第55話 物欲の物怪
木々に挟まれた舗装道路を進むこと数時間、道路脇にサービスエリアが見えた。といっても運転してきたのは舎弟のヨークだ。遠出となると専ら彼が運転するのが常だった。後部座席のソファーにもたれかかりながら、それぞれの指にびっしりとはめた指輪の光沢を眺めて移動時間を過ごしていた。
サービスエリアの駐車場には、車が十台前後止まっていた。普段、この先のデザートパラダイスは訪れる客人と施設関係者で賑わっているが、サービスエリアの控えめな様子を見るに、ここも近々都で開催されるカーニバルの影響をもろに受けているようだ。
「つきましたよ、バレルの兄貴」
「おう、ご苦労」
車から降りてフードコートに入ると、まばらに客が座っていて、各々の店舗の先に立つ店員達も暇そうにしていた。
フードコート端の、とりわけ人目につかないテーブル席。そこに待ち合わせている者がいた。ヨークを連れてのしのしと近づいていく。
「予定時刻を大幅オーバー。謝罪のひとつもなしか」
こちらに見向きもせず、先に着いていたダガーは言った。鋭い覇気を纏った黒豹の後ろ姿は周囲に冷気とも思える緊張感を放っていたが、バレルは気に留めず大仰に絡んだ。
「時間通りのつもりだが。相変わらずつれねえな、ダガーちゃんよ」
バレルは腕に巻いた時計を見せつける。一つ、二つどころではない。金銀銅様々な材質の腕時計が幾重にも巻き付けられているのだ。バレルを知る者達にとって、そのじゃらじゃらと擦れ合う腕時計の音は飽きるくらい聞いてきたものだった。バレルの目の前にいるダガーも、以前に一度仕事をした際にはその音に辟易していた。
「あちゃあ、兄貴、それ奪い取ってからずっと時間合わせてないじゃないっすか。数十分単位でズレてるっすよきっと」
「おお、まじか。こりゃ御無礼仕った」
かかかと笑う能天気でやかましいバレルの声にも無表情でダガーは座るよう促した。
「で、こいつらがボスが懇意にしている俺達の依頼主ってわけか」
座るなりバレルは目の前を指差した。人間の姿をした壮年の男と十代半ばぐらいの少女が向かいの席に座っている。どちらもグレーのコートを着込んでいて、双眸を横一直線の黒いバイザーが覆っている。まるで肌や瞳から情報を読み取られるのを防いでいるかのような装いだった。バレルはドリンクのストローを強く噛んで、敢えて品定めする目を向けてみる。
「すまないな、私も一度仕事をした程度の縁だが、こういう奴なんだ。多少の無礼は許してもらえると助かる」
バレルの態度を鋭い目つきで制してダガーが詫びを入れる。
「構わない。こちらとしては依頼をこなす以外のものは求めない」
壮年の男の方が口を開く。言葉通り、バレルの嫌らしい視線をまるで意に介していないようだ。
その様子にバレルは内心苛立つ。なぜこんな愛想のない輩がボスと特別なコネクションを持てるというのか、そこがまるで気に食わなかった。
「単刀直入に言おう。これを奪ってもらいたい」
男がテーブルの上に写真を差し出す。バレルが乱雑に取り上げようとするが、ダガーが先んじて拾い上げた。
「このペンか。既にボスから通達が来ている例のレアものだな」
後ろから大袈裟に覗き込もうとするバレルを無視しながらダガーは依頼人の顔色を伺う。
「俺達に直指名するほどの値打ちものなのか?」
「事情が少しばかり特殊でな。厄介な邪魔が入るのだ」
そうして依頼主の男はまた別の写真を差し出した。今度は我先にとバレルが摘み上げた。
「この着流し野郎がそのお邪魔虫ってわけだ」
「そうだ」
写真は解像度の悪い監視カメラの映像の一部を拡大して切り取ったものらしい。そのせいで赤い着物に黒い帽子という大まかな格好しか視認できない。
「こんな余計なヒラヒラつけたナリしてたら、大したことなさそうなもんだが」
「余計なジャラジャラつけてるお前がそれを言うか」ダガーは低い声で言った。「それに、この人の言うことには、そいつがニトロを逮捕した委員らしい。油断は禁物だ」
「まじかよ」仲間の逮捕を聞いた途端バレルの顔が引き締まる。だがそれも束の間。すぐに表情を崩し、高らかに笑い始めた。明らかに嘲りを含む笑い方だった。
「そりゃあ寧ろ朗報じゃねえか。あいつ、気に食わなかったんだよ。なあ、ヨーク」
「え、ええ」
涙を浮かべる勢いで笑うバレルに、当のヨークは困り気味に返事をした。
ここのところニトロの評判は組織内でも上々だった。彼は周囲が思いもつかない計画を立案しては、それを実行し、管理委員への損害あるいは組織への利益を着実にもたらしていた。その功績は当然ボスの耳にも入っていたらしく、近頃自分と同じ幹部クラスに昇進するという噂もあったが、それこそがバレルが彼の逮捕を喜ぶ一因であった。
「ともかく、だ」仕切り直すようにダガーが声のボリュームを上げる。「それぐらい手強い奴だということを肝に銘じておけ。それで奴らは今どこに?」
それから依頼主の男は大まかな位置情報と次の目的地を告げた。それらの情報を整理しながら、ダガーは自分の部下と打ち合わせを始めている。そんなダガーを尻目にバレルは食事を摂りに店先へと繰り出していった。
「言っとくが、俺は俺のやり方でやらせてもらうぜ」
「……言わずとも、いつもそうだろうが」
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バレルが食い散らかした皿やドリンクカップを片付け、食料品の買い出しが終わると、ヨークはひと段落ついた証にため息をついた。バレルはお腹を膨らませて眠気に襲われると、そのまま本能に抗うこともなく車の中へと戻っていったのだ。
「舎弟というのも大変だな」
サービスエリアの外へ出てきたところで、後ろから声がした。振り返ると、腕を組んで壁にもたれかかるダガーの姿があった。
「あんな無骨者の世話を四六時中させられるなんてな」
意図してダガーは嘲笑を含んだ笑いを向けてみる。同情するようでいて、傍若無人の振る舞いをするバレルに付いて回る者の思考がダガーにはわからなかった。
当のヨークはそれを気遣いと取ったらしく軽く頭を下げるとこう言った。
「はあ、お気遣いありがとうございます。仰る通りなかなかくたびれます」
主人のいないところでもその仮面を外さないヨークに対し、ダガーはより踏み込んだ話をかけてみる。
「なら、私のところで働かないか? お前の苦労、あいつが出しているよりも高く買ってやる。その上、今の雇用主の職場ほど劣悪でないことも保証可能だ」
ーーなんてな。
ダガーはそう言いながらも、冗談めかして締めくくろうとしたところだった。
しかし、ヨークは愛想笑いを浮かべながらも、どこか真剣な口調で答えた。
「でも、この大変さが存外楽しいものなんですよ。他の人からは劣悪な労働環境でも、俺が良いと思って働いている職場なんです」
ヨークは頭を下げて、車の方へ向かっていった。
思わぬ相手から不意打ちを喰らわせられたダガーは、その場に留まったまま目を瞑った。だが、その口元は人知れず綻んでいた。
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「あいつら、信用できんの?」
サービスエリアを出て、カイムは開口一番に尋ねた。相手はあのブルータルズのならず者だ。さっきの会話の内容から組織内ではそれなりの地位にいるようだが、不法な手段で生計を立てる連中とあって、色々と懸念されるのはごく自然なことだ。
そこまで考えたところで、しかし今やろうとしていることを鑑みれば、自分も同じ穴の狢であることを思い出す。
「万が一にもターゲットを持ち帰ることができれば儲け物だが、相手は例の委員だ。奴らには無理だろう」
不信の表情に満ちたカイムに、ホルツは淡々とそう返すのみだった。
「じゃあ、何で前払いまで出して依頼したっての」
「なに、奴らは所詮時間稼ぎの手駒に過ぎない。我々は我々で着々と布石を打っておく。王手をかけるためのな」
それからホルツは今後の段取りを説明し始めた。




