第50話 リピート再生
ヴァーユがいなくなった。目を離した一分にも満たない隙に、ヴァーユの姿が忽然と消えてしまっていた。
ミナギが先のシエルの言葉に「つまりはどういうこと?」と疑問の重ね掛けをしたところでそのことに気づいたのだった。
強盗事件が片付いたとはいえ、突如起きた一人の少年の失踪は周囲の人々を不安にさせた。ミナギとシエルは他の人達とも手分けして付近を捜索にあたった。
ミナギは第二保管庫から北へと向かい、街と森との境目にまでたどり着く。異変に気づいたのは、そこまで来て引き返そうかと思った時だった。
霧だ。微かに霧が森の方から漂ってくる。奥へ行くほど霧は濃くなり、木々の輪郭がぼやけている。その霧の中で時折青い光がちらちらと飛んでいた。
光の正体は燐光蟲のようだ。それは列を成し、何かを求めて霧の奥深くへと溶けていく。
ミナギは肩の上に乗ったシエルに語りかけ、その霧を進んでいくことにした。
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背負っていたバッグを下ろし、一枚のDCを取り出す。キャンピングカーから持ってきたものだ。数あるCDの中でも、出かける度にこれをよく聞かされていた。
ヴァーユはそのCDを落ちていた再生機にセットし、再生ボタンを押した。それから後ろにある機械に背中を預けて曲に聞き入る。
周囲はすっかり霧が濃くなっている。それはヴァーユの後ろにある機械から今も絶えず吐き出されているのだった。それはかつてミナギと共に洞窟の中で見つけた舟のような、半月のような形をした機械だ。周囲を包む霧の向こうから燐光蟲が集まってきては、機械にこびりついていく。そのせいで、見た目はさながら妖しい青の電飾を纏っているかのようだ。
おかげで、自分が今いる場所の状況は、すぐ近くに落ちている再生機を含んだ遺失物とこの機械以外にどうなっているのかがよくわからない。まるで白い煙で隔てられた円筒状の部屋にいるみたいだった。
とはいえ、不安はない。街の巨大モニターから流れる、夕刻のニュースの音はここまで届いてくる。音を頼りにすれば、いずれ街にたどり着ける。遭難することはまずないだろう。
気分を紛らわしたくて、ここで再生機から流れる音楽を聴くことにただ身を預けることにした。誰かと一緒にいることで生まれる喧騒は、自分の心を癒してはくれなかった。さっき目にしたものも耳にしたものも、かえって喉の奥を締め付けるばかりだった。
ため息を吐いて、後ろの機械を見る。
前回見つけた時のように、ボタンを押してみると、やはり映像が霧に向かって投影された。前回の映像はノイズがかっていていかにも技術不足を感じさせるものだったが、今回はよりクリアな映像と音質で映し出された。
鮮明な立体映像で映し出された少女は、プレゼントしてもらった熊のぬいぐるみを抱きしめてはしゃぎまわっていた。両親も、少女も、幸福に満ち足りた雰囲気を映像越しに放っていた。
しかし、燃料切れということなのか、やがて映像は止まってしまった。
もう一度同じことを、今度は自分の持つペンで試したらどうなるのか。やはりこのペンに纏わる何かが映し出されるのだろうか。この機械は、燐光蟲のエネルギーを利用して、物の記憶を再生するのではないか。
そうして今、機械が霧を吐き出して、燐光蟲を寄せ集めている間に、暇つぶしにCDを聴いているのだった。
「何聴いてるの?」
「うわあっ!」
CDから流れてくる曲と機械の作動音に気持ちよく意識を預けているところに、突然聞き慣れた声が乗っかる。
声の主は他でもないミナギだった。シエルもまたミナギの肩に乗っていた。
「……無言で隣に来ていきなり声かけるなよ」
「ごめんごめん……じゃなくて、なんで私が謝らなきゃいけないんだ! いきなりいなくなって心配するじゃない。みんなヴァーユのこと捜してたんだから」
ミナギが声を尖らせると、シエルも少しだけ強気で賛同する。
「ミナギ様の仰る通りです。ヴァーユ様、今回の事件は不運としか言いようがありませんでしたが、こうお一人でどこかへ行かれてしまうのは不用心です」
「すぐ戻るつもりだった」
不貞腐れたようにそう言う。そのあまりの悪びれなさを見るにつけ、追及を強めることはかえって反発を生むだけかもしれないとミナギは思った。
聞こえてくるCDの曲を耳にして、ミナギは一旦話題を変えることにした。
「もう勝手にどこか行かないこと。それにしても、この曲、私も聴いたことあるけど、やっぱいいもんだね。私は映画かCMで流れてるのを最初に聞いたんだっけかな。ヴァーユぐらいの年頃でこれは渋い選曲チョイスだ」
「車でよくかけてる曲だったんだよ、父さんが。俺はこれを歌ってる歌手のことはよく知らないけど」
「なるほど。車で親がかける曲って妙に頭に残るんだよねー」
そんなやりとりをしている最中に曲は終わって、次の収録曲に移り変わる。ミナギがそのリズムに合わせて首を揺らす。だが、すぐにその曲は中断され、元の曲が再生される。見るとヴァーユが再生機のボタンを操作していた。
「また聴くのん?」
「いいでしょ、別に、俺のなんだから」
「そりゃあそうだけど、他の曲も聴いてみたいとか思わないわけ?」
「お気に入りの曲だけ聞いていたいの」
「そっか。でもさーー」
なぜだか強情さを見せるヴァーユに、ミナギは空を仰ぎながら呟くように言った。
「アルバム曲を一通り聴いてみるのも一興だよ」
再生機をいじっていたヴァーユ手が空中で静止する。
「ミナギは、好きな曲をずっと聞いていたくはないの?」
「好きな曲をずーっと聴くのだっていいけど、その他の曲にだって好きになれる曲が紛れてるかもしれないじゃん。それに仮に、他の曲がほどほど止まりでも、ついに好きな曲がかかった時の興奮は、ヘビロテじゃあ味わえないよ。ほどほどや苦手っていうのがあるから好きなものが引き立つのさ、少年」
「そうなのかな」
「試してみればいいじゃない」
そう言うと、ヴァーユは渋々といった様子ではあるものの、次の曲を再生し始めた。同じCDに収録されているけれども、毛色の異なる歌い出しにヴァーユは戸惑う。けれども、聴いているうち、これも悪くないかもしれないと思い始めた。
ふと折を見てヴァーユはミナギに告げる。
「……さっきはどうも」
「えー、何が?」
「バイク」
「バイクがなんだって? 主語述語がないとお姉さんわかんないなー」
ミナギが笑いながら揶揄うと、ヴァーユはピシャリと言った。
「わかってるだろ! 助けてくれてありがとうってことだよ」
「どういたしまして。でも、ヴァーユだって、さっきの子を助けてあげたんでしょ。勇敢勇敢」
「まあね」
「ミナギ様もヴァーユ様も、まことに勇敢でございました。ワタクシからもお礼を申し上げます」
「あの時、シエルも一緒にいてたから心細くならずに済んだところはあるよ。囮の時の芝居もなかなか」
三人で談笑した。さっきまでの危機的状況が嘘のような安寧のひと時だった。
だが、後ろの機械がエネルギーチャージ完了を告げる音を発したことで、それも終わりを告げた。ヴァーユは胸を弾ませ、立ち上がった。
「何するの?」
「これで機械を再生してみる。そのために待ってたんだ」
ヴァーユはペンを見せて、機械を指し示す。声も自然と上擦っていた。
「ーー君達、それは関係者以外操作禁止だ……って書いてなかったっけ?」
ヴァーユの声に重なるようにして、別の声が響いてくる。突然のことでヴァーユは思わず背筋を伸ばした。
振り向くと、そこには人間の女性が立っていた。バイザーを付けていて目は見えない。その黒い肌が、燐光蟲の光に照らされて青く光っている。ふっくらと生えた縮れた髪の毛を後ろで束ねている。白衣を着こなしているあたり、いかにも研究者風の出立ちだった。
その研究者は首を傾げて独り言を呟く。
「あれ? 立ち入り禁止の標識とコーンが消えてる……」
一瞬、ヴァーユもミナギもそのハキハキとした物言いから、大人の女性と錯覚した。けれども、よくよく見てみると、ヴァーユより四つ五つ上ぐらいの、まだまだ少女の年頃のようだった。
立ちすくんだままのヴァーユに、その少女は目線を合わせるように屈んでから再度告げた。
「悪いけど、この機械はモルフォラスの生態調査と分布操作のための重要な精密機器で一般人は触っちゃダメなんだ。ごめんね」
ヴァーユはその少女が首から下げているカードを見た。「ツァイトライゼ」という文字がロゴマークと共に印字されていた。
しかし、何よりもその顔にヴァーユは目を奪われた。目はバイザーで隠れているが、見覚えがあるような気がした。
ーーそうだ。さっき見えた映像の女の子。もしかして。
頭の中で思い浮かんだイメージと目の前にある顔は、なんだか似ているように思えた。それを初めて会った女性の前で言葉に出そうか出すまいか逡巡していたところに、また別の気配が横入りしてきてしまう。
その少女の後に続くように、ぞろぞろと他の研究員達が現れていた。他の研究員はそれぞれ別の獣の姿をしていたが、いずれも制服らしい白衣を着ていた。
「カイム主任、霧の発生原因はやはり故障ですか?」
「ううん。この子達が触っちゃっただけみたい」
「それなら良かった。巨大モニターの修理だけでも面倒だというのに、アークレードルまでとなると、しばらく家に帰れないですからね」
「じゃあ、行きましょうか。ああ、A班はここのメンテついでに隔離用の標識とコーンを再設置忘れないように」
そう言うと、ぞろぞろと研究員達は二手に分かれて、作業に取り掛かり始めた。
「戻ろっか」
ミナギはヴァーユの背中をぽんと叩いた。ヴァーユは物欲しそうな目で研究員達の様子を見守っていたが、ミナギにぐりぐりと肩を押されて、やっと戻ることを決意する。
ヴァーユは再生機からCDを取り出して、バッグにしまう。先に背中を見せて街へと歩いていくミナギの姿を見つめて、ヴァーユは先のやりとりを繰り返す。
ーーでも、それでも、俺はいつまでも好きな曲をリピートしていたいな。
その言葉は喉奥に隠したまま、ヴァーユは歩き出した。




