第47話 銀幕の裏側で⑲<SIDE: ミナギ&ヴァーユ&メドウ>
後方で銃声が鳴ったと思えば、すぐ側の地面で石を砕く音が鳴る。バックミラーにこちらを追う二台のバイクが映っている。
「一体! 何が! どうなって! 一体! どうなってるの!?」
エンジンの振動、風を切る音、街中のスピーカーの反響、そして後ろから迫り来る追手の気配すべてに打ち勝つくらい大きな声でミナギは後ろの同乗者に語りかける。
「あいつらは強盗! 俺たちは逃げてんの!」
周囲が猛スピードで流れていく初めての景色に加えて、底から伝わってくる振動のせいで思うように口が動かないが、ヴァーユは単刀直入に今の危機的状況をなんとか伝える。
「詳しくは後で説明してもらうとして、とにかく了解!」
ミナギはいきんだ声を発しながら、赤信号の横断歩道を横断する。それからハンドルを右に切って重心もそちらにずらした。しがみついていたヴァーユの手と指がいっそうミナギの体に食い込む。ヴァーユの肩に乗るシエルも風に煽られ、「わわわ」と声を震わせる。
街中はさきほどの避難指示のおかげで人通りは殆どない。それを確認すると、ミナギは「しっかり掴まれよ」と背中越しに語りかけ、また一段とアクセルを開いた。
ぐん、とバイクが前へと突き上げる。いっそう強くすれ違う風が髪の毛を乱し、そのうちのいくつかが乱暴に顔をくすぐった。スピードが上がるにつれ、エンジン気筒から放たれる吐息も荒っぽくなり、全身を揺らす。
バックミラーに映る追手の姿は小さくなっていくのに、すれ違う風が肌を激しく撫でる度、ヴァーユは自然と歯を食いしばる。
「ちょっと……早すぎない?」
「これでも抑えてる方だけど」
言い終えるよりも前に、後ろから黒い影が飛びかかり、一瞬だけバイクに到達する。咄嗟にミナギはまた一段とアクセルを開く。それから寸分違わず爆発音が鳴り、バックミラーに露天が吹っ飛ぶ様が映り込む。
恐る恐る振り返ると、追手もまた引き剥がされまいと速度を上げ、好機と見るや火薬を飛ばしてこちらに狙いを定めていた。
「直線移動、は、マズイ、ね」
がたがたと車体の揺れる合間にそう言いながら、ミナギはバイクのスピードを緩め始める。
「追いつかれちゃいますよ!」というシエルの声をよそに、ミナギはスピードを緩め終えると、バイクの車体を斜めらせる。地面を蹴ってすぐさま手首を捻ってアクセルを吹かした。車体はその場で半円を描いた後、獲物を見つけたかのように別の方向に直進し始めた。
ヴァーユは息を呑む。強引に体を引っ張られるようなスピード感が恐いからというのもある。だがそれよりも、忙しなく騒がしいチェイスシーンでヴァーユが見たミナギの横顔が、なんだかいつもより凛々しく、まるで別人のように思えたせいでもあった。
タイヤに向けて放った弾丸は間一髪のところで地面に当たり、ターゲットの急な方向転換にニトロは舌打ちして、後を追った。
不運にも、ミナギが入った道はしばらく一直線だった。横移動で敵からの追跡を逃れることはできない。
好機に気付き、アセトンは片手でバイクの舵を取りながら、もう一方の銃を持つ手で狙いを定めた。
まずい。背後から嫌な気配を感じ取り、ヴァーユの身体が強張る。気づかないうち、ミナギの着ているコートに強い皺ができるくらいに強く抱きしめていた。だが、そのアクションに対するミナギの言葉に、ヴァーユとシエルは耳を疑った。
「脱がすの手伝って」
「はぁー?」
超高速下における脱衣発言に、思わず素っ頓狂な声があがる。けれども、ミナギはいたって真剣に後を続けた。
「コートを! 早く!」
ヴァーユに助けてもらいながらボタンを外し紐を解くと、ミナギは勢いよくトレンチコートを後ろに放った。
風に乗ったコートはヒステリックを起こした生き物のように空中を舞った。そしてそれは狙いを定めていたアセトンの顔に覆い被さった。
アセトンは突然の視界不良にパニックを起こし、バイクを減速させる。だが、目が見えない中でのハンドルさばきは、当人の意に反して不安定で、文字通り向こうみずな方へと突き進む。結果、片側の壁にバイクの半身を擦り付け、徐々に推進力を失ったバイクから転げ落ちた。
制御が効かなくなったアセトンは、一か八かで片手の銃を発砲する。弾丸は明後日の方向へ飛んでいき、遠くにあった巨大モニターに命中した。避難勧告のニュースを流し続けているモニターの下部に小さなヒビが生じる。一瞬画面全体が乱れたものの、すぐに平静を取り戻したようだった。
一部始終を見ていたニトロは舌打ちを脱落者に投げてから、一本道を抜けたあたりで再びターンしているミナギの姿を睨んだ。
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「ほらほら、広場を通ったよ」
バイジンの周りにメドウ達が集まっている。彼女の持つモニターには、街の景色が映っている。そして今しがたそこに現在街中をバイクで爆走しているミナギ、ヴァーユ、シエルの姿が映り込んだ。バイジン達が自主制作映画の撮影ために街中の至る所に仕掛けたカメラから送られてくる映像だった。
「早く応援を!」
カガリが急いた様子で近くの警備員に指示を出す。しかしメドウは承伏しかねるようで。動き出そうとする警備員を呼び止めた。
「いや、通りでの戦闘行為はなるべく避けたい。敵は爆発性の攻撃手段を有している。市街地で抵抗された際のリスクが大きすぎる」
「市民の財産・生命に深刻な被害が及ぶのも当然憂慮すべき事態ですからね」
うさぎの警備員が同調する。
「しかしこのまま悠長に見守るわけにもいきません。迅速かつ安全に実行できる救出策があるでしょうか……」
メルの丁寧な言葉が早口で放流されると、危機感がことさら煽られる気がする。
「どこか街中に袋小路がないか、そこに誘導できないか、それをすぐには調べられるかな?」
メドウが警備員に尋ねてみる。
「あの」
うさぎの警備員が唸っているところに、探るような小さな声が乗っかった。側で話を聞いていたバイジンが手を挙げていた。
「それなら丁度いい場所、知ってるよ」
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誰もいないことを確認してから、ミナギは公園を突っ切ることにした。中央に置かれた山を模した遊具をぐるりと回り、追手からの攻撃を避ける。
園内には、本来こだますべき子供の声ではなく、爆音が響き渡る。
公園に敷かれた砂利を跳ね上げてタイヤはなおも高速回転を続ける。
つき離しては、詰め寄られる。一進一退の攻防が長時間に渡って続いた結果、ミナギとニトロの思考は奇妙にも一致する。
ーーここまで手こずらされるとはね。
「脱帽するよ! 君のドライビングテクニックには」
後ろから賛美の言葉が飛んでくる。それは相手への敬意という側面もあるかもしれないが、どちらかといえば敬意を表する行為を示すことで自身の余裕を誇示する振る舞いに映る。
「それに免じてひとつ互恵的な提案がある! 私が望むのは、今となってはただその少年の持っているペンだけだ! それだけ大人しく渡してもらえれば、私も大人しく引き下がろうじゃないか!」
尊大さを包み隠さない大声が風の流れに逆らってミナギとヴァーユの耳に到達する。ヴァーユは何も言わずに、ただミナギを掴む手に僅かな力を込めた。
「ごめんなさい! 所有者がそれを望んでないみたい! それにーー」
ミナギは細い路地に向かってアクセルを開放する。バイクの横幅は路地をぎりぎり通れるくらいだ。肩を窄め、全身の姿勢を正した。
「子供に手を出すクソ野郎の言うことなんか誰が信用するか!」
威勢のいいミナギの声は細い路地の中へと飲まれていった。
ニトロは少し訝しむ。今回の計画を企てていた時に、この街の土地勘は把握するように努めた。この路地は奥へ入ったところで行き止まりのはずだ。
行き止まりの袋小路へと潜り込んだネズミを捕らえて、あのレアものを手に入れることができる。
ニトロも体勢を正して細い路地を駆け抜けた。
路地の八分目まで到達したところで果てが見えた。案の定、路地奥には四角形の辛うじて広場と言えるスペースが広がっているばかりだった。
予想は的中した。ここは袋小路だ。
しかし奇妙だ。その中央に木で出来た滑り台のような降りていて、女と子供を乗せたバイクはそこを駆け上がっていく。すると木は役割を終えたと言わんばかりに収縮を開始する。木は一旦、建物の上へ消えた。
だがすぐさま思い出したように木々が再展開する。今度は木の根が急成長を遂げ、網のように重なり、広場の上空に蓋をし、周囲の壁を覆った。
木漏れ日と言うべきか、天井となった木々の隙間から僅かに漏れてくるオレンジ色の光が目に当たり、ニトロは状況を理解する。気配がして即座に後ろを振り返ると、そこには紅い着物を着た背の高い人間が立っていた。
「残念ながらーーここでゲームオーバーだ」




