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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第八章 砂漠
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第60話 かつてあったという戦争

「あわわ」


 シエルが窓の外を見つめて不安を漏らしている。まるでメドウとこの車に明確な敵意を持っているかのように、砂の大群が迫ってくる。異様としか言いようのない光景だった。


 けれども、メドウが作り出した水の障壁によって、砂は後一歩のところで通行止めを喰らっていた。阻まれた砂の塊は、体当たりと崩壊を繰り返しながらも、水壁を破ろうとしている。


「メドウさん、どうするの?」


 不安がるシエルを手元に抱えて、ミナギはメドウに策を求めた。何のことはない、ミナギもまた不安で手元が侘しかったのだ。


「オイ、この拘束具外せよ! 巻き添えで死ぬのは御免だからな!」


 シャドもまたかちゃかちゃと音を立てて抗議している。


「今からミナギさん達を埋めるね」


「え?」


 この人は一体何を言っているのか。メドウの顔を見直してみても、冗談で言っているわけではないらしい。


「シエル」


「はいいっ」


 ミナギの手元で小刻みに震えていたシエルが呼びかけられていっそう大きく震える。


「向こうに着いたら僕の名前を出して、施設まで案内してもらってね」


「え、ええと」


「ごめん、メドウさん、何言ってるか全然わかんない」


 首を振り、手を振り、ミナギはメドウに詳しい説明を求める。その都度抱えていたシエルが「ひええ」と喚くものの、危機的状況下の問題発言に混乱するミナギが気付くことはなかった。


「話している時間はないんだ。向こうに着いたらわかるよ。じゃあね」


 そう言うとメドウは下を指さす。その指示に応じるようにして、水のバリアは車を包み込む。


「じゃあねって、ちょっと! メドウさんは!?」


 ミナギは車の下部が大きく揺れるのを感じた。何事かと目を向けると、車の底で例の渦が巻き起こっていた。螺旋状に変化した水が地面を掘削しているらしい。振動を感じてからすぐさま窓の外は真っ暗闇に覆われていた。メドウの姿もとうに見えなくなっていた。


 *******************


 水で出来たドリルが五分ほど削り続けたあたりで、車ががたんと音を立てた。ドリルの作動音はやみ、車が急斜面を降下する感覚に見舞われる。窓に流れる景色を見て、ミナギは大きな空洞に行き着いたのだと理解した。


「何だろう、ここ」


「駅みたいだ」


「砂漠の地中に駅、ね」


 車が完全に停止してから外へ出ると、そこはまるで駅のプラットフォームのような空間だった。車が落ちた場所は本来乗客が列車に乗り降りするであろう歩道だった。壁には白いタイルが敷き詰められていて、床には点字ブロックや白線で乗降口の案内がなされている。それが途切れた先に降ると線路が敷いてある。


「超電導リニアのガイドウェイだ」


「超電導リニア? へえ、意外とハイテクなんだね」


 ヴァーユが興味深げに眺めている線路を見ると、確かに形状が普段乗っている電車とは異なっていた。中心部は窪んでいて、両側に白い金属製の壁が備わっている。中心部の地面には車両走行路らしき凸みが見られる。あの両側の壁から推進と案内を行う電磁力が送られるのだろう。


 白いライトがあたり照らしてはいるが、どこにも人気はない。隅に四角いプレハブ小屋があるが、中はやはりもぬけの殻だ。しかし、通話機が取り付けてあるのを確認すると、ミナギは扉を開けて中へと入った。


 通話機のすぐそばに連絡先が書かれたカードがあったので、適当に番号を入力して呼び出してみる。呼び出し音を聞きながら椅子にもたれかかっていると、構内に歓声が響き渡る。


「おっしゃ、外れた!」


 シャドが拘束具を外して、両腕の感覚を確かめていた。それを指差して、ミナギは近くにいたシエルに尋ねる。


「いいの? あれ」


「よくないと思います……」


 そんな傍目など気にすることもなく、シャドは車が通ってきた穴の中へと入っていく。「俺も混ぜろってんだ!」などと叫ぶシャドの声はみるみる遠ざかっていった。


 図らずもシャドを見送ってすぐに電話の応答があった。かけていた番号はこのリニアの管制室のものだった。ミナギとシエルは指示された通り、電話口にメドウの名を出し、施設まで案内してもらうよう頼んだ。


 *******************


 迎えがきたのは、電話口の向こうで「すぐ向かわせます」と聞こえてから本当にすぐのことだった。リニアモーターカーに乗って颯爽と現れたその委員はキツネともオオカミともつかぬ外見をしていた。「タテガミオオカミだ」とヴァーユが言うのを聞いてそんな動物がいたのだなとミナギは知る。


「やあどうもお待たせしました……ってシエルじゃあないか」


 そのタテガミオオカミはミナギ達に粛々と頭を下げるも、隣にいたシエルを見てすぐに砕けた調子になった。一方のシエルはその細い体を伸ばして緊張気味に挨拶をする。


「ご無沙汰しております、ブライトさん」


「相変わらず堅いねえ。もっと楽にしていいってば」


「かか、かしこまりました」


「かしこまらなくていいんだってば」


 けらけらと笑ってからミナギ達の方に向き直り、「では、私が施設まで案内いたします」と改めて頭を下げるのだった。


 そのリニアモーターカーは二両編成だった。先頭車両は白くて細長いイルカに似た形をしている。先頭車両に続く形で車を乗せる車両運送用の車両が付いていた。ミナギは車を運転し、その上に乗せるように停めた。


 窓の一つに影があり、既に乗客が一人いるようだった。そのずんぐりむっくりした影を見てから今度は一体何の動物だろうと予想を立てるも、車内に入ってからミナギとヴァーユは愕然とした。


 それは二人が生で見たことのない希少な品種、あるいは対面すれば恐怖や危機を覚えるような獰猛で凶暴な獣といった類の驚きをもたらす動物ではなかった。いや、そもそも動物ですらなかったのだ。


 赤茶げた色味のその胴体は、縦長の楕円形だ。背中は甲羅で覆われていて、胴体からは七対のしなやかな竹のような節足が伸びている。シートから地面に放り出されているのを見る限り、普段はそのうちの太い二脚で二足歩行を遂げているらしい。頭部から両サイドに垂れ下がっている触覚は無視できないほどの存在感だ。口に相当するであろう顎は、四対の格子状になっている。大きなダイオウグソクムシ。それがさもありなんといった顔でそこに座っていたのである。


 体を覆っている柄物のシャツに、顔に掛けられた茶色いレンズの金縁眼鏡、側に置いてある大きなスーツケースを見るに、見た目がダイオウグソクムシであることを除けば、身軽な自由人といった風貌だった。


「あの御人もお知り合い?」


「いえいえいえいえ!」


 ミナギが尋ねるとシエルが小声で怯え気味に、しかししっかりと首を振るった。窓の外の景色が流れているのを目の端に留めて初めてミナギは車両が発進していることに気づく。


「やあやあ、君達も運休だってのに勘違いして降りてきちゃったのかい? あはは、意外と多いんですねえ、お兄さん」


 眼鏡をきらりと光らせ、こちらに話しかけてきたダイオウグソクムシは、その図体からミナギが受けた印象に反して極めてフランクで涼しげな言葉遣いだった。お兄さん、というのは、今は操縦室の前に立ち車内を見渡しているブライトのことを指しているらしい。一度に状況を飲み込めなかったため、ミナギは「運休? 勘違い?」と言葉の意味を聞き返す。


「当地下鉄は只今テロ対策のため運営休止中なんですよ。近々直通の都でカーニバルが開催されるので。そこにこのお方とあなた方が迷い込まれてしまったらしいですね」


 ブライトがミナギに説明する。しかし、その説明だけでは今の状況を語るに十分ではない気がした。


「でも、ブライトさんは管理委員なんですよね? なんでここに?」


「私は只今この地下道を警備して回っているところだったんです。テロの警備はもちろんのこと、何しろこの砂漠には危険物がまだまだ埋まっていますから」


「それってさっきの戦車とか?」


「さっき? さっきとは?」


 ミナギが素朴に浮かべた疑問符に、ブライトは些か大袈裟な反応を返した。


「メドウさんがさっき戦車と戦ってたんです。というか、多分今も」


「それはなんと!」


 叫びと共に地上から爆発音が鳴り響き、地下の照明が一瞬点滅する。ブライトは目を丸くすると、端末を取り出して誰かと通信を始めた。通信の最中も二度、三度と大きな揺れが地下まで伝わってくる。


「ライカ隊長、メドウさんが今A-25付近にて戦車と交戦中との通報が」


『それはこっちで至急向かってる。ブライトはさっきの指示通り客人を無事に送り届けることに注力せよ』


「はあ、しかしこの音を聞く限り、敵機は複数のようですが」


『私とメドウがいれば問題ない。心配無用!』


「……了解しました」


 そう告げて通話を切った後もブライトの心は地上に向いているようだった。


「君達もここら辺の人じゃないみたいだね」


 ダイオウグソクムシが話しかけてくる。ミナギは頷いた。観光客同士暇潰しに談笑でもしましょうという親切心を含んだ誘いを無碍にするわけにもいかない。ミナギ達は順番に名乗っていったが、ダイオウグソクムシの彼は自分のことを「おじさん」と呼んでくれというので、言われるままそう呼ぶことにした。


「まあ、遠くと言えば遠くから。おじさんはどこから来たんです?」


「おじさんは南の果てからやってきたんだ。今から向かう先で営業をかけるための大出張だよ」


 スーツケースをポンポンと叩いて陽気に笑う。笑いがてらシャツのポケットに手を当てて、「あ、飴舐めるかい?」と無言で座っていたヴァーユに話しかけてもいる。ヴァーユは明らかに人見知りをしているようで、曖昧な頷きを返す。


「ははあ、どうりで」


 一方、シエルは納得したようにこっくりと頷く。


「どうりでって?」


「この辺ではお見かけしないお姿だなあと。南半球の方々は、我々とは異なる姿をされているというのは聞いたことがあります故」


「これがカルチャーギャップというやつだね。おじさんからすると、この辺も見慣れない光景ばかりで見ていて面白いよ。もっとも、随分と昔に観光旅行に来たことがあるんだけどね」


「へえ、じゃあ私達よりも上級者ですね」


「ははは、上級者だよ。上級者の誼で色々と教えてあげるよ。君達、さっき戦車を見たんだってね。それがどこから来たかはわかるよね?」


「向こうの世界ですよね」


 自信満々にそう答える。私達もそこから来たんです、とは初対面の相手に流石に言えない。


「その通り。ああいう危険物は森の中にもジャンプしてくるんだ。だから遺失物管理委員が取り除いたり、避難勧告を出したりして、森の平和を守っているわけだけどさ。はた迷惑な話だよね」


 ミナギはその言葉にはっきりと頷くことができず、「まあ」と言葉を濁す。自分達はそのはた迷惑とやらの当事者という言い方は場合によってはできてしまうのだ。目の前にいるおじさんがその真実を知らないとしても、素知らぬ顔で見過ごすことは憚られた。


「で、ここからが多分君達の知らない話だ。あまりハートバースでは教えられていない常識だけどね、向こうの世界では、かつて戦争が起きたらしいんだ。大勢の国同士が争い合うために、君達が見たような戦車や爆弾、毒物を沢山作ったんだって。結果、向こうの世界で沢山の人達が死んでしまった」


 おじさんのサングラスの向こうにある目は好奇で満ちている。それも無理はない。自分のいる世界とは無関係の話なのだから。けれどもミナギはその話を談笑として受け流す事はできないし、できるわけがない。


 だが、その直後に一転しておじさんの目にも悲哀が満ち始めるのをミナギは見過ごさなかった。彼に釣られるように、いや彼以上に、次の言葉を聞いたミナギの胸は、締め付けられるような痛みを感じていた。


「この一帯が砂漠化したのもそれが原因さ。向こうで作られた破滅を呼ぶ遺失物、それがかつては緑に満ち溢れていた森を、不毛の大地に変えてしまったんだ。今や、燐光蟲すらも見放してしまったこの大地に、ね。君達が見たという戦車も、その時代こちらに一斉にやってきた兵器なんだろう」


 おじさんはそこまで饒舌に語ったところで、ミナギの沈痛な面持ちを目に留めて言葉を止めた。


「おっと、せっかく観光旅行に来たというのに暗い話をしてすまなかったね」


 それからシャツの胸ポケットをまさぐる仕草をして「飴いるかい?」と声をかけてきた。

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