第49話 カエルの子はカエルじゃない
木のレールを伝って、ミナギは行き止まりの広場を抜けた。
レールは建物を越えた先の通りに通じていた。レールの端は路面に到達し、そこで根を張っていた。レールを降り切ると、複数の警備員と白ギツネがバイクを路肩に止めて待機しているのが見えた。側にいた白ギツネがこのレール状の木の成長と退行を操っていたらしい。彼女が再び尻尾を木に触れさせると、木は大きな音を立てながら縮小していき、やがて小さな芽になった。
「こちらです」
白ギツネは芽を摘んで腕に巻くと、待機していた他の警備員のバイクに飛び乗った。ミナギは先導に従って、第二保管庫の方へ向かった。
向かっている最中もミナギはあの広場の様子が気にかかった。
「犯人は僕が対処する。ミナギさんは安心して、案内通り第二保管庫に向かってくれればいい」
強盗からの逃走中、シエルが耳に翳してくれた端末越しにメドウはそう言ったが、自分達を襲ったあの爆発をメドウが万にひとつ喰らう可能性も否定しきれない。
とはいえ、だかといって自分達に出来ることは何もないのだ。今はただ指示された通りに動くしかない。
保管庫にたどり着くと、こちらに気づいて警備員がぞろぞろ集まってきた。
「シエルくん、久しぶり。怪我はしてないようだね」
そう言葉をかけてきたのは、先導したバイクの後ろに乗っていた耳の大きな白ギツネだった。その隣に大きな体躯をしたスイギュウが立ち、こちらを見下す。本来なら威圧感を与える風貌ではあるものの、小柄な彼女と並んでいるお陰か、今さっき危険な目に遭っていたせいか、それほど怖がる必要性が感じられなかった。
何よりもスイギュウの尻尾の先がめらめらと燃えていて、ミナギはそれをつい目で追ってしまう。熱がる素振りを全く見せないのも不可思議だった。白ギツネの方も手足に巻いたツタが時折生きているように動くもので、ミナギは首を傾げた。
シエルは彼女の言葉にたじろぎながらも「お、お久しぶりです! 見ての通り、全員ご無事にお届けしました」と胸を張った。
「届けたのはミナギだろ」
ヴァーユは人差し指でシエルのお腹を小突くと、シエルは更におろおろと慌てた。勢い任せに同僚の子に見栄を張るシエルの姿がミナギ達には何だか新鮮だった。
それからメルとカガリ2名の管理委員から事件についての聴取を受けた。メルはテキパキと必要事項を聞いては、事件被害者のヴァーユを慮る言葉をかけるのも忘れなかった。見た目通り、隣にいたカガリの方が先輩らしく、基本的にはメルに任せているようだったが、時折聴取に不足があると見るやメルにアドバイスをするか、ミナギ達に直接質問をかけてきた。
20分ほどで聴取を終えると、スティールが声をかけてきた。
「災難でしたね、ミナギさん」
ほっと胸を撫で下ろす。それからいつものように髭を撫でた。
「本当。でも、みんな無事で何より」
ミナギは屈託のない笑みを向けた。
「この子からも聞きました。そのヴァーユくんが励まして、逃げる時も強盗を引きつけてくれたと……」
この子、というのがどの子を指すのか、ミナギは一瞬視線の送り先に迷う。しかし、スティールがその手を置いてのはすぐ側にいるパンダの姿をした子供だった。バイジンという名前のその子の周りに、先ほどのヤンとファンジンも集まってきている。
ということは、三毛猫のスティールが今まで探していた連れとは、このパンダのことを指すらしい。だが、納得と同時に違和感も湧き上がる。
ーーパンダと猫が親子?
スティールよりもやや背丈は大きいその子は、口を開くとヴァーユにお礼を告げた。
「ヴァーユ、ありがとうね」
「別に。あいつら、最終的に俺のペンを狙ってたし、いずれにせよ俺が引きつけるしかなかっただけだよ」
ヴァーユが謙遜とも照れ隠しともつかぬ言葉を返す。
「でもおかげで、父さんと無事に会えたよ。それにいい画も沢山撮れたし」
バイジンはそう言うと、カメラとモニターを誇らしげに掲げた。
それを見かねてスティールはバイジンを咎めた。
「全く、こんな危険な状況でも遊んでいたのかい」
「ちーがーう! 遊びじゃないよ、私達は真剣なの。締め切りだって間近で……」
「元はと言えば、バイジンがヴァーユにサインをねだらなかったらこんなに難航しなかったんだけどなー」
近くにいた三毛猫のヤンが皮肉を飛ばす。
それを聞いてスティールは更に呆れて語気を強めたようだった。
「バイジン……みんなに迷惑をかけたらすることは何だい?」
スティールは口角を上げて目には穏やかな笑みを湛えているが、そのせいでかえって彼の内なる怒りが強調される。バイジンは「ごめんなさい」と情けなく叫んだ。
ミナギはその様子を笑って眺めていた。
ふと隣のヴァーユを見ると、その目は何だか遠くを見据えているようだった。間近で起こっているバイジンとスティールのやり取りは、俯瞰してみればなんて事のない親子の戯れで、どこにだってありふれている。けれども、ヴァーユの目つきは、さも物珍しげで、まるで遠くの舞台上にいるスターに憧れる観客のそれのようにも思える。その目でただじっと見ている。
ミナギはヴァーユが考えていることにすぐ思い当たることがあって、口に出してみる。
「パンダと猫が親子だなんて、たしかに驚くよね」
「え? あ、うん」
だが、それはどうやら正鵠を射るものではなかったらしい。応じたあと、やはりヴァーユはぼんやりとバイジン達を眺めるばかりだった。
「見た目が違えど親子。それはこのハートバースでは珍しいことではありません」
シエルが釈然としない様子でいるミナギに説明する。
「まぁ、それはよくよく考えても私達の世界でも一緒か。家庭の事情は人それぞれだしね」
ミナギは自分で言って納得しかける。というのも、彼女もまた母親の再婚を経験していた。中学生に入るか入らないかという頃、母親が再婚したことでミナギの周辺は何もかもが変化していった。
あの頃に軽く思いを馳せてみるが、シエルからは「いえ」とあっさり否定の言葉が返される。
「ミナギ様の世界とは異なり、我々ハートバースの住人は親から子が生まれるわけではありませんから」
シエルの言葉には極めて不可解で異物めいた響きがあった。子は親から生まれるものだ。親が存在しなければ、すなわち子は存在し得ない。たとえ孤児であろうとかつては必ず人の腹から生み出されたことに変わりはない。それは、どれだけの過ちが蔓延るこの世界においても、誰も否定することのできない理のひとつだった。そのはずだ。
「それってどういうこと?」
眉間に皺を寄せて、バイクの上に乗ったままのシエルに聞き返す。
シエルはこう続けた。
「我々はみな、森から生まれるのです」




