第38話 銀幕の裏側で⑩<SIDE: ヴァーユ>
「お前ら、狙いは金庫室だろ? 残念ながら俺たちをいくら脅しても無駄だ。ロックの解除には、第一保管庫への申請と承認。それから責任者の生体認証があってようやくあの鉄板を開けられるんだからな」
止血するため足を布切れで抑えたまま、コアラの委員がジャガーに告げた。それは追い詰められた獲物なりの、せめてもの抵抗のように見える。
だが、背中にかけられたその挑発を当のジャガーは意に介さない。
「ご忠告感謝するよ。しかし敵地の調査もせずにノコノコやってくるほど私達も愚かじゃないのでね」
「何考えてやがる」
扉の向こうからハイエナの姿をした仲間がやって来た。二足立ちの獣がこちらをジロリと見つめてくる。どちらもそれぞれハンドガンとライフルを携えているせいか、バイジンの肩はよりひどく震えるようになった。もたれかかっている壁伝いに怯えが伝わってくるほどだった。
「リーダー、屋外の音はいつでも拾えます」
ハイエナがトランシーバーを掲げてボタンを押すと、今も外で上映されている映画の音が少々のノイズ混じりに聞こえてくる。音質に加えてその安っぽい見てくれから察するに、どうやらそれはオモチャのトランシーバーらしい。微弱な電波しか発しないためにジャマーを発する保管庫でも外部の偵察目的なら問題ないようだった。
トランシーバーのチャンネルを操作して、ジャガーは他の階にいる仲間と話し始めた。
「こちらニトロだ。逃げたネズミ達は捕えた。屋外の音も拾える。そろそろ例のシーンになるが、準備はできているかな?」
『こちらオクトー。金庫への爆弾取り付け完了。いつでも大丈夫です。爆破タイミングが来たら合図を頼みます』
やりとりを聞いていたコアラが大袈裟に吹き出す。だがそれは足の痛みに耐えながらの強がりにも映る。
「面白い冗談だな。金庫は三重の扉でロックされてんだ。それを破るには、最低でも3発はデカイ音鳴らす羽目になる。そうなりゃ、せっかくネズミを捕らえたってのに、結局お前らが袋のネズミじゃねえか」
「普通ならそうだろうね。しかし状況は少しだけ特殊だ」
「はぁ?」
「ま、指を咥えて見ていることだ」
横でやりとりを眺めていたヴァーユは、ジャガーの余裕に満ちた態度に苛立ちと不信感を募らせた。この沢山の住民がいる街中で爆発音を鳴らせば、コアラの言う通りすぐに応援がかけつけるだろう。そのことを知っていながら爆破という強硬手段を選ぶからには、何か逃亡の切り札を隠し持っているのだろうかと思考を巡らせてみる。しかし、一向に答えが見つからない。
ジャガーは「こいつらの見張りは任せた」とハイエナに言って、地下の金庫室へと向かっていった。
それから暫く経ったところで、ハイエナがトランシーバーを構えた。
「リーダー、時間です! カウントはじめます。10、9ーー」
ハイエナは真剣な表情でトランシーバーに声を吹き込んでいる。
10から始まったカウントが0に近づいて行くにつれて、その真剣味は声のボリュームと共に増大していく。「3、2、1」とカウントするハイエナの口から勢いよく唾が飛ぶ。
ついにはカウントが切れ、「0! 今です!」とハイエナは叫んだ。学校の教室ほど広い物置きにハイエナの声が耳障りに響き渡る。
しかしその直後、それ以上に大きな爆発音が、ヴァーユ達の脚元から伝播してきた。体育座りしていたヴァーユの足と尻の裏から激しい震動が込み上げてくる。いつか座った事のあるマッサージチェアや遊園地のアトラクションにも肉薄する揺れだった。
整然と並べられていた洗剤やバケツが棚から崩れ落ちていく。かたや壁に立てかけてあったモップや掃除機が倒れて床を叩く。かたやスチールロッカーの中で物が暴れ、揺れに合わせて軋んだ音をたてる。それぞれの物がそれぞれの方法で騒ぎ立てて生まれた不協和音が、ヴァーユの鼓動を高めた。
余震は10秒足らずで完全に収まったように思える。しかしそれは居合わせた者達に、出口の見えないトンネルに置き去りにされたかのような途方のない恐怖を与えるには十分すぎる時間だった。隣にいたバイジンは耳を塞いで全身を縮こまらせ、コアラの委員も傷口を揺さぶられた痛みに歯を食いしばっている。膝小僧に座っていたシエルは地震が起きている間、がっしりとヴァーユのスラックスを掴んでいた。
『第一関門突破。次の合図も頼む』
トランシーバーからジャガーの冷たい声が聞こえてくる。爆破を引き起こしたことへの動揺は、微塵も含まれていなかった。
それから、2発、3発と同規模の爆発音が続いた。3発目が終わる頃には、周囲の掃除用具は見る影もなく床に散乱していた。天井にあったはずの蛍光灯の一部は、今や無惨にも砕け散った姿で床にある。
トランシーバーを握っていたハイエナも爆発の度に、多大なストレスを感じていたらしく、額を汗で拭っていた。ここへきた時に比べて少しばかり老けて見えた。
『オールクリア。これより中を探る』
ジャガーの声だけはさっきからまるで変化がない。
この非常事態においてすら保たれるあの慇懃無礼な態度は、一体どういう状況に面したら崩れるのだろうか。ヴァーユはそんなことを考えながら、前脚を抱えた腕に力を込めた。
「どうなってやがる……」
この状況に不服を申し立てたのは、コアラの委員だった。
「第一保管庫の奴らは何してんだ」
「助け……来ないの?」
蹲ったままバイジンはコアラの委員に尋ねた。爆発から20分は経過している。けれども、強盗達に慌てた様子は全く見られない。部屋の入り口で待機しているハイエナは寧ろ一仕事を終えて安堵を取り戻しつつすらある。
それが意味するのは、外からの救援が全く来ていないということだ。
「もしかして」
ヴァーユはハイエナが手にしているトランシーバーに耳を傾けた。微かに外の音が聞こえてくるが、それは街の様子というよりも映画の音のようだった。大袈裟なフィナーレの音が聞こえてくる。それから音楽だけが延々と鳴り続く時間が訪れた。スタッフロールが流れているようだ。
「あいつら、金庫の爆発のタイミングを映画の中の爆発音と重ねたんだ」
コアラは驚くでも笑うでもなく、きょとんとしていた。
「まさかそんな」
「じゃあ他に助けが来ない理由、考えられる?」
コアラが頭を掻く。他の答えを見つけられない苛立ちと、それしか答えがないことへの躊躇いが、うめき声になって口から漏れていた。
ふと天井から何か物音がして、そちらへ顔を見上げた。爆発はとうに収まり、時折トランシーバー越しに聞こえてくる音以外は静かだった。そのせいで、上から突如降ってきた音は異質に聞こえた。
『どうなってる。目標のブツが見当たらないぞ』
トランシーバーの向こう側で困惑している様子が聞こえてきた。
「どうかしました?」
ハイエナがおずおずとトランシーバー越しに問いかける。金庫の中身に狙っていた物が見当たらなかったらしく、当惑する者の声もあれば、当惑を飛び越えて仲間に当たる者の声もあった。怒りを人一倍露わにしていたのは、さっきのジャガーだった。
『マテリアロイドを保管していたと思しきケースは見つかった。だが、中身は空だ。どうなってる?』
『俺にそんなこと聞かれましても……』
『仕方がない……他のブツを探って出るとしよう。スラリーは脱出路のトントに連絡して、そこにいる子供を連れて脱出路に向かってくれたまえ。そちらに3名向かわせた。手筈通り、すぐ逃げられるよう準備を』
「了解しました。リーダー」
通話を終えて、スラリーという名のハイエナがこちらへ近づいてきた。目の前に立ち、ヴァーユとバイジンを見下ろす。その目つきは、相手を値踏みして低く見積もっていることをまるで隠していない。
「おいお前、立て」
蹲っていたバイジンを強引に引っ張り上げようと、スラリーの腕が伸びる。
「おい、やめろ」とコアラの委員が横で叫ぼうとするよりも前に、ヴァーユの手がそこへ横槍を入れた。
手は微かに震えているが、ハイエナを見つめる緑の双眸は静かな敵意を湛えていた。
「こういう状況でそういう事をしたらどうなるか、わかってるんだろうな?」
スラリーが銃を持つ手に力を込める素振りを見せ、ヴァーユを睨み返す。しかし、最初は脅す目的でヴァーユに向けられたスラリーの視線はある一点に引きつけられていった。
胸ポケットに挿してあるガラス細工のペンをまじまじと見つめると、笑い声を上げた。
「おいおいおい、まじかよ! こいつは思いがけない幸運だ」
ヴァーユは胸ポケットにあるペンを咄嗟に覆ったが、スラリーの好奇と欲から逃れることは叶わない。
「ならちょうどいい、お前が人質だ」
鋭い爪を備えた手先がヴァーユの腕へゆっくりと伸びてくる。
「さあ、こっちへーー」
来い、とスラリーが発したところへ、突如として軋み音が重なった。
直上のダクトが痛々しい金切声を上げ、限界の訪れを訴える。何かの重みに耐えきれなくなった金具が弾け飛んだ。
「ごえっ」
ダクトの先が折れ曲がり、直下にいたスラリーの脳天に直撃する。彼は間抜けな声を上げて、その場に倒れ込んだ。
落ちたダクトの中から何か黒い影が転がり出てくるのが見えた。辺りに舞った埃煙に、ヴァーユ達は目を擦る。中にいた影は、一切の遠慮も恥じらいもない音量で濁点の混じった咳をしている。
埃が床に舞い降り、蛍光灯の光がその影の正体を明らかにした。
黄褐色の体に走る黒い縞模様、頭から尻尾の先まで鋭い四足獣のフォルム、欠けた右の前脚を補う金属製の義足、緊迫したこの状況にまるで似つかわしくない甲高い声。
「あれ。お前ら、こんなとこで何やってんだあ?」
フクロオオカミのシャドは、唖然とした表情のヴァーユとシエルを目に留めるや否や、惚けた声を上げた。




