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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第五章 再出発
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第26話 リベンジャー

 今更言うまでもないことだが、この森には物という物、有象という有象がその辺に落ちている。高価そうな物も、珍しい物も、誰かに拾われる時を待っているかのように一様に大人しく地べたに横たわっているのである。


 道中、会話が途切れたり、やることがなくなると、そうした落とし物を眺めて暇を潰す。ミナギにとっては、それがこちらの世界にやってきてからのルーティーンのひとつとして定着していた。時折、興味引かれるものがあれば、近づいて確認してみたりもする。


 今日も珍しい物を発見した。遠目から見て、二つ折りの財布のようだ。日光に当たって煌めく革の質感や、外側に彫られているロゴマークから、高価なブランド品に違いない。持ち主のいない今、この世界に転送されたそれは、価値を正しく理解してくれる者にも恵まれずに、道のど真ん中に見窄らしく座していた。


 ミナギが拾い上げるために、近づきかけたその時だった。


「うおりゃ!」


 声を背に受けたと思えば、次の瞬間には、目の前に義肢をつけた四足歩行獣が財布に飛びついていた。「あ」という一音の感嘆詞を投げる間もなく、シャドは続けた。


「これは俺が第一発見者だ! 早い者勝ちだぜ、姉ちゃん」


 そう言うと財布の中をそそくさと開いて、中にある札束を抜き取って、再び目の見えないところへと走り去った。


「……何あれ」


「向こうの世界の紙幣や硬貨を収集する好事家がいるらしい」


 先の光景を訝しんでいるミナギの横にメドウが並んだ。すぐ隣にいるのに声が聞こえてくるのは頭ひとつ分上の位置という現象にももう慣れた。


「だから貯金箱や財布は手当たり次第にああやって中身を抜き取られちゃうんだよ」


「なーるほど。つまり私達が財布落とした時に空で戻ってくるのはああいう人達のせい、と」


「そんなことよりさ、あのオオカミ何でついて来るんだ?」


 消え去った先を不機嫌そうに見つめるヴァーユの声は、空模様で例えるなら間違いなくどんよりとした曇り空に違いない。まぁまぁいいじゃないと宥めても、ふんとそっぽを向くほどだった。


 その後もシャドは事あるごとに姿を見せるようになった。


 もっとも「レアもの寄こせ!」という一声が響き渡り、ヴァーユへの接近を試みるや否や、メドウの掌底が彼女の身体の急所に向けて的確な一撃をお見舞いする。


「次は勝ァつ!」


 めげずに、今度はメドウに向かって「討ち取ったりィ!」と威勢よく飛びかかってきたと思いきや、数フレームをスキップすれば、メドウの手中から放たれた水を喰らい、水球に下半身を取られて足掻くシャドの姿が眼前に広がる。


「三度目の正直!」


 正面衝突は得策ではないとわかると、息を潜めた状態で木の茂みからメドウの死角にダイブするも結果虚しく、メドウは最初から来客を承っていた執事のように的確な処置動作で回避し、予想外の回避に気を取られたシャドはそのまま地面に激突する。


「よんろめの、しょうしき!」


 水面に露出した石を足場に川を渡ろうとした時に、水中から。結果は芳しくなく、水飛沫を上げる。


「ごぼぼ、ずぎごぞばば!」


 料理を食べている最中にも、構わず。結果は芳しくなく、視線を料理に落としたままメドウが後ろに放ったスプーンが頭にヒットする。ついでにヒットしたスプーンは計算されたような軌道を描いてメドウの指先に戻る。


 それでもめげずに襲い掛かろうとしてきたところで、メドウの手から例の水球が放たれた。まるで見えない糸に吊るされているか、はたまたどこからか磁力や風力が働いているかのように宙を舞い、目標に近づいていく。ゆっくりと鼻先にまで迫り来るそれを目に留めたところで、シャドは勝機を悟ったらしくきっぱりと臨戦態勢を解いた。


「ハラが減っては戦はできねえ!」


 去っていくオオカミの後ろ姿を眺めながら、ミナギはオオカミに浴びせたあの奇妙な挙動を見せる水について聞いた。飛行機で初めて目にした時から、尋ねる機会を窺っていた。


「あの変な動きの水ってどうなってるの? もしかして、メドウさんって水属性の能力者? 漫画に出てくるような」


 ミナギの言葉はメドウにとって予想だにしない予想だったのか、一旦力の抜けた表情を浮かべて、そして言葉の真意を理解してからまた声を出して笑った。


「そうだったら最高だね。残念ながら答えはノー。特殊能力を持っているのは、僕じゃなく水のほうさ」


「水とは異なる物質?」


 ヴァーユがうずうずした口ぶりで質問する。


「そういうこと。これは、君達の世界にはない水に近い物質なんだ。例えば……ヴァーユくん、ちょっとお手を頂戴」


 言われるがまま、ヴァーユが手の平を差し出す。その上にメドウが手をかざし、水を落とした。水は少年の小さい手に着地すると、勢い余って指の隙間や縁から地面に零れ落ちた。


「ただの水に見えるけど」


 零れ落ちた先の土は周囲よりも黒く染まっている。そこにメドウが指先をつけた。


 土に吸収されたと思っていた水が指先に寄り集まっていき、それらはやがて水鞠を形成した。メドウはビー玉を弄ぶようにして掌で水鞠を転がした。さっきまで黒い斑点のついた地べたは今はもうすっかり乾いていて、ミナギは幻覚でも見ていたような感覚を持った。


「この水は、触れたものの意思に応じるんだ」


「もう一回!」


 興奮気味にヴァーユの声が跳ね上がる。目をまん丸に見開いて、体まで乗り出している。


 しかし、何回やっても結果は同じ。水はヴァーユの手からは逃れ、その後にメドウの意思に応じて彼の手元に戻る。


 今は不可能と断じたところで、大人しく椅子に座り、メモ帳を取り出した。何かを書き込みながら、落ち込んだ声で言った。


「全然操れないけど」


「操るには訓練が必要なんだ。僕も昔は苦労した」


 自らの苦労話を難儀そうに語るメドウの姿は、シエルには新鮮に映ったらしい。


「そうなのですか!? 委員会の中でも指折りの使い手と目されるメドウさんにも、そんな過去があったのですね」


「グランさんにみっちりしごかれたのが昨日のようだよ」


 シエルはむむむ、と唸った。それから「いや寧ろメドウさんもご苦労されたのなら、自分も頑張らねば」と独りでに奮起しているようだった。


「じゃあ、委員会の人達はみんな操れるんだ」


「水を操れるかどうかは人による。でも、業務上使う機会は多い」


 メドウは大きなトランクケースから1リットルほどの容量の透明の水筒を取り出した。中は水で満たされている。メドウが大袈裟に水筒を振るっても、水は僅かに揺らめくのみだった。色味こそただの水に見えるが、その動きはまるでスライムのように鈍重だった。その透明のスライムの中に、何か機械のパーツのようなものが浮いていた。


「君達の世界には観測されていない物質ーー僕達は準物質、マテリアロイドと呼んでいる。この水はそのひとつ。水はこうやって運送を任された道具を衝撃から守るのにも役立ってる」


「これは何かの部品?」


「ちょっとした頼まれごとを受けていてね。ミナギさん達を送り届けるついでに、途中である場所に立ち寄って届けるつもりさ」


 気づけば、辺りはすっかり暗くなっていた。メドウがトランクケースからテントを取り出して展開した。


 夜の間、メドウは周囲に警戒網を敷くらしい。彼はテントには入らず、木に寄りかかって目を瞑るだけだ。それで眠れるのか聞いても、十分に休息は取れているのだと言った。


 ミナギがテントで横になっていると、またしても襲撃即撃退の音が外に響いてきた。なるほどきちんと警戒は怠っていないのだとわかると、安心して瞼を閉じることができた。


 しかし、それから音が全くしなくなったことが、かえってミナギの寝心地を悪くした。いてもたってもいられず、ミナギはテントから出た。


「ミナギさん、どうかした?」


「ちょっと眠れなくて。さっきの夕飯の残りってあったっけ」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ーー姉貴が正しかった。何をどうやっても勝てねえ。


 今更ながら、敗北感に打ちひしがれて、シャドはすっかり自信を消失しかけていた。空腹感と不健全な眠気もそこに追い討ちをかける。


 あの男は、何度異なる動作、角度、深度で攻撃で仕掛けてみても、一定のリズムを保ったままリアクションを返してくる。それが何よりも不気味で、底の見えない恐ろしさがあった。


 あの男を倒すどころか、一撃を加えるどころか、息を切らせるどころか、焦燥させるどころか、あの飄々とした構えを一瞬でも崩すことがまずできない。


 そこまで考えたところで、自分の目的が無意識のうちにレアものからメドウに移り変わっていることに気づいた。


 雑念を取り払うべく首を振るうと、さっきまでの戦闘のシミュレーションでかいた汗が周囲に飛び散った。


 足音が聞こえてきたが、警戒するまでもなかった。そこそこ体力には自信がありそうだが、足音には敵意がまるで含まれていなければ、戦い慣れしたような歩き方でもない。あの飛行機でこっちを罠に嵌めた時とも状況が違う。


 現れたのは、やはりミナギという名の人間だった。


「なんか用か」


「懲りないなーと思って」


「諦めの悪さにゃ自信あるからな。負け戦挑み続けてる奴に言葉責めでもしにきたってのか?」


「腹が減ってはなんとやら。さっきそう言ってたでしょ」


 ミナギが持っていた皿を差し出すと、一瞬だけシャドの表情筋が緩んだ。しかし、顔は雑念を振り払うべく、即座にさっき以上の緊張を取り戻す。


「ハッ! 懐柔しにきたってか。条件は何だ?」


「無条件」


「余計怪しいぜ。毒でも入れちゃあいないだろうな!」


 はあと溜息をついてから、ミナギは皿に乗ったカレーを口に入れてみせた。


「入ってないってば」


 呆れた表情が声に乗って夜の森にこだまする。ようやくシャドがおずおずと手をつけ始めた。


「まぁ、味は悪くねえな」


「それで、本題なんだけど、あのペンは諦めて」


 ゴクンと飲み込む音がやけに大きく聞こえてきた。


「ヒキョーだろ! 俺が手ェつけた頃合い見計らって交渉開始たぁ!」


 怒号を浴びせられてもミナギの表情は一定に保たれたまま、しかし声色はより一層真剣味を帯びていく。


「どうしてペンが欲しいのかは知らないけれど、ヴァーユにとってはとても大事なものなんだよ。それを取られたりしたら、家へ帰る時間が伸びちゃうかもしれない。私達は、早く元の世界に戻りたい」


 シャドはふんと鼻を鳴らして、まじまじとミナギの睨んだ。互いの視線がかち合う。


「ペンごときどこでも落ちてるけどよ、あいつのペンは異常だ。燐光蟲がこぞって集ってやがる。それを欲しがる輩がいて、言い値で交換してもらえんだ。でも、お前ら迷い人は持ってても有効活用できねえだろ。それこそ別のペンでも替えは効くはずだ」


「思い出の品に替えは効かないよ」


「はぁ?」と威勢を示すべく顎を上げたシャドに、ミナギは毅然とした態度を崩さない。


「お父さんに貰った大切なペンなんだって」


 気のせいか、シャドの顰めっ面が微かに弱まったように見えた。だが、取りもなおさず彼女は吠えた。


「知るか! あのメドウとかいう野郎を出し抜くまで俺は諦めねえ!」


「残念。交渉決裂、か」


「ふん、決裂だ決裂! メドウに宣戦布告しとけ! これも要らねぇ、お前らで食ってろ!」


「もう散々宣戦しては負けてるじゃない……カレーは置いておくよ。お皿は明日の朝に取りに来る」


「敵の作った飯なんか食わねえ!」という声を背中で受けながら、テントへ歩いて戻った。


 それから明朝。目を覚ましたミナギは近くの川で顔を洗ってから、シャドのいた場所に赴いた。


 案の定、シャドの姿はない。代わりに1枚のメモが残されていた。


『勿体ねえから、全部食った。勿体ねえから』


 皿には一粒たりとも米は残っていなかった。どうやら舐め取ったらしく、皿の内側が朝陽を浴びてピカピカに輝いていた。

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