第27話 シアトリカル・シティ
「二輪の自転車を漕いでいたら突然動かなくなった。一体なぜ?」
出題者はミナギ。ヴァーユがペンのノックをカチカチと押して、暫くの間が空く。
「時間切れ。答えは、自ら転ぶ車(=two-tired)だったから」
「何だそれ」ヴァーユの反応はとてつもなく素っ気ない。
「ムム、興味深いクイズでございますね」すかさず彼の肩にいるシエルがフォローを入れる。
「難しいことばかり考えてないで、たまにはこういう柔軟なアタマの運動も必要ってことよ」
「はあ」
「では次。この間、飛行機で逮捕されちゃったんだ。偶然出会った友人を呼んだだけなのに。一体なぜ?」
「友人を呼んだだけで逮捕? その人が意識してなかっただけで、航空法で何か禁じられている行為でもしてたんじゃないか? あるいは……」
ぶつぶつと思考を巡らせていると、先導していたメドウがこちらに振り返って助け舟を出した。
「ヒントは飛行機と友人の名前、だね。結び付けてはいけない組み合わせというと?」
「あぁ……ハイ、ジャックってことか……」
「正解!」というミナギの明るい煽てとは裏腹に、ヴァーユは無感情にして無感動のようだった。一応、ペンを走らせてメモを取っているが、蝶や不思議な水について見知った時とは真逆の事務的動作の極地である。
少し経ったところで、その鉄面皮が剥がれ落ちた。
「あれは……街?」
人がたくさん暮らしている場所として思い浮かべる街とは、屋根のついた箱が一定の規則に沿って並んでいたりする。けれども、ヴァーユが街と断ずるに戸惑うほど、その外観は奇抜だった。
「うん、この辺でも結構大きい街だよ。ここで一旦補給していこう」
メドウは見慣れた様子で、街へ向けて歩を進めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
街には家が建っている。道を赤い煉瓦が縁取っていて、中央には小石が敷き詰められている。舗装された通路の左右に大小様々な四角い建物が並んでいた。
いくつかは屋根付きで煉瓦や鉄筋コンクリートや木材で出来た見たことのある家が紛れているが、多くはトラックの荷台やコンテナといった箱を積み上げて出来ていた。四角い銀色の荷台の一面は、丸ごとが左右に開く扉になっていて、ミナギは自分が住んだとしたら落ち着かないだろうと思った。試しに半開きになっている扉を覗いてみると、あるコンテナの中ではずんぐりむっくりしたグリズリーがクッションに体を埋めて寛いでいて、またあるトレーラーハウスの中ではモニターの前で対戦ゲームに勤しむ大勢の猫達の姿があった。
「へぇ。家まで遺失物で作られているってわけか」
感嘆の息を漏らしたヴァーユに、シエルが解説を入れた。
「1から作るよりも遥かに楽ですからね。中にはきちんとした家を建てる方もおりますが、ハートバースではこれが主流な建築様式なのです」
住宅街を抜けると、歓楽街が見えてきた。今はまだ点灯していないが、建物の壁や宙に吊るされたイルミネーションやネオンサインが夜のピークタイムを今か今かと待ち構えている。ヴィヴィッドな色味のペンキで塗りたくられた看板を掲げたレストランやカフェ、日用品売り場が彩豊かな風景を演出している。
店の前では動物の姿をした住人が威勢よく客の呼び込みをしていて、ぞろぞろと歩く客の流れも絶えず分岐して店の中へと呑まれていく。あるいは、特に目的もなく広場の隅で談笑し合うグループもいる。歓楽街の呈する活況ぶりに、ミナギは目線をどこへ持っていけばいいかもわからなくなるほどに圧倒されていた。
「ここへ来るのは初めてですか?」
声をかけて来たのは、前掛のエプロンを身につけたウエイター風のフラミンゴだった。
「当店は初めてのお客様にもオススメです。4階席からは、この街のランドマークのウォールシアターが見えますよ」
見慣れない単語に首を傾げていると、後ろからメドウが言った。
「聞くよりも見る方が話が早いよ」
案内されるがまま、ぐるりと建物を一周した階段を上った。辿り着いた先の4階とは屋上のことだった。大小様々な木のテーブルが10つほど置かれている。端にはお酒やジュースやお茶といった種類のドリンクサーバーが置かれたバースペースがあり、今も他のウェイターがそこと各々の持ち場とを往復している。座っているのも行き来しているのも動物の姿をした人々だという点を除けば、お洒落な野外ビアガーデンに他ならなかった。
手すりのある端の方へ行くと、屋上からは街の様子を見下ろすことができた。おおむね四角い形の家々が、街路に沿って並んでいる。スクールバスの残骸を再利用して作られたと思われる建物からは洗濯物の吊るされた紐が伸びて、向かい側にあるカプセルホテルのカプセルを積み上げたような集合住宅地に到達していたりする。だいたい建物にも屋上にスツールやソファー、クッションが置かれていて、住民がゆっくりと風通しのいい場所で日光浴をする姿が思い浮かんだ。
「チェス盤みたいだ」とヴァーユは言う。言われてみれば、色々な形をした駒が、しかしあるべき枠に収まるように配置され、俯瞰してみればひとつの世界を形作っている。
ところが、少し視線を遠方に向けると、ボードゲームでは到底あり得ない縦方向のオブジェクトが鎮座していた。いやこの場合は聳え立っていたという方が適切かもしれない。
見晴らしのいい屋上からは街の彼方にある崖が望めるはずだった。だがその前に横たわった巨大な長方形の物体に阻まれて、端々に露出部を残すのみ。本来雄大なはずの崖は、崖というよりも物を立てかけるためのツールスタンドに見えるくらいにまで存在を狭められている。対して、岩肌に取り付けられているそのモニターは、遥か遠くにいるミナギ達にもなおプレッシャーを伝えるほどの存在感を放っていた。
「あれが、ウォールシアター……」
あまりの迫力に、手すりを掴む手が汗でじっとりと湿ってくる。ミナギはため息をついて、体を後ろにのけ反らせた。
「良いリアクションです、お客様。この街の観光業を支えているのが、あの巨大モニターなんですよ。この屋上階は、最適の角度と距離でスクリーンを見られるので、当店自慢の座席というわけです」
フラミンゴがえっへんと胸を張った。生で見るのは初めてだったらしく、シエルも感動で体を打ち震わせている。
モニターには街の一角が映し出されている。白い彫像の噴水の周りを小さい車が回り、更に外周の円形の歩道を沢山の人や出店が囲んでいる。そこがどうやら街の中心地らしい。
「シエルが何百、何千いてもあのスクリーンは埋め尽くせないね」
「あのモニターに匹敵するには十万はくだらないんじゃないか」
料理を注文してから、興奮のあまりシエル対モニターの空論がしばらく白熱した。当のシエルが「尻尾を伸ばせば何のこれしき!」と強がったところで、遠くのモニターが切り替わった。
まずはこの街にあるというお店の宣伝が流れ、その後にニュースキャスターらしくネクタイを首から下げたオウムが、街や他の地域のニュースを読み上げる様子が映った。
『最近、この界隈で多数のブルータルズが目撃されています。皆さんも夜の戸締りや郊外での単独行動にはくれぐれもご注意ください。不審者、不審物を見かけた場合は、ただちにお近くの遺失物管理委員会まで通報をーー』
「ブルータルズ?」
運ばれてきたカプレーゼにフォークを通したところでメドウとシエルの2人に尋ねた。それから返答を期待してカプレーゼを口の中へと運んだ。濃厚なモッツァレラチーズの口当たりをバジルの葉の涼やかな香りが和らげ、ジューシーなトマトを噛み締めることで満腹中枢が刺激される。
料理を堪能しているミナギとすれ違うようにして、メドウとシエルに緊張が走るのをヴァーユは見逃さなかった。
「犯罪集団さ。危険物を委員会の許可なく収集して、あまつえ犯罪に利用している」
メドウはお茶の入ったカップを傾けつつそう言った。
微かにテーブルが揺れている。震源地を探すと、ぶるぶると体を震わせるシエルの姿が目についた。さっきの震え方とは明確に違う。ミナギは初めは恐怖からくる揺れかと思っていたが、彼のきりりとした目つきと握り締めた小さな手を見て申し訳ない気持ちになった。
「このハートバースで年に起こっている犯罪事件の3分の1近くは彼らの仕業よるもの、または関与が認められるものなのです。ワタクシ達委員会にとって喫緊の重要課題です」
ヴァーユが辺りを一瞥してから尋ねた。目の前の食器には手をつけた様子がない。
「ーー今はどっか行ったみたいだけど、もしかしてあのフクロオオカミも?」
談笑している他の客の声がうるさく聞こえるくらいに、ヴァーユの声は静かな敵意を湛えていた。
メドウはいつの間にか取り分け用の皿を手にし、まるではなからこの店のウェイターであるかのようにサラダを盛りつけた。紅い袖口を抑えながら長い腕を伸ばして、斜向かいの席にいるヴァーユの前に置いた。皿がテーブルクロスに接地する際、少しも音は鳴らなかった。
「彼女は違うと思うよ。ブルータルズの手口じゃあない。ここまで僕達や劇団プリマヴィスタのメンバーから怪我人が出たり、深刻な損害を負ったりはしていないからね」
「でも、あいつは俺のペンを奪おうとしたし、メドウにだって本気襲いかかってただろ」
どん、とテーブルが突き上げられる音がした。意図していなかったのか、ヴァーユは身体をすくめた。
「そう、確かに彼女は僕に攻撃した。けれども、敵意が空っぽだ。予備動作とそこから導き出される初速を見る限り脚力を出来うる限り行使している一方で、攻撃を繰り出す部分の筋力運動は弛緩していた。喰らったところで僕は何ともないし、ミナギさんやヴァーユくんもよろけたり、転んだりする程度の威力だったと思うよ」
メドウは4つの取り分け皿に盛り付けを終えると、思い出しだように「シエルも心配無用さ。委員会には労災保険が整ってるから」と付け加えた。
「心配有用じゃないですか!」というシエルの嘆きを尻目に、ヴァーユは食い下がる。
「それはわざと手加減してたってこと? 俺には本気で向かってきてるように見えたんだけど。それに、万が一メドウが隙を突かれたら……」
俯いて唐突に言葉を切った。それから先は口に出したくないのだろう。
「本人にははっきり手加減しているつもりはないと思う。そんな器用な緩め方ではなかった。何度も挑んで彼女の体温が上がったところで、予備動作がぎこちなくなっていた。まるでアクセルと同時にブレーキを踏むかのようにね。それがかえって安心材料にすらなっていたんだ。僕に敵意は向けるけれど、それを相手に深傷を負わせることで遂げるのは不本意だと言わんばかりの、本能的なセーフティーネットが彼女の中に存在しているーーそしてそれはブルータルズの連中には決して存在しないものなんだ」
実際に拳を交わした当事者から出てきた意見だ。それもシャドの攻撃を赤子の手をひねるよりも簡単に対処していた人の見立てなのだから、納得するしかないだろう。
しかしやはり胸に仕舞ったそのペンについて、ヴァーユはおいそれと警戒心を緩めるようなことはしない。握った片方の拳の側面をもう片方の手の平にぶつける方法は分かったけれど、それをしたくはないという思いが胸を占めているようだった。
「大丈夫、何かあったら私とシエルが守ってやる。だから今は食べな」
ミナギは彼にフォークの持ち手を差し出し、背中にぽんと手を置いた。
「わ、ワタクシ、争い事は……」
「そして、私とヴァーユとシエルをメドウさんが守る! これで防衛網は穴熊囲い並に堅牢」
「結局メドウ頼りかよ!」
ヴァーユはフォークを強く掴んで、背中を揺すった。
「それに、彼女が悪い人じゃないってのは私も同意見。もし取られたら私が取り返すから、とにかく君はたくさん食べて大きく育て」
周囲を見渡すヴァーユに、ミナギ、メドウ、シエルの3人が頷きかけた丁度その時、メインディッシュが運ばれてきた。大きな皿に盛り付けられたキノコ入りのパスタからは豪勢な湯気が立ち昇っていて、真っ赤なパエリアにはムール貝や海老がクリスマスツリーの飾りのように供えられていた。




