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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第六章 銀幕の裏側で
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第36話 銀幕の裏側で⑧<SIDE: メドウ>

 今日は、最高の日になるはずだった。忌まわしき管理委員の懐に潜り込んで、奴らのが抱えてるマテリアロイドを盗んで、トンズラをかく。奴らの武器で戦力増強できるわ、奴らの苦悶の表情を浮かべて悦に浸れるわの一石二鳥。しかし、それが一気にオジャンになったのだ。


 そのせいで、メインホールを任されていた見張り役の1人、オクトーはたいそう腹を立てていた。本来ならここで得たマテリアロイドは自分にあてがわれることになっていたからだ。


 盗みに入って目的が果たせないだけならまだしも、安全に帰路につけるかどうかもわからない。そんな曇天模様の腹づもりに追い討ちをかけるように、新入りのヘキソーが不安を煽るようなことばかり聞いてくる。


「ちっとは空気読めよ」と小突いても、その言葉は耳の穴を抜けてしまうみたいで、次の瞬間にはまた疑問を呈してくる。


「もしかしてリーダー、ガキ共にやられちまったんじゃ……」


 苛立ちが何度目かの頂点に達したところで、再び怒鳴り散らした。鈍感な奴はこれだから困る。こんな奴を管理しなきゃいけない立場から自分はとっととオサラバしたいのだ。そう考えたところで、昇格のためのマテリアロイドがもう無いことを思い出し、また最初のような苛立ちが襲いかかってくる。


「あのぅ、オクトーさん」


 金庫室への入り口を眺めながら負の感情の連鎖に苛立っていたところ、また飽きもせずヘキソーが話しかけてくる。


「だ、か、ら! なんだよ!」


「これ、なんなんでしょう……」


 そう言って指さしたのは、床の上だった。カーペットの上に何か湿ったものが這ったような跡がある。それが中央に寄せ集められた人質の周囲をぐるりと取り囲んでいた。天窓から降り注ぐオレンジ色の陽光が、その円形の跡を際立たせている。


 さっきまではこんなもの無かったはずだ。


 その時、日向の中にある影がチラリと動いた。人影のようだった。


 気づいた時には、もう時すでに遅し。


 上空から炎のついた松明が落ちてきた。円形の濡れ跡に着火し、みるみるうちに炎が燃え広がった。炎の壁は人質を囲い、その勢いを増す。すると、ついには太い火柱と見紛うほどに燃え上がっていた。


 それから後追いであの濡れ跡がガソリンだったことに気づいた。


 ーーしかし、なぜ?


 数メートルほど離れていてもその灼熱の温度が伝わってくる。ろくに手入れしていない毛先に着火するのではないかと気が気では無かった。


 炎の中から人質達の悲鳴が聞こえてくる。離れている自分達でさえ炎の熱さに怯えているのだ。中にいる人質に直ちに生命の危険があるのは想像に難くなかった。


 その喧しい悲鳴の音に正気を取り戻したオクトーは、他の3人に向かって叫んだ。


「何ボサっとしてんだ! 貴重な人質だぞ!」


「オクトーさん」


「お前っ! こんな時にまで!」


「それ……なんですか?」


「は?」


 ヘキソーの指差す先、つまりは足元に目をやると、そこには水の塊があった。水塊は本来ならとうに崩壊して床のカーペットに染み込んでいるはずだが、その気配を微塵も感じさせず、形を安定させたままそこにあった。


 目を凝らすと、水塊が何かを包んでいることに気づく。すると、水塊はこちらの期待よりも何秒も遅れて、ずぷん、と言う水音を合図に崩れ去って、カーペットへと染み込んで消えていった。結果、内包されていたものだけがそこに残った。


 ピンの外れたグレネードだった。


 反射的に拳を握り、腕を体の前で交差させた。驚きを表すべく、「は」と口の形を大きく開けた。しかし、口から発する音よりも先に、グレネードの音が目と耳を劈いた。


 視界がやけに白む。聴覚も、耳鳴りと共に高い長音が続くだけで、周囲の情報をまるで拾ってくれはしない。


 しばらく経ったところで、辛うじて大きな音を拾えるまでに、視覚と聴覚が戻ってきた。先ほどまで炎の中から聞こえていた悲鳴は不気味なほど収まっていた。


 しかしそれは、炎の中にいる者達が叫べなくなったからでも、叫ぶのをやめたからでもないようだった。


 代わりに地面から天空へと動いていく物影が次々と目に映る。火柱の中から、人質が長いツタに捕まって天窓の方へと釣り上げられているのだ。人質たちは高所への恐怖よりも安堵の方が勝っているといった面持ちでツタを体に巻きけて空へと消えていく。


 開けられた天窓の縁沿いに、白いキツネがこちらを見下ろしていた。そのキツネがどうやらツタを操っている主のようだった。


 ーーさっきの水塊は一体何だ? なぜ人質は火傷をしていない? あの勝手に伸び縮みしているツタは?


 不可解な事象の数々が脳内を駆け巡り、沸騰しそうなくらいにエネルギーを消費した。だが、人質が救出されていることの一点から、これを仕組んでいるのが管理委員だと理解すると同時に全ての事象を解する要素が思い浮かんだ。


 ーーマテリアロイドか。


 銃口を天窓に乗っているキツネに向けた。躊躇なく引き金を引く。


 弾丸は確かに銃口を出たはずだ。外したとしても最悪天窓のいずれかにヒットしてヒビのひとつでも入るはず。そうなれば動揺を誘い、この救出を止めることぐらいはできる。


 けれども弾丸は命中することも、外れることもなく、横入りしてきた何かに遮られた。


 それは弾丸を飲み込んだまま、操り主の元へと帰っていく。


 それから、紅い着物を身に纏った人間が開いた窓から地下一階に飛び込んできた。いくら堅牢な肉体を持っていようが、生き物なら例外なく耐えられない高度のはずだ。その衝撃を足元の水鞠が吸収したようだった。


 ちゃぷん、と静かに着水した音を立てたのち、人間は親指を弾いて金属質の物体をパスしてきた。さっきオクトーが天窓上のキツネに向けて撃った弾丸だった。


シルクハットを被り、悠々と構えるその委員は「大人しく捕まった方が痛い目を見ないで済むよ」と諭すように投降を進めてきた。彼を受け止めた水は、今は太いチューブのような形に変化し、彼の周りを遊泳している。


 彼がまた口を開いたところで、オクトーは即座に銃口を向けて5発胴体に撃ち込んだ。


 その途端に、チューブが水壁となり、人間を取り囲んだ。銃弾はそれぞれ水壁の着弾箇所で停止したまま回転を続け、それは緩やかに減退していき、やがて推進力を失ったところで、ぽとりと力なく落ちた。


 銃弾がカーペットに落ちる柔らかな音が不思議でたまらなかった。


 思わず「は?」という音を口にした。想像を超える事態を前にして、今度はちゃんと発音できたなどと、思ったところで、目の前に透明の拳が迫っていた。勢いよく顔にぶつかったそれは頬の肉を叩き、脳を震わせた。


 なぜだか背中にも強烈な痛みを感じる。体全身に痛みが広がってくると同時に、目の前が今度は暗くなってきた。


 辛うじて顔を左右に向けると、棚になっている壁がすぐ側にあった。どうやら勢い余って体ごと壁に吹っ飛ばされたらしい。


 遠くに目を向けると、ホール反対側にいた他の2人も呆気なくスイギュウの姿をした委員に気絶させられているようだった。


「うわぁ! ごめんなさい投降しますぅ!」


 失いゆく意識の中、オクトーが最後に知覚したのは、近くで鳴り響いたヘキソーの情けない声だった。


 ーーどこまで人を苛つかせんだ、こいつはよお。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 メインホールにいた強盗を鎮圧した後、すぐさま他の部屋も捜索を始めた。メインホールにいた人質に怪我人はなく、確認できる限り全員救出されたことを受けて、事件に当たっていた委員も警備員の間に弛緩した空気が流れつつあった。


 メドウは、見学コース沿いにあるツァイトライゼの研究室をあたって何か被害がないかを確認することにした。メルはずっと漂っているという甘い匂いの元を辿り、カガリは関係者専用エリアを見ている。


「鮮やかでしたな」


 捜索中話しかけてきたのは、この作戦にも尽力してくれた警備隊長だった。ウサギの姿をした中年の男性の彼は、喋るたびに口元の弛んだ肉を震わせる。耳が動くのは機嫌がいい証拠らしかった。


「助かりました。偶然居合わせた委員が優秀だったもので」


「そう謙遜なさるな。でも、確かにあのお二人とも、面白いマテリアロイドを操りますなあ。なんて言いましたっけ、ええと……」


「ファイアーウォールとメモリーツリー」


「そうそう、それそれ。本当に意のままに操れるんですなあ」


「あそこまでできるようになるには、相当の訓練が要ります」


「長年ここで働いてますが、あんな魔法のような事ができるなら、ちょっと異動も考えたくなってきましたよ。人質に被害を出さずに救出しきるなんて」


「魔法というのも面白いですが、正確にはマテリアロイド固有の特性によるものです。ファイアーウォールは選択的燃焼、メモリーツリーは形状記憶。ファイアーウォールは燃やすものと燃やさないものを使い手の意思で選択できる炎で、メモリーツリーは使い手の記憶のうちにある物体形状を再現するように成長させることのできる植物なんです」


「なるほどなるほど。それでメドウさんのものは?」


「僕のはイールウォーターと言って……」


 手を動かしながら背中で警備隊長に解説していると、部屋の内線機器が鳴った。かけてきたのはメルだった。応答ボタンを押して聞こえてきたメルの声は、さっきまでとは異なる感触だった。


『メドウさん……こちらにすぐに来ていただけませんか』


「何か見つけたのかい」


『その、それが……』


「メル?」


 メルの不安そうな声色は、こちらの喉奥を締め付けるような気迫がこもっていた。過度に膨らんで少しの刺激で今にも破裂しそうな風船を、声で表現したとすればこれ以外にないというほどだ。それが次の言葉で一気に弾けた。


『匂いの元を辿ったら……倒れたシエルくんが』

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