第37話 銀幕の裏側で⑨<SIDE: ヴァーユ>
突然肩を掴まれたことで、ほとんど痙攣に近い反応を体は起こした。その勢いで跳ねるように後ろへ振り返ると、そこにいたのはロビーで自分達を応対したコアラの管理委員だった。もっとも、あの時の怠慢な表情とは打って変わって、今は息を切らし、顔の筋肉という筋肉も張り詰めている。
「お前ら無事だったか」
「そちらこそよくぞご無事で」
シエルが体を震わせて声に応じた。
「奴ら、ブルータルズだ。修理工のフリして入ってきたかと思えば、この有様だ。先に気づいて逃げられはしたが、こっちにもいやがるとはな……」
「どうしてわかったのです?」
「火薬の匂いだよ。清掃道具とか言って色々持ってきてた中に紛れ込ませてやがった。一体どんだけ派手な掃除するつもりなんだってよ」
「何が目的なんでしょう……」
「多分、金庫室だろ。あそこにゃツァイトライゼの研究資料だのマテリアロイドだの一般流通しない貴重品もふんだんにあるからなーーそんなことより、ついてこい。ここから出してやる」
ヴァーユ達はコアラの後に続いた。長くて大きな棚が並ぶ似たような景色の中、コアラは案内板に目もくれず、ずんずんと前へ進んでいった。ここで伊達に長くは働いていないということらしい。
先程バイジンに教えてもらった秘密の部屋の前にたどり着いた。棚の横の壁についた擦り跡が目印になっている。
「あ、ここ」
ヴァーユが知った風の反応を示すと、コアラの管理委員はばつの悪そうな顔をした。
「なんだ? バイジン、お前喋ったのか」
「ごめんごめん。でも、この子、遠くから来た観光客だし、平気だよ」
コアラはふんと鼻を鳴らした。コアラが力を込めて棚を横にずらすと、扉も一緒にスライドした。どうやら扉と棚は組み付いているようで、中で扉を閉じると棚はきちんと元の位置に戻るようになっているらしかった。この部屋を隠した張本人は、よほど自分の職務怠慢をバラしたくはなかったようだ。
部屋の中は、保管庫の一室とは思えない様子だった。ヴァーユはこの保管庫全体を図書館みたいだと思ったが、それとも違ってここはさながら調理場のような見た目をしている。黒い長方形のテーブルが規則正しく並び、その上にカセットコンロやフライパンといった調理機材が並べてある。小麦粉や砂糖を詰めた大きな紙袋が壁際に置かれていて、周囲の空気は粉っぽかった。2階層なので上は天窓になっていて、電灯のついていない室内を昏れの光が寂しげに照らしている。
「ジロジロ見てるんじゃない。先行くぞ」
「あのぅ、先に連絡しようと思うのですが」
シエルが端末を取り出して、震えた手つきでボタンを押している。コアラは頭を横に振って言った。
「無理だ。ここでは電波は届かない。施設内部はツァイトライゼが使っている精密機器があるから、一般客に変なことされないようジャマー飛ばしてるんだ。外に連絡するなら内線を使うしかないってこった」
「そ、そんなぁ」
部屋の向かい側に扉があった。コアラはゆっくりと扉を引いて外の様子を覗き見た。
「内線機器はこの先、出口の近くにも備え付けてある。そこから助けを呼ぶぞ」
外が安全であることを確認すると、4人は急ぎ足で部屋を抜けた。すると、今度もまた棚が並んでいた。それらをすり抜けると、傍に備え付けのカフェコーナーがあった。ここで働いている職員や保管庫を巡って疲れた一般客にとっての憩いの場所ということらしい。カフェから目の届く場所に子供達が遊ぶためのキッズスペースが設けられていて、遺失物を流用したと思しき遊具や玩具がフカフカの地面の上に転がっている。
その空間を観察しているうちに、ヴァーユの頭の中では、さっきの調理場の存在がある文脈を持ち始めた。
「秘密の部屋ってそういうことか」
「うん。レストランコーナーが昔にあった時の名残を使い回してたってわけ」
「保管する物が増えすぎたもんで、とうの昔に潰れちまったんだけどな。それをまぁ真面目で勤勉な模範委員たる俺が引き受けたって寸法さ。こっそりとな。もう誰にも話すなよ」
コアラはひそひそ声で話した。
「よもやこんな形で役立つとは、運気はワタクシ達に向いているのでしょうか」
ヴァーユが前に向かって歩く最中、その肩に乗ったシエルはメインホールの方からブルータルズがやってこないかを気にしているようでもあったが、秘密の部屋以外には抜け穴らしい抜け穴はない。存在を気づかれていないルートを経由したおかげで、さっきメインホールの方へと一般客を追い詰めていた輩と入れ違いになる形で、ヴァーユ達はここへと到達したようだった。
「塞がれちゃってるね」
本来ならカフェの屋外スペースに繋がる自動ドアを、冷たい灰色のシャッターが覆っている。方角から察するに、本来ならばここからもあの巨大モニターを一望することができたはずだ。
「だが、こっちは塞がっていない」
コアラが指さした先は、壁に備え付けられた四角い引き戸だった。アルミ製のそれには機械油が付着していて、少し不潔な光沢を放っていた。
「これってもしかして」
「そう、ダストシュートさ」
「おえ」
バイジンが露骨に眉に皺を寄せた。目を覆う大きな黒の斑点模様もそれに釣られて歪んだ。
「うだうだ言うな。ここが頼みの綱だ。こっから地下駐車場に出てそこから外へ出ろ。そんでお家に帰って大人しく保護者に抱き着いとけ」
「委員さんは?」
「俺は顔を見られてる。それに曲がりなりにもここで働いてるんだ。大事なお客様と同僚を置いていくわけにはいかん」
そう言うと、内線機器の方へ歩いていった。
「お先にどうぞ」
バイジンが譲る仕草をしたので、先へ行くことにした。
空いた引き戸の中は銀色のスロープが奥まで伸びていた。状況が状況なだけに少し息苦しい滑り台と思えば、案外抵抗はない。
スピードが出すぎないよう両側の壁に手を付けつつ、慎重に降っていった。スロープを出て駐車場にたどり着くと、駐車スペースの枠線内で主人の帰りを待っている車がいくらかあった。
だが、車が通行するための出入り口はこれまたシャッターで塞いである。どこから脱出すべきか視線を泳がせた。やがて視線は看守室の隣に止まった。外界と駐車場を隔てる格子があるが、その上部には踏み台を用意すれば抜けられそうな穴が空いていた。
バイジンが降りてきたらすぐにそこから出ようと考えた。しかし、彼女は一向に降りてくる気配がないまま、少し間が空いた。代わりに、聞いたことのない誰かの怒鳴り声がダストシュートから漏れ聞こえてきた。
それから銃声が轟いて、バイジンの悲鳴が細い通路を通ってヴァーユの耳に到達した。音は籠っているが、それゆえ直接見聞きする以上に事の重大さが鮮烈に伝えられるような気がした。どくん、と心臓が脈打つのが耳の奥から聞こえてくる。
ダストシュートからより鮮明な音が響いてくる。どうやら銃声を鳴らした張本人のようだった。張り裂けそうな勢いで見えないこちら側に向かって叫びかけてくる。
「聞こえたかい!? 良い子なら戻ってくるんだ! さもなくば、君のお友達はまとめてーー」
怒鳴っている声を、また別の叫び声が遮った。声の主はコアラの委員だった。
「聞こえてたとしても脅しに乗るんじゃない! とっとと行けっ」
また銃声が鳴った。
気づけば体が動いていた。両手を使い、ダストシュートを逆流するようにして来た道を戻った。光が見えた先へ勢いよく体を乗り出した。
「なんで戻って……」
バイジンが涙ぐみながら、ガタガタと震えていた。その奥でコアラの委員が顔を歪め、苦しそうに呻きながら倒れていた。その足は赤黒く染まっていた。
ヴァーユは両手を挙げながら、ゆっくりと声の主の姿を捉えた。コアラが倒れ込んでいる近くで、二足立ちで大柄のジャガーが長い銃身を構えて立っていた。
「人質の中にさっき見た顔がいないと思って探しに来てみれば、危ない危ない」
ジャガーは満足そうな笑みを浮かべると「聞き分けの良い子だ」と言って、銃の先を指揮棒に見立てて自分についてくるよう示した。
連れて来られた先は、高級品エリアの傍に併設された掃除用具の物置きだった。
「じゃあ、みんな大人しく待ってなさい。わかったね?」
喉に火傷でも負っているのではないかと思うくらい低くて刺々しいその声は、まるで保育士が子供をあやすかのような穏やかな口調でヴァーユ達に命じた。




