げた。


 高度は二十数メートルといったところで、下は柔らかい砂なので、振り落とされても死ぬことはあるまい。しかし今ここで振り落とされれば、それはメドウに捕らえられることを意味する。


 バレルは急所を狙おうと拳をシャドの顔に向けた。ところが、シャドの反応がそれを上回った。シャドはバレルの左手に喰らい付くと、振り落とすべくバレルの腕ごと引っ張った。


「ぐう、このアマ! 調子に、乗るなァ!」


 バレルは体に付着していたサンドウィッチマンを操り、シャドの目にぶつけた。シャドは目に塵が入ったことに驚き、じたばたと暴れた。噛んでいたバレルの左手を放すと、シャドは地面に落ちていった。一瞬は勝ち誇った表情でそれを見下していたバレルだったが、左手の薬指に何か違和感があった。


「ああっ!」


 今の乱闘の最中にすっぽ抜けたと思われる指輪が空中を舞っていた。


 バレルは反射的にロープから手を放し、飛び降りようとした。だが、すぐさま紙がぐるりと体を覆いそれを阻止する。


「止めるんじゃねえよ! ダガー! 離せ!」


「指輪の代わりなんて後で買ってやるよ」


「代わりなんてねえ! あるはずがねえんだ! ゴタゴタ言ってねえで離せ!」


 バレルは喉が枯れそうな勢いで叫んだ。ダガーはそれほどあの指輪に必死になっている理由がわからずに当惑していたが、今やるべきは敵から逃げることに違いなかった。


 下を見て、ダガーはあっと声を上げた。バレルの代わりにヨークがロープから手を離していた。ヨークは落下していた指輪を掴むと、バレルの方へ投げつけた。


「受け取って兄貴!」


 バレルは無言でそれを受け取る。仰向け姿勢のまま砂に落ちるヨークの姿が遠ざかっていく。ヨークは落ちている最中も声を上げていた。


「ダガーさん! 兄貴をよろしく頼みます!」


 シャドとヨーク共々着地し、勢いよく砂煙が舞い上がった。


 ダガーは唇を噛み締め、前だけを見て飛行を続けた。蒼穹の彼方へ進んだ彼女達はやがてメドウからは見えなくなった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「どうだ感謝しろ! 俺様の手柄だ!」


 シャドは砂の上で飛び跳ねている。はっはっはと口を大きく開けてはしゃいでいる彼女とは対照的に、傍で突っ伏しているクズリは地面を見つめたまま動かない。


「主犯格には逃げられてしまったか」ライカが空を見つめてそう言った。「あのままメドウくんが撃ってたら捕まえられたんじゃないの?」


 ライカの言葉にメドウは「どうでしょう」と肩をすくめた。


「それよりも」とメドウは顔を僅かに後ろの方へ向けた。「どうしてこんなところにいるのかな? ミナギさん」


 ミナギは持てる限りのペットボトルを抱えて後ろに立っていた。シャドが飛ばしたあのバイクは、ミナギがここまで乗っていたものだったのだ。盗賊を追ってきたシャドと鉢合わせたミナギは、断片的な事情と状況を聞いて、地上でバイクを飛ばす手伝いをしていたのだった。


「ごめんなさい」


 ミナギが目を瞑り俯き気味に謝ると、シエルが耐えかねたように切り出した。


「申し訳ございません、メドウさん。これはひとえにワタクシの責任でございます。この悪条件下でもしやメドウさんの身に万が一のことが起こるのではと告げてしまい……」


 そこまで言って口籠るシエルにメドウは優しく戒めた。


「心配してくれるのはありがたいけど、上司たる僕の命令を破ったのはいただけないな。何より」表面上は感情的ではないものの、どこか厳しさを含んだ言い方だった。「迷い人を危険な目に晒しかねない行いだよ。それはわかっているね?」


 メドウの戒めに肩を落とすシエルを見かねて、ミナギは口を開いた。


「メドウさん、私のせいなんです。地上で何か凄い音がして嫌な予感がして……その時にシエルの制止を振り切ったのは私だから。あんな凄い力を持った人を相手に、一人で立ち向かうなんて、危険だと私が言ったんです。こうして水を届けに出てきたのも半ば強引に」


 地面にシルクハットが落ちているのを見つけてシエルは両手を伸ばす。けれど、メドウの操る水が制するようにして先に拾い上げてしまった。


「気持ちだけは受け取っておくよ」メドウは今まで以上に声を落とした。「でも、ミナギさん達が余計な心配をする必要はないんだ。どうか危険を冒すようなことは全部僕に引き受けさせてほしい。それにーー」


 そう語るメドウの後ろ姿は寂しげな表情を見せていた。


「何もかも僕の言う通りにしていれば、無事に家に帰れるよ」


 僅かに顔をこちらへ向け、ミナギの左薬指に視線をやった気がした。

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