第61話 夢と希望の始まり
「ところでおじさん、そのスーツケース、だいぶパンパンですね」
差し出された飴を受け取ってからミナギは話題を切り替えた。おじさんの傍には、想定されるキャパシティを大幅に超過し、今にも爆発しそうなスーツケースが置かれている。辛うじてバックル付きのストラップでなんとか持ち堪えているといった様子だった。
「これはおじさんの夢と希望だよ」
「夢と希望?」
「とくとご覧あれ」というと、おじさんはバックルを外した。勢いよく弾けて中の物が辺りに飛び散るが、おじさんはまるで驚かない。ミナギは地面に散乱した物含めて、スーツケースの中に入っていた物を見て感嘆の声を漏らした。
「はあー、これ全部お菓子ですか?」
「そうだよ。おじさん、こう見えてもこれで生活しているのさ。今名刺を切らしちゃってるからこれで失敬」
おじさんは細長い三本の腕を伸ばし、ミナギ、ヴァーユ、シエルの三人に一斉にフライヤーを差し出した。
「夢と希望をお腹の底にお届けします、ファンタスティックスイーツファクトリー……」
ミナギはフライヤーに描かれた文言をそのまま音読した。「なんか、胃もたれしそうな社名だな」とヴァーユは、おじさんに聞こえぬようこそこそとシエルに語りかけていた。
「スーツケースに詰め込んでいたのは、まさに夢と希望、もとい我が社自慢の商品さ」
おじさんは自慢げに座席に商品を陳列していく。「気に入ったのがあればつまんでいいんだよ」と朗らかに言うおじさんを前に、商品のレパートリーを目の当たりにしたミナギ達は苦笑いを浮かべた。油ゼリー、有刺鉄線グミ、錆チョコ、ガムテープチップス、脱脂ビスケットといった商品を見ていると、むしろ食欲が減退していく感覚に見舞われた。
「うーん、さっきもらった飴がまた欲しいかな」
ミナギは手元の飴の包み紙を眺めた。ポップな包み紙に包まれていたそれは、味こそ濃いものの、おじさんの所有物の中では唯一ミナギの口にも合う、いちご味の飴だったのだ。
「ていうか、飴だけ毛色違いすぎる」
「ははは、それはきっと、おじさんの青春の味を再現した物だからだね」
ヴァーユの呟きにおじさんは上機嫌に笑った。
「青春の味?」
「さっきは暗い話をしてしまったから、今度はおじさんの夢の始まりを教えてあげるよ」
「夢の始まり……この飴がお菓子作りのきっかけってことですか?」
「ご名答! おじさんがまだおじさんじゃなかった頃の話。あの頃は地元でブイブイ言わせてた時代なんだけどねえ」
おじさんはここにきてより饒舌に自分の過去を話し始めた。
「おじさんがここに最初に訪れたのは、今から数十年は昔だったねえ。ここはその頃も相変わらずただっ広い砂漠だったんだけども、今よりも危険物がまだたくさん埋まっていたんだ。でも、そんなことお構いなしに、ここで商売や暮らしている人々もいたんだ。で、おじさんもそこで移動式の遊園地を見つけてね」
「へええ、砂漠の中に遊園地が?」
言いながらミナギは、殺風景の中にポツンと置かれた遊園地が現実離れして思えた。ヴァーユも目を薄く閉じて、話半分に聞いているといった様子だった。
「あったんだよ。今もあるはずだよ。ともかく、当時はそこで色んなお菓子を園内販売してたんだ。ポップコーンに、綿飴に、クレープに……」
「ははあ、そこで買って食べた飴の味が夢の始まり、と」
ミナギは強く納得するポーズを取ってみる。旅の道連れで出会ったおじさんの昔話に付き合っているうち、なぜだか自分も彼のテンションにつられていくようだった。
「いや、自分は買わなかったんだ。何しろ不良少年だったからね。飴なんて子供の食べる物だとバカにしてたくらいさ。ははは、今になって思えば、子供も子供だったのにね」
「じゃあ、夢の始まりっていうのは?」
「ここいらで語り継がれている伝説、水神様は知っているかい?」
「水神様?」
ミナギは首を傾げた。お菓子作りのルーツをたどっていたはずのこの話は一体どこへ向かっているのだろうと思った。
「丁度その日、この砂漠にあった危険物が爆発して大事故に発展したんだ。その遊園地も巻き添えを喰らって大火事に見舞われてね。そこで颯爽と現れたのが、水神様さ。大きな龍が空を舞って、雨が降らないはずのこの砂漠に雨を齎したんだ。おかげで遊園地は無事に消火して、今でも伝説として語り継がれているってわけだ」
「何かの見間違いじゃないの」
横で適当に受け流していたはずのヴァーユが話に入ってきた。この小さき科学少年の耳には、そんな空想じみた話が真実のように回るのを看過することはできないのかもしれない。
「天体がUFOと間違えられて騒がれたなんて例があったりする。心霊写真に映る顔だって、たまたま光の加減なんかで映り込んだ逆三角に並んだ三つの点を人間の脳が顔だと認識するシミュラクラ現象で殆ど説明がつく。それに大昔のことでしょ? おじさんの証言だけじゃ、信憑性に欠けるというか」
「おじさんの与太話なんかじゃあないよ。ね、お兄さん?」
「ああ、はい」運転室の前に立っていたブライトがおじさんの言葉に反応する。「その水神様の正体が何かはわからないですが、当時遊園地にいた来園者も、その砂漠で勤務していた管理委員も、皆口々に龍が空を飛んでいたと証言してますね。私は当時は生まれてもいないですが、この辺では有名な伝説です」
胡散臭いと見えるおじさんだけでなく、真面目そうな管理委員のブライトが真剣に語るものだから、ヴァーユはそれ以上反論するのをやめたようだった。しかし、その後もミナギの横で「もしかしたら集団催眠って線も……」といった独り言を呟いては、手帳に自らの仮説を書き並べていた。
「それで、結局夢の始まりって?」
しばらく沈黙の後、ミナギが思い出したようにおじさんに尋ねた。
「あっ、そうそう、そんな話をしてたんだったね。おじさん、その水神様と会ったことがあるんだよ」
「えっ」
ミナギとシエルは声を揃えて驚いた。隣にいたヴァーユも手帳から顔を上げていた。
「水神様が現れた大火事の日、みんなが大騒ぎで火事から逃げ回って、そりゃあもう大パニックだったんだ。かくいうおじさんも逃げ惑う人達に揉みくちゃにされてねえ、挙げ句の果てに坂から転げ落ちて気を失ってしまったんだ。転がってる時は死んだと思って、我が人生悔いだらけって心の中で叫んだくらいだよ、あはは」
ミナギ達はおじさんの長い笑いにもどかしい気持ちを抑えきれずに「それでそれで」と無言で話の続きを促した。
「目を覚ましたら、びっくりだったよ。おじさんが気絶していた近くに、水神様が降り立ったのを目撃したんだ。それに驚くことに、地に降りた水神様は人間の姿になっていた。大丈夫かい、なんて声をかけてもらったりしたよ」
「なんと、それは本当ですか?」
離れたところにいたブライトもいつの間にかミナギ達の近くに来て前のめりに話を聞いていた。その片手には開封済みの油ゼリーが握られている。
「どんな姿をしてたんですか?」
「残念ながら、姿はよく覚えていないなあ。何しろ火事を消すほどの大雨が降っていて視界は悪かったし、気絶した直後のぼんやりした頭だったしね。でも、もらった恩義は忘れていないよ。その時に水神様は、おじさんの心配をしてくれたばかりか、遊園地で売ってたのと同じ飴をくれたんだ。神秘的な体験と合わさって特別な青春の味がしたよ。それでおじさんはおじさんになったというわけさ」
「ははあ、夢の始まりってそういう……」
おじさんが熱っぽく語る伝説に皆して食い入るように聞いていたせいか、車内の熱気も上がっている気がした。
「ボウヤは夢はあるかい?」
話し終えて満足そうなおじさんは、その勢いで少年に語りかけた。ヴァーユは突然の問いに戸惑ったのか、静かに首を横に振った。
「一緒に探している最中なんです。パイロットや俳優とか提案してみたんですけどねー」
黙っているヴァーユに代わるように、ミナギが答えた。
「余計なお世話」
ヴァーユはミナギに手短に反論した。そんな二人のやりとりを眺めていたおじさんが言った。
「そうかい、でも焦ることはないよ。夢や希望というのは求めた先にあるものじゃあなかったりするからね。だいたいそういうのは予想外の所から転がってきたり、求めている道の途上で気づいたりするものだよ」
ヴァーユは胡散臭いと思っていたおじさんを見る目が少しは変わるような気がして、それを口に出そうとした。
「もっともおじさんの場合、自分が転がってしまったんだけどね、あはは」
ヴァーユは出かかった言葉を即座に引っ込めた。




