第42話 銀幕の裏側で⑭<SIDE: ヴァーユ&シャド>
「粉塵爆発ゥ?」
目をまん丸に開いたシャドが、ヴァーユに言われた通り、粉砂糖の袋を破きながら、大袈裟に首を傾げた。
「可燃性の粉が空気中に舞った状態で火をつけると、火気が粉と粉を伝って燃焼が一気に広がる現象のこと。微細な粉塵は体積に対して空気に触れる表面積が大きいから、酸素と結びつきやすいんだ」
ヴァーユの説明が終わるのを待たずしてシャドは大きなため息を吐く。
「ピンと来ねえが、すげえじゃねえか。あの野郎のイカサマを誘ってドカンって寸法か」
「それ知ってる! 映画とか漫画とかでよくやってるやつでしょ。でも、あんなの誇張なんじゃないの?」
バイジンが疑問を呈する。彼女は保管棚から持ってきた扇風機と掃除機のプラグをコンセントに差し込んでいるところだった。どちらも部屋中に粉を撒き散らすのに役立ちそうだと、ここへ来る途中に見繕ったのだ。
「バイジンの言う通り。単に粉を空気中に撒いたところで、そうそう上手くはいかない。粉塵は一定の密度を保たないけいけないし、密になり過ぎても燃え広がったりはしない。条件が揃ったところで、着火したところで爆発ってほどの規模にはなりづらいのが実際のところだろうね。でも、それだけで十分さ」
「せいぜい気を惹きつける程度の延焼を起こせればいい、そういうことでしょうか。ヴァーユ様」
ヴァーユはシャドをじっと見つめて話を続けた。この作戦のキーウーマンは彼女なのだ。
「俺達がここから抜け出すのに必要なことって何だと思う?」
「わかりきったこと聞くなよ、坊。まずはあいつらをぶっ飛ばして気絶なりさせることだろ」
シャドの威勢のいい回答にヴァーユは静かに首を振った。
「それが出来ればベストかもね。でも、そこまでやる必要はない。さっき使ってたあんたの技があれば」
「俺の技ぁ?」
シャドは義足をブンブン振った。
「そう、その磁気を操る技。それを使ってさっきはあの強盗を棚に張り付けたんだろ? だったら、それと同じことすればいいだけだ。予め壁を磁化して、あいつらにタッチしたら、勝負はおしまいだろ。鬼ごっこに例えれば、あいつらは触れられたら終わりの逃げ役。それでシャドーーあんたが鬼だ」
「あ」
ヴァーユに言われてから、シャドはようやく自分のもてる勝機を理解した。これまで得体の知れない自らの力の使い方にそこまで考える余裕がなかったとも言える。
「けど、その逃げ役が銃だの火薬だの使ってくる。だから、粉塵爆発であいつらの注意を一瞬でも逸らしてーー」
「ーー俺がタッチするってか。合点承知だ! ようし、存分に撒き散らすぜ!」
扇風機と掃除機で粉が舞い上がっているところへ、シャドははしゃいでダイブする。自分の体が白っぽくなるのも構わず、シャドは全身を使って飛び回った。
「あのぅ、ワタクシは何か出来ることはないのでしょうか」
シエルが申し訳なさそうにヴァーユに尋ねてきた。
「シエルには囮役をやってもらおうよ」
横からバイジンが提案する。
「えぇ!?」
「ただしこっちのシエル、ね」
そう言って、彼女はバッグから撮影用に改造したラジコンカーとシエルにそっくりな人形を取り出した。
部屋の中が白み、霞がかかったようになった。
作戦決行の頃合いになっても、シャドははしゃぎ続けていたので、ヴァーユは「遊びじゃないんだ、早く待機しろ」と注意した。
「わーったよ!」
水を差されたことに少し腹を立てて、シャドはテーブルの側面を蹴った。その衝撃で、テーブルに備え付けられた棚が開いて中の物が床に溢れ出した。
「あん? なんじゃこりゃ」
シャドは中から出てきた缶を見つめた。プルタブのついていないところを見るに、ジュースの類ではないらしい。かといって端は缶切りで開けられるような平たい形状でもない。それが十数本は床に散らばっていた。先の方にはキャップが付いていて、いくつかの缶はそれが外れて何かを注入するような形状が露出していた。
「早くしてください!」
今度はシエルから急かされる。不服ながらシャドはその場を離れることにした。缶の側面に描かれた炎のマークに、斜め線の引かれた丸を重ねたマークが何を意味するのか考えるのをやめて。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「伏せろっ!」
テーブルの影で忍んでいたシャドが、凄まじい速度で飛びかかり、ヴァーユを押し倒した。
部屋の中央で起きた燃焼は、どうやら強盗の1人が発砲した際に生じたマズルフラッシュが火種となって起きたようだった。銃口の先が光った直後に周囲では火花が瞬き、火花は宙に舞う砂糖と小麦粉の微粒子に引火し、また別の火花に広まっていく。そうした連鎖が一瞬にして起きた結果、赤い葉を身につけた大樹が突如として鉄器の先で芽吹いたような光景が広がった。
ここまでは、ヴァーユ達にとって想定の範囲内だった。
けれども、燃焼反応はそれだけに留まらなかった。赤い大樹はその高熱の葉を周囲に派手やかに垂らし、側にいたジャッカルに到達した。毛先に舞い降りた火は先ほど浴びた調味料を借りて勢いをさらに増す。増すほどに、ジャッカルの顔は強ばり、大仰に手を振るい、その場を走り回った。すると何かを踏みつけてしまったのか、足を取られた彼は、燃えた上半身を床へと真っ逆さまに落としていった。
カラン。そんな金属と金属がぶつかり合う音が、悲鳴の間を縫い不吉な予感と共にシャドの耳元まで達してきた。
危険を察知し、無防備に立っていたヴァーユに飛びかかったのはそれからのことだった。
部屋の中央で、炎が膨れ上がり、瞬く間に破裂した。炎色の閃光が壁を照らし、テーブルの下にうずくまっていても、肌に感じられる気温が一気に上昇する。無音と錯覚したくなるほどに大きな音は、跳ね飛ばされたジャッカルやリカオンの驚愕を掻き消し、天へと跳ねた。周囲の調理器具がまるで天にでも落ちていくかのように舞い上がり、爆風と共に天窓を突き破る。直後、ガラスの破片が雨のように室内に降り注いだ。
彼らが持っていた銃器や、テーブルに置いてあったカセットコンロ、フライパン、鍋、ミキサー、皿、ボウル、小瓶の数々、または壁沿いの冷蔵庫の扉、電子レンジ、果てはシンクにあったスポンジ、蛇口、三角コーナーのラック、これら調理場の森羅万象とも言える物物は四方の壁にも体当たりを遂げた。
さっきまで小麦粉と粉砂糖が満ち仄かな霞に包まれていた室内は、今や香ばしい匂いで満ち溢れていた。天井から遅れて落ちてくるガラスの音が響き渡るようになってから、ヴァーユはやっとの思いでテーブルから身を出し、辺りを見回した。
中央付近に配置されていたテーブルは大破し、入り口の方に瓦礫の山が跳ね飛んだテーブルを中心に瓦礫の山が築かれている。さっきまで部屋の中央に立っていた2人の強盗は力なく壁にもたれかかっていた。
倒れている位置から察するに、どうやら爆発が起こる前に、受け身を取らんとしつつ、テーブルの角を曲がろうとしたようだった。致命傷は避けながらも、今も毛先でちょろちょろと火が揺れていた。
ヴァーユは駆け寄ると、テーブルクロスで彼らの体についていた火を払った。
「おいおい、そんな奴ら助ける義理ねーぜ」
シャドは脅すような口調でヴァーユに言った。だが、彼の背中から発された言葉を聞いて、再度返す言葉は思い浮かばなかった。
「だからって……死んじゃダメだ」
強盗達についた火は無事に鎮火した。毛は焦げているし、おそらく骨折していてまともに動けそうにはない。けれども応急処置をしている暇もなかった。今の爆発で他の強盗達が駆け寄ってくるかも知れない。
「どうしてあそこまで燃え広がったのでしょう……?」
シエルが目を皿のように丸くし、茫然自失といった面持ちでテーブルの上に立っていた。ヴァーユも一緒に異常現象の根本を辿った。すると、数本のガスボンベが転がっているのがすぐさま目についた。
「ハハッ。にしてもよお、粉塵爆発ってのは聞いてたよりすげえんだなー」
さっきまでの危機感をけろりと忘れたかのように、シャドが能天気な声をあげる。
「お前のせいかよ!」
ヴァーユ、シエル、バイジンの揃った叫びが、室内にこだまし、割れた天窓を抜けていった。




