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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第八章 砂漠
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第59話 埋没

「兄貴!」


 一台の戦車の中から嘶きに等しい叫びが聞こえてくる。声の矛先にいるその兄貴は、予想外の爆風を真正面間近に受け、その巨体を数十メートル先まで飛ばされたとあって、傍目から見て戦闘不能は間違いと思われた。


「こいつ! よくも兄貴を!」


 今度は砲身が轟々とした叫びをあげて、細長い砲弾が猛烈な速度で放たれる。本来それは誰の目にも留まることのないもののはずだが、メドウはしっかりとその形状、速度、更には到達までの猶予を認識していた。


 メドウの着物から抜け出た水は、その身を極限まで膨張させ、穴の底に天井を作り出した。直後、砲弾は尖った先をその天井の一点へと突き立てていた。いとも簡単にそれを突き破るという結果が、その場にいたメドウ以外の者の、当然とも言えるビジョンとして脳裏に浮かび上がる。しかし、それは水膜が呈する奇怪な挙動により一斉に打ち砕かれた。


 着弾した一点を中心に巨大な渦が巻き起こっていたのだ。くるくると回る模様は、車の中からその事象を捉えていたミナギの視覚を混乱させる。それほどまでに目まぐるしい速度で中心から螺旋が生み出され続けていた。砲弾の回転を飲んでは、逆回転の渦を広げていく。渦による相殺がある一点にまで達したところで、あれだけ猛烈な勢いで発射されていた砲弾は力学的なエネルギーをすっかりと失い沈黙する。


 抗うことをやめた砲弾は、今度は螺旋に従うように逆回転を始めた。目を剥いてその事態を見つめていたヨークは、逆回転の意味するところをすぐには理解できなかった。対象に向けて放った弾が、心変わりでもしたかのような挙動を見せている。渦が地上へと膨らんでいる。その突き出た様はあたかも敵意を託された武器の先のようでもある。そう、あの水は正しく戦車の砲身を模倣しているのだ。


 思考がそこへ至った時、渦は大きな飛沫を上げた。砲弾はそれを放った側へと戻っていたのだ。


 エネルギーを反転させた弾は、それを放った箇所、つまり砲口へと返ってきた。だがその威力は明らかに放った時よりも大きい。戦車は激しく揺れて、一瞬前方が浮き上がる。バランスを崩した戦車は砂に足を取られるようにして後方へと転がっていった。


 声にならない声をあげてヨークは体を強く打った。罠にはめて優位に立っているなどと思っていたのが、間違いだったのだ。この敵を前にした時点で自分達は劣勢だったのだ。他の三台の戦車もそのことを悟ったらしく、穴の底から見えない位置まで後退りしている。


「お前ら、撃つんじゃねえぞ」


 はっとして振り向くと、目を擦りながら起き上がるバレルの姿があった。傍目からはどう見てもただでは済まない爆風が目の前で起こっていたが、不意を突かれながらも即座に気を失わないように受け身を取っていたのだ。


「でも、兄貴」


「レアものが壊れちまうだろが。それに、こいつは今俺をハメたんだ。やり返すのはお前じゃねえよ、ヨーク。俺だ」


 バレルは首をさするのをやめて目を開く。冷静にヨークを宥めてはいるが、その眼は獰猛な害意に満ちていた。


「なあ、管理委員さんよ。お前さんのいう通り、レアものを持っている以上、戦車で一網打尽にすることはできねえ。だが、だからってお前の命を絶対に奪わない、なんて理屈にはならないわけだ。レアものさえあれば、お前がどうなったって知らん。むしろ今ので身の安全を保証する訳にはとうとういかなくなったな」


「不穏当な発言だね」


「不穏当にも先に手を出したのはそっちの方だぜ」


「戦車を使わせ、穴に落としてよく言うよ」


「だが俺は取引を持ちかけたんだ。平和的解決策を講じた俺を踏み躙ったのはそっちだ。それを今から後悔することになるんだよ」


 バレルが喋っている最中から、穴の底で地響きが起こり始めていた。車に乗っていたミナギ達も身の回りで起っていることに不安を感じていた。


「何これ、地震?」


「でも、あいつらは平然としている。ここだけ起きてるみたいだ」


 斜面から砂が爛れ落ち、そのいくつかが車の側まで降ってきていた。


「これが最後通告だ。無条件降伏せよ」


「しなかったらどうなる?」


「こうなる」


 バレルが腕を大きく振るう。穴を形成していた砂が一斉に噴射し、メドウと車に襲いかかっていた。バレルの操る砂は、周囲の砂を全て飲み喰らい、穴の底へと雪崩れ込んでいた。そこに穴があったことなど嘘だったかのように、平坦な地が形成されるのに、一分も掛からなかった。


 戦車に乗っていた部下はいずれも息を呑んでその様子を見守っていた。ヨークは普段からバレルの身近でその能力を見てきたが、ここまで大掛かりな攻撃を繰り出すのを見るのは初めてだった。乾燥した砂を飲み込んで我が物にできる彼のマテリアロイドと、この不毛の地の環境が組み合わさることで、こうまで強力になるのかと驚きを隠せない。


 砂の轟音がやみ、風の音が聞こえてくる。一仕事終えたような清々しい顔で仁王立ちするバレルが戦車隊に振り向いて告げた。


「さて、お前ら、予定外の仕事が発生して悪いが、今から発掘作業だ」


「はあ、大変そうですね。砂の中からあの小さなペンを掘り当てるのは、物が物だけに」


「つっても見ての通り、俺の力で砂はいくらでも掘れる。お前らは目を見張っとくだけで良いんだよ」


目を見張るといっても、物が物だけに苦労を要するのは推して測るべし。これだけの作戦を立て、労力を注いでいるのも、あの小さなペンを手に入れるためでしかない。改めて考えみても、ヨークは腑に落ちなかった。


「しかし何であんな代物を狙ってるんですかね? あの依頼人達」


「俺も気にはなってる。渡す時に揺さぶってやっても良いかもしれねえな。ボスにどんな手使って近づいたのかも気になるしな」


顎をこすりながら思案するバレルの顔は見るからに邪悪だが楽しそうでもある。バレルはボスに近しい者のことに常々気を遣っているが、中でもあの依頼人達は謎が多い。そのせいか、バレルにとっては興味を通り越して警戒心の対象になっているようだった。


「目を見張るのは良いですけど、俺、ちょっとさっきの攻撃で頭がくらくらするんですけど、少し休んでいいですか?」


「じゃあブレークだ。俺もあんだけの砂を動かしたせいでだるいったらありゃしねえ。二十分ぐらいしたら始めるぞ」


 ふう、と息をついて、ヨークは地面に目をやる。さっきまで飄々と構えていたあの着物姿の委員も、今は地の底で沈黙しているのだろうか。だが、センチメンタルな気分には陥らない。腕は立つようだが、結局は大量の砂を得た兄貴の力には及ばずに退場した端役に過ぎないのだ。これまで相対してきた者はいずれもが酒飲み場で語らい合い、気分を高揚させるための武勇伝に登場するだけの存在になっていった。あの委員だってそうなるはずだ。


 ヨークは達成感を味わいながら頭を休めていると、足元から振動が伝わってくるのを肌で感じ、上体を起こした。


「兄貴は休まないんですか?」


「はあ? 休むよ。俺だって爆風喰らって頭くらくらだ」


「じゃあ、この足元のは?」


 足でとんとんと地面を叩く。その振動は明らかに自分達に接近しつつあるようだった。振動が具体的に把握できるようになるにつれて、不吉な予感もまた増大していく。


 そして、ある一点に目を奪われてからヨークは反射的に叫んでいた。バレルの足元に黒点が生じていた。

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