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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第八章 砂漠
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第64話 スーパーマン

「はよ、解いて」


 紙の紐によって縛り上げられたクルムが低く唸った。ヒョウが解こうと試みるも、紙は幾重にも折り重なっていて、容易に千切れそうになかった。


「あやつ、なかなかの腕前だのう。これほどまでに薄く加工されたマテリアロイドを手足のように操り、しかも複数に同時展開とはな。この紙の束にしても、一枚一枚はペラペラだが、こう重ねると驚異的な硬度だ」


「ただのマテリアロイドじゃないな」クルムの横で同じく蓑虫のような姿をしたブライトが言った。「カンニングペーパーとか言っていたが、あれは削り出されたメモリーツリーを加工して作られたプロセスドマテリアロイドのようだ」


「最近になってツァイトライゼが一部研究開発に成功したというあれか。まさかブルータルズで使い手が出て来るとは、恐ろしや恐ろしや」


 ヒョウは紐を解こうとする手を止めて顔まわりに生えた鬣のような毛並みをもしゃもしゃと撫でている。毛むくじゃらの動物の顔つきから加齢の具合を判断することは難しいが、その手つきは確かに彼が老齢であることを物語っていた。


「おい、(じい)。はよ解けって」


「やっとるやっとる。そう急かすでない、お嬢。しかし、こりゃあ専用の工具なんかを使わにゃ難しいぞ。お生憎様、工具類を積んでる“船”は隊長が乗っとるしな。とにかく、今は逃げたあやつの行方を追うのが先決かもしれん。どうやら隊長の向かった先と同じ区域に向かっておる」


「あの人の行先がわかるんですか?」


 ブライトに巻かれた紐を外そうとしていたミナギはその手を止めてヒョウの言葉に反応する。彼らの言う隊長の居所は当然わかるとして、あの逃げた盗賊の行方までをも把握しているような口ぶりだ。


「わしゃ戦いは専門外だが」ヒョウは誇らしげにもしゃもしゃと撫でた鬣から何かを取り出した。指先にはタンポポの綿毛のようなものが摘まれていた。「索敵は大得意なんでな」


「何それ、抜け毛……いやフケ?」とヴァーユが引き気味にそれを形容した。


 ヒョウは大袈裟な咳払いで少年の感想を掻き消すと、胸を叩いて言った。


「これがわしのマテリアロイドだよ、少年。パフボールアンテナといって、なんとこの綿毛がある周囲の情報をキャッチできるのだ。一本につき一日一回だけ綿毛がなる。その量だけ同時に散布し、それだけの情報を得られると言うわけだ。風に乗せて飛ばせば、探し物なんかあっという間だぞう。この広い砂漠の中でだって効率的に探索できる優れものだ」


 ヒョウは自身のマテリアロイドの特性を披露するのが嬉しそうなあまり、自身の功績を語るのを忘れているようだった。あの黒豹に対して一旦は「戦いは専門外」と言って下手に出ておきながら、すれ違い様に黒豹の体に綿毛を付着させたということになる。綿毛ひとつが微細で気付かれ難いことを加味しても、あの追い詰められた状況で自らの役目を果たしていたあたり、なかなか抜け目のない老ウサギかもしれない、とヴァーユは思った。


「ま、悔しいけど、情報戦じゃアタシら爺には勝てないね」とクルムもそこは認めざるを得ないようだった。


「全く。おかげでマテリアロイドがただ戦うためだけの武器じゃないという可能性を再認識できる」ブライトも大きく頷いていた。


 ヒョウのマテリアロイドから得た位置情報を頼りにリニアはそこへ向かうべく発進した。


 移動の最中、ミナギはある不安からシエルに話しかけた。


「ねえ、メドウさんは大丈夫かな。さっきの黒豹の盗賊もメドウさんのいるところに向かったって話だけど」


 話しながら、ミナギは未だに紙の拘束に窮屈そうにしているブライトとクルムをちらりと見た。


「どうでしょう。メドウさんの事が誰かに負けるのをワタクシは見たことがありません。おそらく大丈夫とは思いますが」シエルはヴァーユの肩の上で考え込む仕草をした。「ただ、やはり条件の不利が懸念されます。敵方のマテリアロイドは際限なく砂漠の砂から補給できるようですが、メドウさんはこの砂漠では兵站を絶たれているも同然ですから。そこにきてさっきの敵も加勢となると、むむむ……」


 シエルが体を丸めて両手で頭をくしゃくしゃと揉み始めた。敵が物量において圧倒的優位に立った上で戦いを挑んできた以上、メドウが無事でいられる保証もないのだ。


 ミナギは、先刻にメドウからなんの相談もなしに避難をさせられた場面を思い出していた。あの説明不足はこの際時間的猶予のないあの状況下で仕方のないことだとしても、メドウ自身の安否についてはこちらに触れさせることもなく、自分達は地下へと逃されたのだ。ミナギは感謝しつつも、ともすれば自己犠牲を伴いかねないメドウの一方的な行動に少し苛立ちを覚えてもいた。


「メドウさんって、いつもああなの?」


 思案の末に口から溢れていた。


「ああ、と言いますと?」


 シエルからすれば唐突な質問に彼は首を傾げる。


「うーん、全部自分で解決しようとするところとか」ミナギはメドウの直属の部下である彼に気を遣うように、しかし思ったことをなるべく素直に吐き出すように続けた。「ほら、例えば、同行してからずっと料理とか作ってくれるでしょ? たまには私が作るって申し出ても、『いいから、ミナギさんは寛いでて』って手伝わせてもくれないし」


「そりゃ、あいつからしたら俺達はお客さんなんだからそうなるんじゃないか。家に送り届けるのがあいつの仕事。俺達はそのサービスを受け取るしかない」


 隣で聞いていたヴァーユが天井の灯りを見てそう言った。


「ミナギも、前は最終的にはメドウさんが守ってくれるとか何とか言ってたじゃないか。チェスト将棋と同じ。言ってることが反転してる」


「ま、まあその辺のことは前言撤回ということで……」ミナギは苦笑いしてから、仕切り直すように言った。「でも、それにしたって、ずっと助けてもらってばかりと言うのもそれはそれで居心地が良くないものだよ。向こうは親切心のつもりなんだろうけどさ。シエルだって、早く一人前になりたいでしょう? メドウさんみたいになんでもやってくれる人が上司だと、それはそれで部下の成長する機会を損ねるって言うし、親切心も時に考えものだよ」


「人の心というのは難しい物ですね」シエルはミナギの言葉に頷き、それから寂しそうな表情を浮かべた。「メドウさんは何でもかんでも独りで出来ちゃう凄い方ですから」


 シエルのその一言を合図に会話は途切れた。それからミナギ達は暫くリニアの流れに身を任せていた。


「少しくらい周囲を頼るとかしないのかなー……」


 ミナギは独り言のように呟き、バッグの中に入れてある水入りのペットボトルを見た。


「そろそろじゃな」


 ヒョウの様子から目的地に近づいたのを感じ取った時のことだった。ブライトの無線機から大きな音が聞こえてきた。何かが大きく崩れ去るような轟音で、それは無線機の中からのみならず、リニアの外側の揺れとなってミナギ達にも伝わってきた。

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