第52話 銀幕の裏側の仕掛け人
『ーーこの強盗事件の犯人グループはいずれもブルータルズのメンバーで、第二保管庫の地下金庫室に保管されている機密文書等を狙っての犯行とのことです。事件による負傷者は勤務していた職員1名のみで、そのほか利用者への被害はありません。主犯格のメンバーは取調に対して黙秘を続けておりーー』
例の巨大モニターの中ではオウムのニュースキャスターがいつもと変わらぬ調子で情報を伝えている。既に解決済みの事件とあって切迫した様子こそないものの、身近に起きた犯罪に対する警戒心を表情に出して、近隣住民への注意を喚起する文言を読み上げて、件の報道を締めくくった。
前日に破損したというモニターの下部も、今や嘘だったみたいに綺麗さっぱりと修理により消えていた。それが象徴するかのように、昨日に起きた爆発事件と強盗事件の記憶は、既に人々の頭からフェードアウトし始めているようだった。
「やはり失敗か」
巨大モニターに見下された街の一角にあるカフェの屋上テラスにて、灰色のコートを着た男はそう呟いた。
事件の肝心な部分については、ニュースで取り上げられてはいない。けれども、遺失物管理委員会によって犯人グループが全員逮捕され事件が丸く収められたという事実から、自ら仕掛けていた罠はうまく作動しなかったことが読み取れた。
何しろ今回ターゲットを連行しているのは、シルクハットが特徴の例の委員だ。これまでも、彼がついている場合は一筋縄どころかあらゆる手段を講じてもなお、漏れなく封殺、牽制されてきたのだ。
一方で、だからといって焦る必要もない。この件は数多く打っておいた布石の中の一つでしかないのだ。失敗したからといって痛手を見るのはブルータルズの連中だけで、こちらはただ望むものが今回は手に入らなかった、ただそれだけのことだ。
ーーさて、次はどう仕掛けようか。
過ぎたことは忘れて次の段階に切り替えるべく、口元でティーカップを傾けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「俺達はもういくぞ」
カガリはメルを引き連れて車に乗り込んだ。
「最後まで面倒見てやりたいのはヤマヤマだが、俺達も委員長からの重要任務があるんでな。先に出発したタルヒにも追い付かなきゃならん」
「メドウさん、本来のお仕事を中断させてまでご協力いただきありがとうございました」
メルが丁重に頭を下げた。
「いやいや。ていうか、思いっきり僕のお客さんが事件に関与してたわけだからね。そんなに畏まることはないよ。重要任務、今度こそ健闘を祈ってる」
「メドウ」
カガリが改まった調子で車の窓枠から顔を出してきた。
「委員長からの伝言だが……とにかくお前は迷い人を出口まで出すことに集中しろだと。こっちのことは気にしなくていい。あの人の気遣いだ。遠慮なく甘えておけ」
「わかった。お気遣い感謝するよ」
メドウは人差し指と中指を揃えてGOサインを出す。カガリとメル達を乗せた数十台の車は、街から伸びる舗装道路を走っていった。カガリ達に任された任務の詳細は聞けなかったが、幾重にも響くエンジンの音と車の列の長さが、その重要性を表しているような気がした。
車に揺られながら、メルはバックミラーに映るメドウの姿を見つめていた。
「なんだ、メル。シエルが恋しいか?」
唐突なからかいに、メルは食い気味に首を振った。
「違いますよ。ただ、メドウさんにもこの任務に参加してもらえたら、心強いのにって思っていただけです」
メルの首があまりに激しく動くものだからカガリは鼻で笑った。
「そりゃあそうだが、何せ委員長のご意向だからな」
「メドウさん、迷い人の案内業務に積極的ですけど、他の任務とバッティングしてもあちらを優先しますよね? その、あんまりよろしくない発言なのは承知の上ですが、迷い人は、緊急性の観点で言えば、優先度は下がるような気がするというか……」
「メル、お前は迷い人の失踪事件については知っているか?」
「聞いたことはあります」
「このハートバースには時折向こうの世界から人間が迷い込んでくる。それが迷い人。そしてそいつらを元の世界に戻すようアニムスまで案内するのは、俺達遺失物管理委員の役割の一つだ。だが、全ての人間が出口までたどり着ける訳じゃない。ごく稀に案内していた委員が目を話した隙に失踪するケースがある」
「迷い込んできた人が更にこの世界でも迷い込む。なんだか怖い話ですよね。自発的なものなのか、第三者による犯行なのかもわからないとか」
「ああ。失踪者はいずれも行方不明のままだ。メドウは多分それを未然に防ぐために躍起になってるんだろうよ。しかも、委員長もちとあいつを特別扱いしている節もあるからな」
「タルヒさんがやけにメドウさんを目の敵にする理由もそれですか」
メルは赤い模様の入ったタルヒの顔を思い浮かべる。事あるごとに先輩風を吹かせる彼は、何かにつけてメドウと張り合う。タルヒが一方的に敵意の矢印をメドウに向けて、メドウはそれを特に気にするでもなく平然と取り合うというのが、彼らのやりとりの平常運転だった。
「かもな。といっても、メドウは特に誇るでも鼻にかけるでもないってのに、タルヒの奴、何が何でも他人の特別さが気に入らねえんだろうな。ああ、考えただけでも面倒くせえ」
「今、私、メモ取ってますけど」
「何い? そこはメモ禁止だ。オフレコだよ、オフレコ」
「わかりました。オフレコ、と」
メルはいつの間にか取り出していたメモ帳にそそくさとペンを走らせる。
「本当にわかってんのかあ?」
メルはさっきのからかいの仕返しと言わんばかりに、くすくすと笑った。カガリも呆れた顔を作って敢えてやられたふりをして見せる。
ふとバックミラーを見ると、メドウの姿どころか、映っていた街は彼方へと消えていた。
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モニターの修理は昨晩のうちに完了することができた。撤収作業も今しがた終えたところで、カイムは周囲の作業員を労った。
「みんな、お疲れ。急な依頼だったけれど、お陰様で無事に今日も通常通りのプログラムで行くってさ」
「いやあ、よかったよかった。それにしても、昨日あんな事件があったってのに、懲りずに今日も映画の上映するんですね」
「まったくだよ。シネフィルってのはこういう街に住んでる人達のこと言うんだろうね。でもとにかく、修理作業は一旦終了。みんなお家に帰って、ゆっくりお休み」
カイムは手をパンパンと叩く。それを合図にして、最終的な点検を行う中心メンバー以外は、次々と帰路についていった。
カイムは、ブルーシートの上に置かれた、モニターのパーツを眺めていた。そのうちの一つ、元はモニターの画面を構成していた黒いパネルには穴が空いていて、それを中心に円周に亀裂が走っていた。
昨日に起きたという強盗事件で、何やら街へと逃走した犯人が銃を発砲してできた弾痕だ。
「全く迷惑な奴らがいたもんだな……」
カイムはポツリと呟いた。
それは独り言のつもりだったが、「全くだ」という返事があり、意図に反して会話のきっかけとなった。
聞き覚えのある声がした方に振り向くと、白く長い髪を垂らし灰色のコートを着た、やはり見覚えのある姿がそこにあった。
「ホルツ……」
カイムは条件反射的にその声の主の名前を口にする。
「久しぶりだな、カイム」
壮年の男は相変わらず無機質、無感情、無感動を音にしたような声で形式上の挨拶を述べる。バイザーを装着しているのはお互い様とはいえ、彼の方は口元の表情すら窺うことが難しいせいで、より機械的な印象を強めている。
「何か用?」
カイムは声を尖らせた。自分で尋ねておきながらも、彼がここへきた理由は容易に察することができ、そのことに対して無意識的に抵抗したかったのだ。
「私が来た時点でお前もわかっていることだろう」
だが、それをも見透かしているといった口調でホルツは淡々と続ける。
「実験材料だ。今回は確実に回収せねばならん」
やはり考えていた通りのことを口に出された。カイムは断る術がないか、瞬時に頭の中で模索してみる。だが、この男を言いくるめる方法はすぐには見つからない。
ひとまず、質問で時間稼ぎをすることに決めた。長いため息を吐いてから、カイムは告げた。
「あんたら、まだ諦めてなかったんだ?」
「計画は着実に進んでいる。あとは推進力を得られれば実現可能だ」
「そう。その推進力ってのが、今回のターゲットってわけ?」
「あれだよ」
カイムは、ホルツの指差す方を見た。巨大モニターに昨日の事件の報道が流れていた。
そこに少年の姿が映っている。事件被害者である少年がマイクを向けられてインタビューを受けている所だった。プライバシーに配慮して顔は映らないようになってはいるが、カイムにはその少年に見覚えがあるような気がした。
少年の胸のポケットにガラス細工のペンが収まっているのを見て、ようやく昨日郊外の森で出会った少年らしいことに気づく。
「あれは……」
「なんだ、接触済みか。ならば話は早い」
「昨日森で。会った時点じゃ、迷い人なんて気づかなかったけど」
そこまで話したところで、カイムは嫌な予感を覚えた。
ホルツがなんら迷いなく事件に巻き込まれた少年を指さしたこと、昨日の森でアークレードルの看板が消失していたこと、不可解な操作が加えられていたこと、結果的にその少年があークレードルに近づいていたこと。これらが一気に意味を帯び始める。
周囲に人気がないことを確認してから、カイムは尋ねた。
「まさか、この事件も、装置の誤作動もあんたの仕業?」
「それは誤解が含まれている」
「だったら正解も含まれているわけだ」
「事件を起こしたのは、あくまでブルータルズの連中だよ。私はただ彼らにターゲットの情報をリークしたに過ぎない。我々の目的はあくまで計画の遂行であって、徒らに平和を乱すことではないのだよ」
「よく言うよ」
「だが、これが事実だ」
「勝手にアークレードルを起動したのもね」
つい、苛立ちがそのまま語気に現れる。気づけば、拳を強く握りしめてもいた。
カイムは息を整えてから、改めて切り出す。
「悪いけど、私は協力できない」
無理矢理にでも話を終えたくて、背を向けてカイムは立ち去ろうとする。
だが、その動きすら見越していたかのようにホルツはすかさず牽制する。
「強制はしない。だが、計画の成功こそがあいつの望みだと、お前も理解していたはずだ」
背を向けたまま、しかし踏み出した足を止める。カイムは背に受けた言葉を振り払って、立ち去ることができなかった。
「昔のことを蒸し返さないで」
ホルツのことを睨みつける。しかし、もはやそれこそが彼の思惑に嵌っていることにも遅れて実感する。足を止め、顔を向け、彼の話に応じる姿勢になっていた。
「だが、蒸し返さずにはいられないな。事はお前が思っている以上に重大な局面なのだ」
機械が予め入力された文字を読み上げるかのように、ホルツは言葉を次々と声に出していく。しかし、それでも彼が放った次の一言は、カイムの胸を締め付けるような威力がこもっていた。
「あいつにとっては、今回が最後の機会になるやもしれんのだ」
無意識のうちに、カイムはホルツの立っている方へ足を踏み出していた。




